11.石
レイリーリャは歩いて行く。疲れを感じ休みたい所だが前に進んでいく。
踏みならされた枯れ草や落ち葉の上を踏み締めると軽い足音が森に響く。
自らの足音が耳に入り緊張が昂ぶっていく。
歩く先に薮が見える。彼女が近付くと、その手前に生える木の幹の陰から、突然暗緑色の魔物が刃物を持って現れた。ゴブリンだった。
彼女は驚愕し逃げようと後ろを振り向く。
その先から別のゴブリンが鎗を構えながら近寄ってくる。正面を塞がれ背後からも迫ってくる。挟まれた。
それを見て彼女は余りの恐さで目を見開き絶叫してしまう。跳ね上がった尻尾の毛は逆立つ。叫び終えぬまま右を向き走り出してしまった。どこに向かって逃げれば良いのか考える余裕などなかった。
追いかけてくるゴブリンを背後に、彼女は全力で走った。正面に迫る木を左に避け、倒木を右に避け。
落ち葉に覆われた地面は下りに傾き始め坂となった。彼女は下り坂を走り足を一歩踏みつける。踏まれた落ち葉ごと地面を滑る。転びそうになるのを踏ん張り走り続ける。
ゴブリンが正面に現れ右に避けようとした。前に踏み出した左足に力を入れた途端、足が滑る。今度は踏ん張りが効かない。足がよろけ走る姿勢が崩れる。彼女は叫んでしまう。転がり倒れそうになって左腕が前に出る。ゴブリンは動転し脇に飛び退く。彼女と衝突するのを避けた。
彼女は左半身を下に横滑りになって転んでしまった。髪や肘に落ち葉と土が纏わり付く。
―――いけない。殺される。
レイリーリャは恐怖で瞬時にゴブリンが立つ方に顔を向く。
そこには脇に飛び退いたゴブリンの他に、後ろから追っていたゴブリン二匹も合流していた。
三匹は顔を見合わせた。何言っているのか内容が解らない鳴き声で会話を行う。そして剣や鎗を構え彼女に詰め寄ってきた。ゴブリンの身体から発する生臭い悪臭が辺りに漂う。
「―――こっ、来ないでぇ!」
レイリーリャは腰に付けていた短刀を鞘から抜くと、剣先をゴブリンに向けて突きつけた。
「近付いたら、ぶっ刺すよぉ!」
剣先は一点に定まらず震える。
ゴブリンは一方の口許を上げ嘲笑を浮かべる。彼女の短剣など気にもならないように近寄る。
「うわあぁぁぁぁ!」
彼女は喚き声を上げた。目を瞑り短剣を突く。だがゴブリンは事もなげに短剣を握っている剣で弾く。短剣はその手から離れ弾き飛ばされた。落ち葉の中に短剣が柔らかい音を立て沈み込む。
「えっ?!…………やだぁ。やだよぉ。……」
彼女は顔を蒼白し震え上がる。
何かを掴んで投げつけようと地面に両手を付け、掴んだ物をゴブリンに投げつける。
だが石や土など硬い物を掴めず、退色した落ち葉しか掴めなかった。握り潰された落ち葉はゴブリンの顔に届かず、そのまま地面に向かって揺れ落ちていく。
ゴブリンは握っていた剣を捨てた。そして嘲笑を浮かべた顔がレイリーリャの鼻の先にくっつく間際まで迫る。
レイリーリャはおののき両腕で後ろにずり下がる。
ゴブリンの両手が彼女の胸元を掴む。ゴブリンの吐息が荒くなる。ゴブリンは両目を見開き口許を歪ませると、その側頭部を光の線が貫いた。
その線の光は虹色に輝く。
「大丈夫かぁ!」
男の叫び声がレイリーリャの耳に届く。
ゴブリンはうつ伏せのまま彼女の身体からずれ落ちた。落葉の中にうつ伏せに倒れ、その中に沈んだまま全く動かなかった。頭が貫かれた穴からどす黒い血が流れ落ちる。
彼女は何が起こったのか解らなかった。愕然としたまま叫び声のした方に顔が向いた。
愛馬に跨がっているハイリアルがそこに居た。ハイリアルはワインレッド色のレンズ越しにレイリーリャを凝視していた。
彼は彼女を襲おうとしたゴブリンを仕留めたのを見ると、残りのゴブリン共に握っている薙刀を向けて魔術を放っていた。ゴブリンは氷鎗に身体を貫かれ膝から崩れ落ちる。
彼は警戒し乗馬したまま周囲を見回すと、彼女が倒れ込む傍に寄った。
そして彼は馬から下りると、彼女の側に寄り見下ろした。
「…………何とか間に合ったようだな。怪我は無いか?」
ハイリアルは相変わらず眉間に皺を寄せ険しい表情をしている。しかし口許は緩んでいる。
「……大丈夫です。」
レイリーリャは彼の顔を見れなかった。彼女の顔は彼の顔に向かず、目を伏せたままであった。
