8.夜明け前の逃亡
ハイリアルが街の己立者ギルドから宿泊する宿に戻る頃には、陽が沈み空は暗くなっていた。夕食を摂る時刻となり、そこの一階にある食堂で食べる事となった。
ハイリアルはこの時も変わらず険しい顔して黙ったまま食事をしている。ワインレッド色した魔道具のレンズが透けた向こうに、獲物を捜すような鋭く激しい右目が映る。
レイリーリャは彼が食事をするテーブルの横に立ち、給仕を行っていた。
沈黙したままの彼の態度に対して、自分も逃げ出すと疑っているように思っていた。彼にその事が気付かれてしまい、失敗する事や叱責を受ける事を怖がっていた。その為には怪しいと疑われないような振る舞いをしなければならない、と思い込んでいた。
「……今日は風が強かったですね-。」
レイリーリャは笑顔を作りハイリアルに話しかける。
本心では、
しかしそれを話した場合は、つい彼に付いて行くのを止めて逃げ出したいという本心を曝け出してしまい、逃げ出す事が明らかになってしまう事を怖れていたのだった。
それ故に敢えて異なる話題を振ったのであった。
「そうだな…………。」
ハイリアルはフォークに刺された菜っ葉を口に入れる。
「……」
「……」
レイリーリャの耳にはハイリアルの咀嚼音と食器が触れるしか入らない。
彼女は今彼が何を考えているのか解らなかった。
逃げ出す事を気付かれてはいけないと思う。
「……明日は雨が降らないと良いですね……。」
「……そうだな…………。」
ハイリアルは噛んでいる物を飲み込んでから答える。
「…………」
「…………」
レイリーリャの耳にはハイリアルの咀嚼音と食器が触れるしか入らない。
彼女は今彼が変な雰囲気を感じたのか解らなかった。
不安と焦りを感じる。
今の怪しい雰囲気を誤魔化さなければいけないと思う。
「…………あの花瓶の花は何という花ですか?……」
「…………知らん…………。」
ハイリアルはスープに匙を入れたまま動きを止める。
「……………」
「……………」
レイリーリャの耳には匙を置いた音しか入らなかった。
今、彼が彼女の不審な態度を疑っていると思っている。
焦りと怖れを感じる。
背中から汗が滲んでしまっている事には自覚していない。
とにかく、逃げるのかと疑われている事を誤魔化さなきゃいけないと思う。
「………………あの壁の木目は、何かローパーの顔のように見「静かにしろ。落ち着いて食べさせろ。」
ハイリアルはレイリーリャの顔を見上げ、眉間と額に皺を寄せてうんざりしたような表情をしたまま窘めた。
「……ローパーの顔がどこだと、自分で解っていて言っているのか。」
ローパーは陸上で生息する魔物で、全身からロープのような触手を生やした巨大化したイソギンチャクのような見た目である。
ちなみにローパーには顔に当たる物は無く、点のように小さい目は触手の先にあり、口が無い代わりに、触手の表面で得物を溶かして腸のように吸収するのである。
「―――失礼しましたッ。」
レイリーリャは力一杯頭を下げ謝った。余りにも不自然で変な態度だったと、振る舞った自分自身でも思った。それで逃げ出す事がバレてしまったかもしれないという恐ろしさと焦りで狼狽してしまった。
ハイリアルは彼女の態度が想定外のようで動きが止まった。
「…………そんなにしてまで謝る程、我は怒るつもりは無いが……。」
そう呟くと、顔を食器の方に戻し肉にフォークを刺して再び食べ始めたのだった。
レイリーリャはハイリアルに対して行う食事の給仕を完了させた。それから自らの食事と片付け、彼の翌日の準備など、今日のうちに行わねばならない事を終わらせた。
そうしてから自らが泊まる従者向けの部屋に入ると、片手を後ろ手にして扉を閉める。背中と後頭部を扉をもたれかかり、そのまま滑り落ちるように床に座り込んだ。
「……怖かったぁ……。」
思わず口から体内の力と一緒に漏れる。
「逃げるのバレたかと思ったぁ……。」
深く息を吐いたと同時に、頭がかくんと下に下がる。俯いたまま脱力し、力が抜けた感触を味わい、快く感じる。
