12.掴まれた尻尾


 ハイリアルが突然馬から降りて吐血したのを目にした時、レイリーリャは驚愕し動揺した。


 彼は療養すると予め出発する前に伝えられていた。それにも拘わらず、魔物を何匹倒しても苦しむ様子を見せる事など無く、身体の問題など何も無いようにさえ彼女には見えた。


 それ故に彼が患う疾患は軽度の物で、吐血する程体調は悪く無いように思い込んでいたのであった。



「えっ、……血?…………いた、いや、……苦しくないですか?」



 レイリーリャにはどう対処したら良いのか解らなかった。さすった手のひらをハイリアルの背中に付けたまま、視線は地面に拡がった吐血とその顔の間を何度も行き来する。


 彼の体内から吐き出された石は、吐瀉物と地面に転がる石に紛れて、彼女には気付く事が出来なかった。



「…………大丈夫だ。大したことない。」



 彼は項垂れ吐血を見つめていた顔を上げる。苦しみが取れ力が抜けたような顔をしていた。


 そして左手の手のひらを口許近くに拡げると、その上に手のひらと同じ位の大きさの透明な水の玉が現れた。無詠唱で水魔法『水球』の呪文を唱えたのだった。


 彼は現れた水の玉を口に含むと、口の中をゆすいだ。それから顔を彼女のいる反対側右へと逸らし地面に吐き出す。左手のひらの上にある水球の残りを口に入れると、同じ事を繰り返す。そして再び左手のひらの上に水魔法で水球を作り出すと、その中に右手を入れこするように両手を洗った。



「……何か拭く物はないか?」



 ハイリアルは手に残った水滴を両手ではたいて落としながら、レイリーリャの顔を見ずに尋ねた。

 彼女は思わず焦ってしまい、慌てながら肩に掛けている鞄からハンカチを取り出した。



「ど、どうぞ。」



 四角く折られたハンカチを彼の前に両手で差し出す。



「うむ。」



 彼はそれを片手で掴むと、自らの口許を拭い両手を拭いた。そして彼女にそれを返すと、受け取った彼女は折り直し鞄に入れた。



「……ここで休まれますか?」



 レイリーリャの尋ねる口調はハイリアルを伺うように怖ず怖ずとしている。どれ位彼の体調が悪く、そしてどれ程辛く苦しいのか解らない。



「……いや、いい。行くぞ。」



 彼はその顔を見ずに後ろを振り返った。そして胸の周辺をさすりながら、乗っていた馬に向かって歩き出した。



「……本当に良いのですか?」



 彼女は不安を感じながら再び尋ねる。

 彼の応答した態度は本当に苦しくない事は無いように彼女には見えた。

 それに、その身体の状態が再び悪化し道中で倒れたりした場合、効くかどうかも解らない手持ちの薬草を飲ませて一時的に誤魔化す位しか対応出来ない事もあった。


 彼は愛馬の鐙に足を掛けると、身体に反動をかけ重そうに足を上げ跨がる。そして沈むように腰を降ろし愛馬の背の上に座った。



「……問題ない。さっさと乗れ。」



 苛立ちを抑えながらも、刺すような声色だった。その顔を彼女がいる方に振り向かず、装うかのように正面を向いたままであった。



「……我の身体は、お前より我が、一番良く解っている……。」



 その口調は鋭い。

 しかしそこに込められた力は、直ぐに途切れては入れ直す事を繰り返していた。



「…………解りました。」



 彼女はその突き放す態度に思わずたじろいでしまい同意した。

 しかしその胸の内に抱えたどんより沈むような不安は、その主張する言葉では全く拭えず残ったままであった。そして再び自らが乗っていた愛馬ズゼルーマーに跨がり鞍に座ると、その尻尾が何かを振り払うかのように左右に振り続いた。



「……本当にどうしよう……。」



 レイリーリャはズゼルーマーの背中の上で揺られながら悩んでいる。

 今朝出発した町に戻ろうにも日没までに間に合いそうもなかった。それ故に最寄りの宿場町に向かっていた。

 道の両脇に耕された畑が広がり、農民が種を地面に拡がるように撒いている。



………………ハイリアルさまがこれ以上従わずに、館に戻って良いっておっしゃってくれたけど、本当に戻って良いのかな?…………。



 彼女は身体全体に覆われた恐怖感から解き放たれかけた解放感を感じつつ、その感覚に身体全てを委ねたい衝動を抑えていた。


 ハイリアルとのドマーラルシズト捜索に随行する事を辞退する事が許された。


 だがその彼が吐血をしたのを見てしまった。

 その身体が悪い状態のまま放っておき、別れて館に戻る事に対して躊躇いためらいを感じている。



…………わたし、ハイリアルさまがどんな病気に罹っているか解らないわ……。


 ……だけど、そんなハイリアルさまを放っておいて、付いて行くのを止めっちゃったらぁ、みんなから何言われるか、解らないなぁ……。


 

