9.昼前の逃亡


 レイリーリャは厩舎の中にいるのがハイリアルだと解った瞬間、咄嗟に全速で首を引っ込めた。驚きの余り息が止まりそうだった。



―――……なんでハイリアルさまがいるのぉ!こんな早い時間なのに…………。



 出そうになった叫び声を抑え、屋内にいるハイリアルの目に入らない厩舎の陰に隠れる。

 

 昨日ハイリアルを起こしに行った時には既に起きていたとはいえ、普段ハイリアルが館にいた時であれば、この時間は寝ているはずの時刻であった。ハイリアルが起きる時刻は夜明け過ぎ焦兎の刻(午前6時)位で、館ではそれ位にメイドが朝の準備で現れるのであった。


 しかし昨晩のうちにブローデンが逃げ出してしまった。その代わりとしてレイリーリャに馬の世話を任そうにも、全く馬について解らず任せられないので、馬に給餌等を出来る者がいなくなってしまった。その結果、獲獅子の刻(午前4時)過ぎにはハイリアル自ら厩舎でピッチフォークを握って、馬達に餌として干し草を与えねばならなくなったのである。


 ハイリアルがそれらについて全く説明しなかった事から、レイリーリャにはその事情を全く知らなかったのである。


 レイリーリャは動揺し逸る気持ちで、走って逃げそうになる。



―――い、いけない。戻らなきゃ。見つかっちゃう……。



 レイリーリャは逸る気持ちに流されそうになるのを堪えながら、音を立ててしまってハイリアルに気付かれないよう、荷物を抱きかかえ元来た方に振り返る。それから踵を上げつま先だけ付けた忍び足で歩き出した。そして恐る恐る宿の建物の中に戻っていった。


 中に戻るとカウンターには出る時に会った宿の従業員が立って何か作業をしていた。従業員が振り返ると、荷物を抱えたまま戻ってきたレイリーリャを目にして怪訝そうな顔をした。



「わすれもの、わすれもの…………。」



 レイリーリャは呟きながら目を合わせず通り過ぎる。顔を見られた瞬間に不審な行動をした事を暴かれる事に怯えてしまい、思わず忘れ物して戻るような振りをしてしまった。


 部屋の室内へ戻るまでに従業員達からどうしたのかと尋ねられる事はなかった。だが部屋にいる間ずっと、従業員がハイリアルにレイリーリャが出発しようとした事を尋ね、逃げようとした事が暴かれないか怖く感じたのだった。



 ハイリアルが自室に戻ってからも、レイリーリャは不審に思われないよう意識して振る舞った。昨日とは違い、積極的に話しかけず聞かれない限りは黙っていた。


 ハイリアルは相変わらず眉間に皺を寄せ険しい顔をしていた。しかしレイリーリャに対して不審に思っているような素振りは無いというより、相変わらず無関心なようであった。



「……今日も怪物達は出るだろうな。」



 ハイリアルが食堂で黙々と食べながら呟く。



「……そうでしょうね。」



 レイリーリャはハイリアルが食べる横に立って給仕をしていた。いまだ動揺している心うちが現れないよう、表情を崩さずに相槌を打つ。



「なら、覚悟しておいた方が良いな。」



 レイリーリャはこの言葉を聞いた時に、凶器を突き付けられたように脅され追い詰められたように感じた。緊迫し自らの身体が硬くなっている事に自覚していなかった。何も答えられなかった。


 ハイリアルは気にする事なく黙々と食べ続ける。フォークが皿に触れる音だけが食堂内に響き渡る。



 様々な片付けや準備が終わり朝方を過ぎた頃、二人は馬に乗り宿を出発した。


 レイリーリャが出発する準備を宿の前でしていた。

 その時に、夜明け前にフロントで声をかけられた従業員から「この時間に出るのですね。」と何か言いたそうに尋ねられた。


 レイリーリャは思わず動揺してしまい、思いつくまま返事を口から垂れ流した。辻褄が合わないどころか内容自体意味不明でよく解らないものだった。説明しているレイリーリャ本人も何言ってるか解らなかった。


 聞いている従業員も言っている事が理解出来ないようで、適当な言葉を返せずにぽかんとしていた。だがレイリーリャは何とか誤魔化す事が出来たのだった。



 この日の空は雲に覆われていた。陽が雲から現れず、暗く沈んだ空気を辺りに漂わせている。


 レイリーリャは心の中が恐怖に追い立てられている。もし今日中にハイリアルから逃げ出さなければ、魔物達に襲われ殺されてしまう。そんな思いに囚われていた。


 獣系の魔物の牙で噛み裂かれ、怪物達が握り締める棍棒で頭を砕かれ、刃物で肩から切り落とされる……。そういった自らが殺される想像が心の内に湧いてくるのだった。



―――……とにかく逃げないと。……じゃあ、どうやって?……



『どうやって』という言葉がレイリーリャの心の中で動揺と焦りを伴って繰り返される。

 何か案が思い浮かぶ毎に無理なような気がして、即座に否定してしまう。


 ハイリアルに捕まらず、絶対に危険無く無事に逃げられる案は思いつかなかった。



―――……どうしよう…………どうしよう…………。



 レイリーリャは心の中で馬上で徒に同じ言葉を繰り返す。

 風に吹かれ木の葉が擦れ合いざわめく。



 しばらく進むとハイリアルの乗る馬は立ち止まった。



「ここで一旦休むぞ。」



 ハイリアルはレイリーリャに振り返って告げると、乗っていた馬の手綱を木の幹に結びつけた。



 ハイリアルは色々と休む準備をした。そして道の端で横になり、片腕を日光を遮るように目の上を覆った。馬の世話をする為に普段より早めに起きて眠気が残っていたからであった。