脱力感に満たされ味わい続けようとした時に、今いる部屋が一人部屋でない事を思い出す。その瞬間、両目を見開き額に皺を寄せ口を開いたまま固まった顔を上に上げ、周りに誰か居ないか見回す。
「……大丈夫だよね?」
今の様子を誰かに見られたかもしれないと思った瞬間、怖ろしく感じた。
彼女が今いる部屋は二人部屋で、この日は知らない他者との相部屋前提の宿泊だった。ベッドというより寝る為の長い台二つが、両壁にくっついて据え置かれている。この部屋に宿泊するのは彼女だけのようで誰も居なかった。
―――……あぶない。あぶない。用心しないと。
レイリーリャはまた深く息を吐く。
吐いた口から漏れていくように、身体に入った余計な力も抜けていく。
―――まずは人がいるかいないか確かめないと。
……それに声が聞こえバレちゃうかもしんないから、静かにしないと……。
そう思い気を引きしめると、床に置かれた背負い袋の中に、着替えなどといった翌日持ち出す荷物を詰め込み始めた。
外で風が吹く度に、窓を塞ぐ板戸が震え音を立てる。その隙間から冷え切った春の夜風が室内に入る度に、口笛のように音が鳴る。
レイリーリャは肩を竦めると、両肩に掛かった肩掛けを両手に取り首許に寄せた。
翌日逃げ出す準備を終わらせた。翌日の日の出前までにここを発って逃げるつもりである。
普段よりも早く夜着に着替え就寝の準備をすると、首に掛けていたネックレスを外し片手で握る手に力を入れた。このネックレスは伯爵家に勤める前に、出身の孤児院にいた神父よりお守りとして頂いた物であった。
彼女は目を瞑り祈りを捧げる。
「……ネレイステセシア様、今日……は何とか死なずに済みました。……守って頂き有難う御座います。明日も良いご加護を頂けるようお願いいたします。」
習慣として唱えている祈祷の文言が、昼に魔物に襲われ内容が変化している。
「そして明日は……」
唱え始めてから、聞かれぬよう用心しなければいけない事を思い出す。
…………どうかどうか、ハイリアルさまから、上手く無事に逃げられますように。本当に本当によろしくお願いいたします。
レイリーリャはネレイス教の熱心というほどでは無いが一応信者なので、形ばかりの就寝前の祈りを毎晩行っている。しかし今晩は無事に逃げ切れるかどうか不安を拭えず、普段以上に念を込めて祈らずにはいられなかった。
祈り終えると明かりを消して布団の中に潜る。不安が少し軽くなったような気がする。
……それにしても早く起きれるのかな……。
それでもまた、新たな不安を感じながら、眠りに落ちていった……。
…………レイリーリャは夢を見ていた。
今まで見た事の無い道だった。
そこを真っ直ぐに進んでいる。
自分と同じ身体の大きさで茶色い茸の魔物であるマタンゴと緑色のゴブリンに、後ろから追われている。
「……もう、来ないでよ。」
彼女の呟きが口から漏れる。
目の前に現れる段差や川、陶器で出来た筒などを飛び越えよじ登っていく。所々で自分と同じ大きさの頭だけになった副メイド長やブローデン、それに妖亀などが向かってくるので、上に飛び乗り踏みつけて潰す。
それらが潰れて消えていく時に、気持ちが悪いどころか不思議とすっきりした。
もう少し踏み潰し続けたいとさえ思った。
これを繰り返し先に進んでいった。すると長い登り階段が目の前に現れたので、上まで登っていく。階段を登り切ると、その先が途切れ断崖のようになっていた。その向こうには三角旗がなびいているのが見える。
無性にあの旗を手に入れたくなって、階段の上から助走して旗に目がけて飛んだ。
踏みしめた左足が離れ飛んだ。身体が宙に浮かんだ途端、飛躍が止まる。左足首が何かに縛り付けられていて、頭が下に落ち始める。いつの間にか左足に鎖で階段の先と繋がれている。
欲しかった旗が視界から消える。
鎖に縛られたまま逆さに落ちていき、階段の断崖面が目の前まで迫ってくる。断崖面に叩きつけられそうになる。
ぶつかる。怖い。喚き声が口から出る。
―――夢か…………。
レイリーリャは目が覚めた。起きてみて見た物が夢であったと気付く。
…………何かよく解んないけど、怖い夢だったなぁ。
その内容を思い出そうとすると気が重くなる。