 主人の身の回りの世話をするのはメイドという仕事の義務である。それ故に、病気か何かで身体の状態の悪い主人を世話や看護をせずに放っておく事は、その義務を放棄していると言って良い事である。


 ハイリアルはレイリーリャの雇用主であるズゼロスコエ伯爵の三男で、この場では実質的な主人と言って良い。それ故に周囲の者や一般の者達から見たら、彼女が彼の世話や看護をする事が当然の義務だと見做されるのであった。


 もし彼との随行を放棄したら、義務の不履行を理由に、周囲から叱責や非難、軽蔑等といった厳しい仕打ちに晒されるように彼女は想像していた。それ故に、そのような仕打ちに晒される事を怖れ嫌がっていた。


 

…………『やっぱり猫族のオンナはダメですわ。ご主人のハイリアルさまのお身体が悪いのに、今までのご恩をすっかり忘れ、お世話をせずにさっさと逃げ出すなんて、薄情な上に無責任でケダモノらしい振る舞いですわ……。』だなんてイヤミ、副メイド長辺りが言い出しそうね……。



 もしこのまま館に戻ったら、副メイド長や同僚達がこれを口実に、このように嘲笑いながら叱責や非難をする様子がありありと浮かんでしまう。


 それ故に館に戻って再び同僚のメイド達と、仕事として掃除洗濯などをしたいとは思わなかった。


 彼女らはレイリーリャやそれ以外の対象も含めた粗探しをして足を引っ張る事や、事実とは異なる有りもしない想像をして陰口を日常的に何度も言い合っていた。そういった振る舞いや人間性に対して、レイリーリャは内心苛立ちうんざりしていたので一切関わりたくなかった。同じ部屋の中で一緒に居るのも内心嫌である。

 館の上司や同僚達との関係は余り良くはなかった。


 館で掃除や洗濯をしながら、この仕事を辞めてどこかの田舎町で食堂を開く妄想をしている時が、館内での人間関係による不愉快な気持ちから離れられる気晴らしや現実逃避になっていた。


 レイリーリャは館で働き始めてからは、メイドという仕事に自分に合わないと感じていた。更にこの仕事に自らの存在意義をかけたり誇りを持つなどといったような、こだわりも持っていなかった。


 そういった経緯があった事から、ハイリアルの出発前日にその随行する命令を副メイド長からされた時に、突然の事で動揺しつつも、我が身を縛り付ける何かから解き放たれ、身体が軽くなるように感じたのだった。



…………えっと、ドマーラルシズトだっけ?それ見つけてやっつけるまで、ずぅっとハイリアルさまに付いて行くのは、わたしだけだとさすがに無理だよねぇ。戦いで自分の身を守るのは出来ないし、もし襲われたら……。



 レイリーリャの心の中に、ゴブリンに倒れた所を襲われ顔間近まで迫られた時の事が甦る。

 その瞬間、両肩が震え身体が竦んで縮こまる。



―――嫌ッ!!



 怖ろしさで身体がおかしくなりそうだった。

 思わず両膝の先で、ズゼルーマーの胴を強く締めつけてしまった。



 ズゼルーマーは後ろをちらっと見ると、溜息のような深い息を吐き首を左右に振った。



………………魔物はやっぱり怖いよね…………。


…………せめて他に誰か一緒に付いてきて守ってくれれば、わたしもなんとか我慢出来ると思うけど……。


 

 彼女はこんな怖ろしい思いを再びしたにも拘わらず、何の報いも無く、ただ襲われ殺される事は絶対嫌であった。



…………その前に、治療術士さんにハイリアルさまの身体を治して貰う方が先だよね。出来れば、治療術士さんも一緒に付いてきて貰った方が、ハイリアルさまの身体治したり、看護みたいな事もしてくれるよね?わたしも教えてくれれば、看護に近い事をある程度するけどねぇ……。



 彼女の前を進むハイリアルの周りには、従者である彼女自身以外誰もいなかった。


 彼は飛び回る薮蚊を叩き潰そうとしているかのように、険しく苛ついたような表情をして周囲を見回し警戒している。



「…………なんか自分勝手みたいだなぁ…………。」



 思わずレイリーリャの口から、自らを嘲る言葉が漏れてしまう。自分自身の都合だけを心配し悩んでいるのに、吐血した彼の身体の状態について目を逸らし心配しようとしない自分自身に対して、そう思わずにいられなかった。



