10.後悔


 レイリーリャは森の中を走っていた。踏み締める度に堆積した落ち葉が沈み、柔らかい感触が足に伝わる。



―――……あ~あ、遂にやっちゃった。逃げちゃったね~。



 逃げ出した自分自身に対して、走りながら他人事のように呆れていた。



―――今更だけど、ハイリアルさまのトコに戻っても、責められるどころじゃ済まないよね……。



 後ろを振り返り、ハイリアルが追ってこないか確かめる。



―――…………さすがに怒ってるだろうなぁ。…………



 逃げ出した罰として、激怒しながら鞭で叩くような折檻をレイリーリャにするハイリアルの姿が心の中に思い浮かぶ。その瞬間、拙いと危機感を覚えた。



―――……もう逃げるしかないよね…………。



 ハイリアルに捕まったら暴力による折檻を加えられる恐怖と、息が切れそうな苦しさで顔が引き攣る。



―――……最悪、誰かの家に逃げ込んで、匿って貰おうか……。



 レイリーリャは喉から絞りきるように息を吐き続ける。息が切れた。喉が削り取られるような辛さに耐え切れなくなり、走る事を止め歩き始める。


 今のレイリーリャには苔の生えた岩の上に座って休む余裕など無かった。辛くてもハイリアルから逃げ切らないといけなかった。


 それでも、今まで歩いてきた道に併走するように進む事を意識する。

 今回の旅で通っているこの地域は、今まで一度も通った事がなく土地勘が無かった。

 それ故にその道から大きく外れてしまうと、どこをどの方角に行けば良いのか全く解らなかった。そうなってしまうと迷って生きて戻れなくなりそうで、そうなる事を非常に怖れていた。



「……大丈夫。大丈夫。だいじょうぶ……。」



 レイリーリャは自らを安心させるように独り同じ言葉を繰り返す。


 空は森に生える木々によって覆われている。開けている所から見ても、この日の空は雲に覆われて太陽が見えず、どの方角に出ているか解り辛かった。

 それにレイリーリャは方角が分かる魔道具を所有していない上に、木の年輪の広がり方を見る事などといった、様々なやり方で方角を知る事が出来る事を知らなかった。例えそれを知っていたとしても、持っている小剣を振って木の幹を一刀両断する力も無かった。


 縛り首にされたかのような絶叫が森の中を響く。

 レイリーリャは恐怖で驚いて立ち止まり辺りを見回す。頭上から羽音が耳に入り、その方に首を見上げる。

 両羽をばたつかせて飛ぶ野鳥が目に入ると深い安堵の息が腹の底から出た。



「……驚かせないでよ~。心臓に悪いよ。」



レイリーリャは独り言を言う。



「この辺りは鳥系の魔獣は出るのかな?