床から抜け出し立ち上がると、窓に寄って木戸を上に上げ外を眺めた。
外に広がる木々は暗く陰でしか解らず、まだ夜は明けていなかった。
「…………日が昇る前に起きれたようね。」
彼女の気持ちは重く沈んだ。
まるで逃げ出す事の方が都合が悪く落胆するようだと、自分自身でもそう思える。
…………逃げ出せた方が良いのに……。
自分自身でもそう感じる事に疑念を感じた。
………………とにかく、急がなきゃ。
気持ちを切り替えるスイッチを入れるように力を込めて木戸を閉めると、着替える為に夜着を脱ぎ始めた。
着替えを終え持ち出す物を揃え、逃げる準備を終えた。
……朝ご飯は歩きながら食べれば良いかな。
小袋の中を覗き込み黒パンが有るのを確認する。
彼女は耳を澄ます。ハイリアルが宿泊する上の階からは足音などは聞こえず、空を渡る鳥の鳴き声や厩舎から馬の嘶くのが耳に入る。
………………ハイリアルさまはまだ起きていないようね?―――行こう!
レイリーリャは荷物を背負い部屋のドアに向かった。
廊下を覗ける程度に少しドアを開ける。その隙間から廊下を覗く。誰もいない。
彼女は足音を立てないよう気をつけながら勝手口へと向かう。不安と興奮で両足に力が入らず震える。何か自分の足でないように感じた。それでも抜き足差し足で前へ進む。
少し進み受付の前まで辿り着く。
玄関は閉められており、勝手口も受付の前を通らねば外に出れないようになっていた。そこには人はなく明かりが灯ったままであった。
受付に置かれた時計の魔道具は獲獅子の刻(午前4時)から半刻(午前5時)近くを示していた。
レイリーリャは受付のカウンターに寄らずに通り過ぎ、無言で勝手口へと向かう。
「おはようございます。もう出発ですか?」
突然彼女の背中越しに声が掛かる。驚きの余り叫んでしまいそうになる。恐る恐る振り返ってみると、受付のカウンターに宿の従業員が、作り笑顔をして奥の部屋から現れていた。
「おっ、おっ、おはようございます。」
レイリーリャは動揺し、出る声が震えそうになる。
「えっと、…………すぐにぃ出るとにゃっ てもぉ、だいじょうぶにゃよう にぃ、にもつを、うみゃごやに、おいとこうと、おもい まして……。」
彼女は咄嗟にこの時間に外へ出て行く理由を、口から出るまま述べる。自分でも口から出る言葉を理解出来ていない。出る言葉はしどろもどろとなってしまい、背中に汗が滲み始めた事を自覚していない。
「…………そうですか。この時間ですと外はまだ冷えておりますので、厚着をされた方がよろしいですよ。」
従業員は怪訝そうに眉間に皺を寄せつつも、口許に作り笑顔を浮かべ続けている。
「すぐなんで、だいじょうぶです。」
レイリーリャはそう答え振り返り勝手口へと向かった。
勝手口の扉を音が出ないように開き外に出た。
東の空の地平線からまもなく日が昇ろうとしていて、朱色に色づき始めている。
厩舎は中庭の西側にあった。
出入り口の扉は開かれていて、馬達の嘶きが漏れてくる。
レイリーリャは足音を立て気付かれないよう厩舎に猫足で歩み寄る。
近付くにつれて独特の臭いが鼻につく。臭くて嫌に感じ、臭いを吸わないよう息を止める。
屋内から何か道具で掬った際に床を擦るような金属音がするのが耳に入る。
彼女は宿の従業員か誰かがいるのかと思い不審に感じる。そして出入り口の脇に寄ると、そぉっと顔を少し出し中を覗いてみる。
馬達の前でピッチフォークを使い、干し草を与えている男がいるのが目に入った。
レイリーリャは男を凝視した。
いるはずの無いハイリアルであった。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
嬉しいです。
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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。
作者おだてりゃ 木を登り
ますます ハナシ 創りまくる
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