 レイリーリャはこの様子を見て、心の内から急き立てられる。



―――チャンスは今しか無い。



 決心する。

 立ち上がるが、足が緊張と恐怖で震え力が入らない。



「…………お、おはなつみに、いって、まいります。」



 レイリーリャは俯く。ハイリアルの顔を見れなかった。

 口から出る言葉も震えで喉につかえそうになる。

 直ぐに離れたかった。



「うむ。」



 腕で隠したままハイリアルは応える。



「……いってまいります。」



 レイリーリャは道の側に生える草むらに踏み入れ森に向かおうとした。

 一刻でも早くハイリアルから離れたく思い、動揺する気持ちに急かされ焦っていた。


 草むらに足を踏み入れると、ハイリアルの鋭い声が後ろから掛かる。



「おい、お前。」



 レイリーリャは固まった。

 逃げ出すのがバレたかと怖くなり、身体が竦む。



「護身用の剣、持ったか?」



 ハイリアルは上半身を起こし、レイリーリャに向かって尋ねる。



「もっ、持ってません。」



 レイリーリャは身体が震えながら、頭を左右に強く振る。



「伝えるのが今頃になって済まぬが、一人で道から外れ藪や森に入る時は、必ず護身の為に剣か何か武器を持て。怪物や野獣などに襲われるかもしれんからな。」



 ハイリアルは自らを戒めるような調子で謝り説明した。レイリーリャの表情に現れている態度については意識していなかった。


 それから立ち上がり、馬に背負わせていた荷物の上に縛ってある短剣を引き抜いた。そしてレイリーリャの側まで歩み寄り、短剣の柄をレイリーリャに向けて伸ばした。


 レイリーリャはハイリアルが謝った事に戸惑った。そう感じながら、渡す短剣の柄を片手で掴むと、もう片手で鞘を掴み受け取った。



「ありがとうございます。」



 レイリーリャは礼を言う。ほっと安心したのが表情に出そうになり顔を装う。



「…………そういえば、お前は攻撃で使える魔法は使えないよな?」



「全く使えません。」



「そうか。足止めしてすまぬな。」



ハイリアルは片手を上げて詫びる。



「……それでは失礼します。」



 レイリーリャはハイリアルに頭を下げると、森のある方に振り返り早足で歩き始めた。



 ハイリアルは再び横たわり、仰向けになって両目を瞑る。



「……あの者が簡単な物で良いから、何か攻撃魔法が使えれば……。」



 そう呟くと眉間に皺を寄せ唇を噛んだ。そして掌を胸の上に置くと、何かを確認し圧迫するように掌で抑えつけた。

 


 レイリーリャは歩いて森の中に入った。

 森の地面は赤褐色した枯れ葉に覆われ、その奥には白い雪が融けずに残っている所もあった。レイリーリャが一歩踏み入れる度に枯れ葉が踏まれ、柔らかい音が耳に入る。

 奥に向かって少し歩くと、今まで歩いてきた方を振り返る。森の木々に遮られ、ハイリアルが追いかける姿は見れなかった。



「嘘のつもりが、本当にしたくなっちゃった……。」



 レイリーリャは今すぐにでも走って逃げ出すつもりであった。しかし離れる方便であったはずだったのに、本当に尿意が起こってしまった。我慢し続けられそうもなく、困惑と不安で焦りそうになる。


 だがレイリーリャに我慢しきる事は出来なかった。木の後ろに隠れ下着を下ろし、しゃがんで用を足し始めた。

 尿が落ち葉に当たる音だけが響く。

 森の奥は暗く陰り人のいる気配は感じない。

 少しでも早く逃げ出した方が良いはずだ。それなのに、この用を足して動けない状態でいる事に、なぜか安心感みたいなものを感じる。

 逃げ出さずにこのまま留まりたくなる。



―――…………このままじゃ、本当に逃げられなくなっちゃう……。



 振り切るように頭を左右に振ると、後の処理を行った。


 後処理を終え周囲を見回す。周りに人の姿は見受けられなかった。しかし今にでもハイリアルが捜しに、こちらに来そうな感じがして怖かった。

 レイリーリャは中止したい気持ちを振り払うように、目の前に生える木の幹を小剣を掴んだまま両手で突いた。それを弾みにして、ハイリアルから一刻も早く離れようと、森の中を駆け出した。




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作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる

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