 …………出たら嫌だなぁ。」



 再び走り始めると、落ち葉の上を踏む乾いた足音が森の中に拡がり始めた。



 それからレイリーリャは走る事と歩く事を三度繰り返した。現在は走る力と気力が無くなり、息が続かず口が開き放しのまま歩いていた。

 走っている時間よりも、歩いている時間の方が長くなっていた。

 走ると喉の奥が押しつけられるように苦しく感じる。

 ふくらはぎも痛い。

 休みたい。

 つらい。



「…………もう、ここまで、来れば、だいじょうぶ だよね。」



 後ろを振り返り、今まで逃げてきた道程を見る。ハイリアルを撒けたのではないか、そういう期待が籠もっている。


 進んできた木々の間には、青紫色の髪をしたハイリアルが追っている姿は見当たらなかった。

 その代わりそこには、茶色の皮膚をしたトロールの姿があった。

 頭を真横に傾け立っている。

 それは身体は人間の倍近い大きさの魔物で、上下に細長い顔がその半分近くを占めている。その片手には、身体と釣り合わない短い棍棒を握っていた。


 レイリーリャはそれが目に入った途端、恐怖と驚愕で呼吸が止まる。



「―――何アレ。うわぁぁぁぁぁ!」



 レイリーリャは絶叫し振り返ると同時に走り出した。トロールは奇怪な姿で得体の知れない怖さで恐慌した。

 追いつかれてしまったら何されるか解らない。

 震えそうになる両足に踏みしめる力が入る。目に付いた方に向かって逃げる。方角を気にする余裕などない。


 トロールはレイリーリャが逃げ出した事に気付くと、頭を真横に傾けたまま歩き出す。レイリーリャを追いかけ始めると、傾けた頭と顎が木に引っ掛かる。前に進めない。



「んぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」



 トロールは叫び声を上げながら、頭が引っ掛かった方の木の幹を棍棒で打っ叩く。

 振り切った棍棒が当たった所からへし折れ幹が倒れる。

 トロールは顎が引っ掛かっている方の木を避けずに、その幹も棍棒で打っ叩く。その木も折れた所から倒れる。

 トロールは頭を真横に傾けたまま、再びレイリーリャを追いかけ始める。


 落ち葉を踏みしめて走るレイリーリャの足音が森の中に響く。

 真横にした顔に浮かぶ表情が無いままのトロールが奇声を唸りながら、レイリーリャに歩いて追いかけていく。

 トロールは頭を木の幹に引っ掛ける度に叩き折る。そうしながら歩幅が大きいせいなのか、歩いて追いかけているにも拘わらず、徐々にレイリーリャとの距離が狭まっていく。


 レイリーリャは落ち葉の間から地面に曝け出した木の根を踏みつけた。踏みつけて跳ねるようにして前に走ると、何かが吠えるような声が聞こえた。

 頭の右斜め上から何かが薙ぎ払う。

 レイリーリャは驚き咄嗟に地面に屈む。

 風切り音と共に、薙ぎ払う枝が頭上を通り過ぎた。

 後ろで何かを叩きつけられた音が耳に入る。

 顔を上げて見てみると、レイリーリャを狙って薙ぎ払ったのは葉の茂る枝であった。


 レイリーリャは立ち上がって木の枝が薙ぎ払ってきた右前方を見上げた。

 そこには櫓より高く伸びた広葉樹が生えているのが目に入った。

 その幹にまばらに現れた節々が目となって、野獣の目のようにレイリーリャを睨む。樹木が魔物化した怪物であるトレントが襲ってきたのだった。


 トレントは薙ぎ払ったのとは別の枝を、レイリーリャを狙って上から薙ぎ払おうとする。

 レイリーリャが屈んで避けると、枝はその後ろにいた何かを叩きつけた。

 レイリーリャが後ろを振り返ってみると、頭を真横に傾けたままのトロールが立っていた。

 トロールは顔面を枝で叩かれ、鼻や口から流血している。

 怒りが籠もっているのか疑わしい緊張感の無い叫びを上げると、その幹を棍棒で叩きつける。

 叩きつけられた幹は表皮が剥がされ、白い幹を曝け出す。

 トロールも口や鼻の穴から、どす黒い血が下に滴り落ちている。



「んぼぉぉぉぉぉぉぉぉ」



 トロールが絶叫し幹の同じ所を何度も棍棒で殴り続ける。トレントもまた、複数の枝をトロールの顔面に叩きつけ応戦する。


 その様子をレイリーリャは目にすると、驚きと恐怖で立ち竦んでしまった。

 二匹の魔物はそんなレイリーリャの事など忘れたように、向かい合って一心不乱に叩き合いを続ける。魔物達の怒号と殴られる音が森の中に響き続ける。


 レイリーリャははっと我に返る。そして音を立てて気付かれないよう、気をつけながら忍び足でその場から立ち去った。



 二匹の魔物達が殴り合う音や気配を感じられなくなると、レイリーリャはその場で立ち止まった。そして尻から落ちるように地面に座り込んだ。その途端、顔を真下に項垂れ目を瞑り、力なく息を吐いた。



「―――怖かったぁ。……」



 気が付くと背中や両脇など上半身が汗で湿っている。幸いスカートの下は大丈夫だったが。

 無表情のまま近付くトロールの真横に傾いた顔。狙ったように顔面に迫って来るトレントの枝。これらがレイリーリャの記憶の中に現れると恐怖が甦る。


 森に生えている木々によって空は覆われ、その枝の隙間から見える空は曇っていた。辺りは薄暗く陰鬱だった。

 レイリーリャは頭を上げ周囲を見回した。しかしどの方向に目を向けても、同じような木々しか目に入らなかった。



「…………ここどこ。」



恐怖による寒気が両肩や背中を襲う。



「…………迷った?…………」



愕然とし全身の力が抜ける。



「どうすんの?……」



 この問いに答える声など無かった。

 風に吹かれてざわめく木の葉の音だけしか無かった。



「…………こんな嫌な目に遭うなら、逃げ出さない方が良かった。……」



 レイリーリャは後悔し嘆く。



「……逃げ出さなかったら?……どまーらる何とかと戦って殺されちゃうかもしれないし、……どっちにしても同じよね……。」



 逃げても逃げ出さなくても危険な目に遭う境遇に陥った自分自身に対して悲しくなった。目が涙で滲んでくる。



「…………どっちにしてもぉ……、……どっちにしてもぉ……どっちにしても……。」



 泣きたくなる衝動を堪え、悲しくなりつつも考える。



―――……どっちにしても、今逃げてるんだっから…………



―――ここでじっとしないで、動いて逃げる……しかないよね?