従者という役割を放棄し逃げ出してしまった後ろめたさがあった。
それにゴブリンによって殺される怖ろしさが残っていた上に、彼に叱責される恐れもそれに混じっていた。
………………どんな罰を受けるんだろう……。
彼女はそんな罰を受けなくてはいけない自分自身が悲しかった。
「……戦えないお前では、ゴブリンは倒せないか……。」
彼は胸に手のひらを当て唇を噛む。彼を直視出来なかった彼女には、この表情を気付く事は出来なかった。
「……ここにいた三匹と向こうにいた一匹だけのようだな。ゴブリンは……。」
彼は周囲を見回す。
見回した先には倒したゴブリンが横たわっているだけであった。
「探している途中にトレントと長アタマがいたから片付けたが、寄ってきそうなのがそれだけなら良いんだがな……。」
彼は彼女を見下ろす。
「魔物どもが争う喚き声が聞こえた方を進むと、叩き折られて間も無い木の幹が目印のようにあった。だが、そちらに、オマエが行った確信を持てず、運に身を委ねたが、…………。……」
彼は切迫感が抜けたように一息吐いた。そして眉間に深く皺を寄せ彼女を凝視する。
「………………森の奥に入るな。独りで不用意に。もし再び、このような事があったのなら、―――命の保証など無い。……」
ハイリアルは心の内にあるものを抑制し、書いてある文章を読むようにレイリーリャに言い渡す。
彼女は顔を上げれなかった。
立ち上がって彼の顔を見れなかった。
怒鳴られ暴力を振るわれるものと思っていた。
だが彼は、それを行わなかった。
彼の指示があったにも拘わらず、従者という仕事の責務を途中で放棄し逃げ出してしまった。
魔物のいる森に迷い込んだ事で彼に捜索させる手間を掛けさせてしまった。
その上に魔物達に襲われてしまった所を助ける負担を掛けさせてしまった。
そういった事などによって、彼に多大な負担と迷惑と掛けてしまう事になってしまい、彼女は自らを責めた。
………………でも、でも、…………怖かったんです……。
怖ろしさに抗えず逃げ出してしまった自分自身の無力さも悲しかった。
両目の目許から涙が溢れる。
「…………ハイリアルさま、逃げ出してしまいましてごめんなさい……。」
レイリーリャは座り込んだまま膝を抱え、震えながら頭を下げる。
これ以上口から出せず頭を上げれなかった。
許して欲しいとは思ったが、そう思ってしまう事自体いけないようにも思った。
ハイリアルはレイリーリャから距離を置き見下ろしたまま立っている。
眉間に皺を寄せ口を一文字に閉じたまま開かず沈黙する。
レイリーリャが啜り泣く音だけが森の中に広がる。
「……もういい。」
ハイリアルが胸を抑え口を開く。
「確か、お前……レイリー……リャで良かったか。」
レイリーリャに名前を確かめる。
「―――ッ!…………はい、レイリーリャです……。」
レイリーリャは驚き、涙で濡れた眼差しのままハイリアルを見上げる。啜り泣きが止まる。
初めて彼に『お前』ではなく、『レイリーリャ』と名前を呼ばれた驚きがあった。
「…………もう我に、付いて来ないで良い。」
彼は普段以上に険しい顔であった。
「我に従わずに、館へ戻って良い……。」
自らを責めるような苦しみが顔に表れている。
しかし彼女はその表情の意味をそう捉えていなかった。
「……ハイリアルさま本当に良いのですか。」
彼女は唖然とし動きが止まる。
「構わぬ。」
「…………ありがとうございます……。」
彼女は思わず安堵で緩みそうになる表情を我慢しながら頭を下げた。そして頭を下げたまま、身体の力が抜けてしまったように感じた。
この感覚を感じながら、率直に彼の目の前で、もう嫌だ、怖かったですと、湧き出そうになる感情に委ねるまま言葉を口にする事は出来なかった。
二人はしばらくそのまま動かなかった。
ハイリアルが乗ってきた愛馬は、二人に遠慮するように側に生えている木の芽を食べている。
ハイリアルは頃合いを見計らうと、愛馬をレイリーリャの側まで牽いてきた。そして立てとだけ命じて彼女を立ち上がらせるとその上に乗せた。
彼女は何も言わず力なくそれに従う。
彼は手綱を握り彼女を乗せた愛馬を曳いていく。森の中を進み、逃げ出す前まで休んでいた場所まで戻ろうとする。
二人は何も語らなかった。