………………でも、ハイリアルさまが大丈夫って言ってたから、からだ大丈夫だよね……。



 無意識のうちに、彼の身体症状が表に現れてしまう程に状態が悪くなっているかもしれない、そういう可能性が有る事を直視せずに避けていた。



 彼が大丈夫と言った事を、彼女自身が都合の良いように解釈し、自らそれらについて考え想像し判断する事を避けていた。



 レイリーリャは尻尾を掴まれたような感覚を覚えながら、ハイリアルの後ろを附いて行く。



 二人が乗る馬が通り過ぎた後ろを風が通り抜けていく。

 道の脇に生えた薮の中から、手のひら程度の小さい半透明になったターコイズブルーのスライムが道に飛び出した。そして道の反対側に向かって、危機が去って安心したかのようにのんびりと路面を這っていった。



 

 今朝出発した宿場町に入り今朝とは違う宿屋の前に辿り着いた。

 ハイリアルは馬から降りると彼女に何も断りをせずに、無言で自ら宿泊する部屋を確保しにその中に入っていく。

 レイリーリャが自分が部屋を確保すると伝えようとする間も無かった。


 彼女は従者がやるべき事を主人が率先してやってしまった事に戸惑ってしまった。彼の指示も何も無かったので、どうしたら良いのか解らず乗ってる馬から降りその横で動かずにいた。


 間も無くハイリアルが宿の玄関から出てきた。



「ハイリアル様、申し訳ありません。今晩泊まる部屋の確保をされたのですよね。私がハイリアル様より先にこれをするべきでした。」



 レイリーリャは彼の姿を見るなり、一息で言って詫びた。



「部屋はお前の分も確保した。だから問題は無い。」



 彼は自分が乗ってきた馬の側まで戻ると、彼女の方を振り向かずにその手綱を掴んだ。



「厩舎に連れて行くぞ。お前も付いてこい。」



 彼は率先して裏にある厩舎に向かった。素気無かった。



「は、はい。解りました。」



 彼女は自分が随行するのを止める事について、今も怒っていて機嫌を悪くなっていると思い、動揺し不安を感じている。

 そして自分が乗っていた愛馬を牽くと、慌てて彼の後ろを附いて行った。



 レイリーリャは乗っていた馬ズゼルーマーを厩舎に連れて行き、その背中に背負っていた荷物を下ろす。そして飼い葉桶にズゼルーマーが食べる干し草を入れた。

 

 ハイリアルは馬達が干し草を食べる様子を確認すると、彼女に泊まる部屋に先に行くと告げ、自分の荷物を背負い部屋に向かった。


 彼女も宿泊する部屋に荷物を運ぼうと背負った。それと同時に、飼い葉桶に首を突っ込み黙々と食べ続けていたズゼルーマーが顔を上げた。


 その目が合う。目を細め口許を歪め嘲笑しているように、レイリーリャには見えた。病身で苦しむハイリアルをほったらかしにして逃げようとしていやがると、責めているように感じてしまった。

 自分自身に対して情けなく悲しく感じる。



「……ハイリアルさまに許してもらったのに、何でバカにする……。」



 レイリーリャの口から呟きが漏れてしまったその瞬間、悲しく感じている自分自身に気付く。



………………なんで、ズゼルーマーちゃんがわたしをバカにしてるように思ったんだろう……。



 彼女は馬が嘲笑っているように見えてしまった理由が解らず唖然とする。



…………馬だって色々思ったり感じたりする事があるんだろうけど、なんでそう思ってるって見えたんだろう?……。


…………さすがにズゼルーマーちゃんは、わたしのメイドの仕事関係や、ハイリアル様の健康状態などといった、細かい所まで解るとは思わないけど……。



 彼女は不思議に思う。

 少し考えてみるが、馬が嘲笑っているように見えた理由は解らずじまいだった。



…………ズゼルーマーちゃんの事はとりあえず置いとこう……。


……メイドなら、主人に付き添うのが当たり前なんだけど…………。



 レイリーリャはこれから、伯爵邸に戻った場合、そこのメイド達が彼女の事をどう評価し、どのように対応してくるのか想像する。


 誰一人彼女の事を理解してくれる者は無く、責める者は誰一人、彼女が彼に付き添うのを止める事情と理由を理解しないように思えた。


 そして誰も理解してくれず、孤立しているような自分自身に対して悲しく寂しく感じた。



 伯爵邸に戻ってからのレイリーリャの事を、どこの誰が理解しようともせずに非難しているのか、実際に尋ねて確認や把握、特定もせずに、勝手に想像してそうされる事だと思い込んでいる。


 

 まだ実際に、レイリーリャの尻尾を掴んでいる者はいない。



 そして、これから実際に、レイリーリャの尻尾を掴む者は―――誰が掴むのか、掴むに適切なのか、掴む意味が有るのか、…………その時が来なければ



――――――解らないまま終わるだけ。




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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

嬉しいです。


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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる

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