 レイリーリャはいつの間にか下に俯いていた顔を上げる。

 森の中は木の幹が立ち広がり薄暗かった。

 木々が途切れ出られそうな所は見えなかった。



―――……だとしたら、どこに逃げる?



 逃げてきた方に戻るのは、再びあの魔物達に遭遇し襲われる怖れがあり、それを行ったら今度は逃げ切れずに捕まる可能性があった。


 またハイリアルがいた方に戻るのは、戻った後にどんな叱責や罰を与えられるかを考えると怖ろしくて出来なかった。


 それに一目散に走って逃げた事で方向感覚が完全に狂い、元来た方向がどっちか解らなくなっている。最悪その方に戻るにしても本当に元通りに戻れるのか怪しかった。


 そして今いる場所は初めて来た地域で、土地感覚が全くない上にその土地についての知識も全く無かった。それ故にどこに何があってどこに向かうか全然見当がつかないのであった。



―――高い所から見れれば、どっち行けば良いか解るかな。



 レイリーリャは立ち上がった。すぐ側に生えている木を前に、頭を下に下げ何も言わず気持ちを集中させた。そして顔を上げると両手両足で抱きつきしがみつく。

 枝や葉が視界を遮らず、遠くまで見えそうな所まで登って眺めようとした。抱きついている腕を上に上げてしがみつき、上に登りたかった。


 しかしそうする為に片腕を離すと、下に滑り落ちていきそうになるのであった。

 抱きついた両腕をその状態のまま、少しだけ上に上げようとした。長さにして数センチしか上がらなかった。

 片足の裏を幹に掛けよじ登ろうとするが、足裏が端しか触れられず、しっかり密着せずに滑ってしまう。



―――……もうダメ。



 レイリーリャは木の幹に抱きついた姿のまま滑り落ち、尻から地面に着いてしまった。

 レイリーリャは猫の獣人にしては珍しく、木に登るのは苦手であった。

 レイリーリャは俯き唇を噛む。


 木に登って現在地を確認出来なかった事は残念ではあったが、それが苦手で余り登れない事は覚悟していた。


 しかしこの土壇場であっても力を出せず、相変わらず木に登る事の出来ない自分自身の無力さに対して、再び悲しさと情けなさがぶり返す。


 レイリーリャは幹に額を付き項垂れた。



―――…………何やってもダメねぇ……。



 両目から涙が滲みそうになる。



―――…………でも何とかしなきゃ。



 切り替えるように勢いを付け、立ち上がった。



―――……とにかく、抜け出さないと。



 見晴らしの良い所はどこか解らないので探す事は保留する。方向感覚が狂っているので正確とは言えないが、とにかく行く時に通った道の方に出る、その事を第一とした。

 互いに争う二匹の魔物達とは関わらないようにぐるっと回って、避けれるように森の中を再び歩き出した。


 森の中を少し歩いて行くと、吠える声や堅い物が叩かれる音など、二匹の魔物が闘う音がレイリーリャの耳に入ってきた。


 レイリーリャは恐怖を感じながら、こわごわその方を見つめる。木々に遮られ魔物達の姿は見えない。しかし争っている雰囲気が感じられる。



「…………大丈夫。大丈夫…………。」



 レイリーリャは自分自身に言い聞かせる。

 レイリーリャは身体を縮めると、気付かれないようつま先立ちで進んでいく。

 枯れ葉を踏んで音を立てる度に立ち止まる。

 緊張で両肩に力が入り、魔物達の闘う方を見つめる。

 そして何事も無いのを確認すると再び前に歩いて行く。


 陽の光が森に遮られ、暖められず冷えたままの風が、レイリーリャの背中を叩き通り過ぎていく。



 レイリーリャはしばらく進んだ。いつの間にか二匹の魔物達が闘う音が耳に入らなくなっていた。今進んでいる所から斜め後方が闘っていた所であった。



「そっちはもう、大丈夫だよね?」



 レイリーリャは独り言のように呟くと、あの二匹に襲われる事は無くなったと思いほっと溜息をついた。



―――このまままっすぐに行けば道に出れるかな?



 森の木々に変化は無いように、レイリーリャにはそう見えた。


 しかし砕かれて地面に薄く広がった枯葉や、木の根元に残るむしり取られたキノコの根、割られて断面を曝け出した石などが存在するというような変化があった。

 レイリーリャはそれらを見て、その意味に気付く事が出来なかった。




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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる

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