彼女はこれ以上彼に付き従って危険な目に遭わずに済む安心感はあった。その上に、従う事が出来ない申し訳なさが上塗りして覆っているように感じていた。
そうしなければ付き従わずに済む安心感を感じてしまう事自体にも、罪悪感も感じていた。
この安心感をなくそうと意識すればする程に意識の上に現れ、ますます強く感じてしまうように感じた。
途中トレントと長頭トロール二匹の魔物の死骸が転がる所まで辿り着いた。
ハイリアルはそれらの死骸を目にすると、顔を上げ周りを見回した。
見回す四方、いずれも木が生い茂る森であった。
「…………本当によく、お前が殺されてしまう前に、見つける事が出来たものだ。…………」
彼の口調には、安堵と感心が混じり感慨深いようだった。
そして呟き終わると深く息を吐いた。その口許は緩み口角が上がる。
彼はそれらの死骸を腰に着けた短剣でえぐり魔石を回収する。
そして長頭トロールが叩き折った木の幹が所々にある森を通り抜け、彼女が逃げ出す前まで休んでいた所まで辿り着いた。
そこにはズゼルーマーが彼女の事など頭の隅にも無いように、黙々と草を食べていた。
また残された荷物は盗られる事なく置かれたままであった。
「かなり時間を食ってしまったな……。」
ハイリアルは溜息と共に呟く。そして手を胸に叩くように押しつけてから、その荷物を馬に背負わせる。
レイリーリャはこの独り言が耳に入ってしまった。自分がその原因になったと責められているような気がして、罪悪感で目を落とした。
「……朝出発した所に戻るぞ。」
彼は眉間に皺を寄せ、普段以上に険しい表情をしていた。何か堪えているようであった。
後ろめたさで彼の顔を見れない彼女には、それを気付く事が出来なかった。
それから二人は無言で出発の準備を行い、今朝泊まった宿のある街に向けて出発した。
出発してからも二人は何も言わなかった。
彼女は落ち込み俯いたまま乗馬している。
事情を知らない者から見たら、処刑場へ護送される囚人のようだった。
二人が戻り始めてから一刻も経っていなかった。
ハイリアルは突然何の素振りもせずに愛馬から降りた。道の端でしゃがみ、両膝を地面に付け四つん這いになって俯く。
胸元を押さえ何かを吐き出そうとしていた。
喉の奥から息を絞り出す妖蛙の断末魔のような音が響く。
「ハイリアル様、大丈夫ですか?!」
レイリーリャはその様が目に入った瞬間思わず叫んだ。ズゼルーマーの歩みを慌てて止めて滑り降りた。そして一目散にハイリアルの許に走り寄った。
彼女は彼の手を上げ背中をさすろうとした。その瞬間、無断でその身体に触れる事は無礼である事を思い出した。
「失礼します。」
そう一言断ると、彼の背中を上下にさすり始める。
ハイリアルは血色を失い青白い顔をしていた。
詰まった物を押し出すように、喉の奥から息を振り絞り吐き続ける。嘔吐音と一緒に口から血と嘔吐物が混ざって吐き出される。
地面の上に深紅色の血とどす黒い胃液などが混ざったものが、口から垂れ落ちる。
垂れ落ち地面に拡がっていく嘔吐物の中に何かが混ざっていた。
それは赤みががったどす黒い石で、小指の先と同じくらいの大きさだった。
その角は槍先のように尖り、嘔吐物や地面に食い込むようであった。
だがレイリーリャはそれが落ちている事に気付かなかった。動揺したままハイリアルを気遣い、その苦しむ顔を見つめ続けていたからであった。
ハイリアルが喉の奥を削るように絞り出され続ける荒い呼吸の音だけが、風に乗って草木が芽生える街道に拡がっていく。
街道の路面を野鳥が二人を頓着する事なく、餌を求めて嘴で地面を突き続けていた。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
嬉しいです。
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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。
作者おだてりゃ 木を登り
ますます ハナシ 創りまくる
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