3.ドマーラルシズト


「……ブローデンは逃げてしまったぞ。」



 この言葉をハイリアルから伝えられた時、レイリーリャの頭の中の動きが止まった。

驚きの余り開かれたままの口からは、何も言葉が出なかった。


 ブローデンが昨日襲い掛かってきたゴブリンに対して余裕を持ってあしらってた様子や、昨晩『死を司る者』ドマーラルシズトを倒すのを引き受けた様子を目にして、彼女はこれを覆し逃げるとは、微塵も想像をしなかったからであった。



「…………ハイリアルさま、どういう事ですか?」



 彼女の両肩が下がり、その身体から力が抜け落ちてしまった。



「これに書いてあった。読めるか?」



 ハイリアルはブローデンが置いていった書置きを差し出した。その際彼女が呆然としている態度に対して気にする様子は無かった。

 書置きはベージュ色をした紙に、書き癖で歪んだ文字が黒いインクで無理に等間隔に並べて書かれていた。



「……少しですが、孤児院でシスターに教わりましたので読めます。」



 彼女は彼が字が読めないと見做した事に対して自尊心を傷つけられ、少し悲しく感じた。しかしそれを顔に出す事無く、両手でそれを受け取った。そして眉間に皺を寄せ、暗号を読むかのようにアクセントを付けずに音読し始めた。



「……えっと、『…ハイリアル様、臣ブローデン クランベルシグはおそれ多きながらも申し上げます。


 昨晩、死を司る者こと、ドマーラルシズトを倒す支援を行うと、申し上げました。


 然れども、改めて私の武力とドマーラルシズトの力とを比較した結果、畏れ多きながらも、ハイリアル様が無力でドマーラルシズトごときに敗北してしまうなどとは、欠片も考えたことなどございません。


 しかし私の力では、ハイリアル様を支援しドマーラルシズトごとき代物を打ち倒すには、余りにもその力が不足しております。

 

 ハイリアル様の支援どころか、足を引っ張り余計に苦しめてしまう事を、臣ブローデンは非常に恐れております。

 

 考えただけで私の心だけで無く、この手に握るペンも震え、何も書けなくなってしまいそうな程です。―――』」



 昨日ブローデンと一緒に居た時にレイリーリャを見下した言動が、心の中に浮かび上がる。

 その瞬間手紙を掴んだまま右手を握る力が入り、音読する口が止まってしまう。


 思わずその手で口許を抑えつけてしまう。口から出そうになったブローデンを貶す言葉は、幸い口から漏れずに済み、思わずほっとする。

 改めて気を取り直すと再び音読を始める。


 

「…………『重ね重ねハイリアル様には力が無く、ドマーラルシズトを倒せないとは欠片も思いません。

 然れども、私めがハイリアル様の足を引っ張り、大望を叶える事を妨げてしまう事を非常に恐れています。

 

 そんな無力な私めが、おめおめとハイリアル様の面前に顔を出すような、恥知らずで、不忠義な、真似は出来ません。


 それ故に、臣ブローデンは、この場から退去、させていただきますぅ。……』」



 再び彼女の音読する口が止まってしまう。

 これに書かれたハイリアルの元から逃げ出す理由が、全く理解出来ず納得出来なかった。



…………どういうこと?



 これを受け入れる事が可能な納得出来る考えは頭の中に思い浮かばなかった。釈然としないまま再び音読を始める。



「……『大海原の如く寛容な上に、連なる山々の如く沈着でいらっしゃるハイリアル様の事ですから、厚顔無恥な私でも、ハイリアル様の面前にて仕える事を許して頂ける事を想像出来ます。


 それ故にこそ、ハイリアル様のお心遣いに甘える訳にいきません。


 従って不肖ブローデン クランベルシグは、ハイリアル様の目の入らぬ所へ、立ち去らせて頂きます。


 ハイリアル様のご健闘と大望を成し遂げる事をお祈り致します。


臣、ブローデン クランベルシグ』……。」



レイリーリャはこのブローデンが書いた手紙を読み終えた。

 頭を左に傾け眉間に皺を寄せ、引きつったように右の口許が開きっぱなしになっていた。


 最後まで音読してみて、ブローデンが書いた手紙は必要以上に慇懃で回りくどいように感じた。それから書かれた弁明の内容は余りにも論理が飛躍しているように感じられ、身体に力が入らず脱力していた。



「…………わたし、あんまりアタマが良くないので読んでもよく解っておりませんけど、ブローデン様はここからにげ……出て行かれてしまって、私達とは二度と一緒に行動しないという事ですよね。」



 レイリーリャは呆れが混じった表情をしているのを自覚せぬまま、ハイリアルに疑問をぶつける。



「そうだ。……あの男、この期に及んでクドクドと言い訳を書き続け、無駄な見栄を張っているが、そうする方が余計に見映えが悪く、―――見苦しい。」



 ハイリアルはブローデンに対して怒り出すのではなく、問題を抱えたような沈んだ表情をしている。



「潔く、ドマーラルシズトに殺られたくないと、面を向って言ってくれた方が遥かにマシだがな。」



 こう論評するかのように言うと、小さく左右に首を振りながら、力が抜けるように息を吐いた。



「……ハイリアルさまぁ、メチャクチャ大変なことになっちゃったじゃないですか。どうするんですか?!」



 彼女は目を見開き、言葉は昂ぶって口から出る敬語が雑になってしまう。余りの焦りと驚き、不安が動揺となって自らを押し流し、それを自覚出来なかった。



「……こうなってしまうのも仕方が無いな。」



 彼の表情は沈んではいるが、焦るなどして動揺する事は無いように彼女には見えた。彼が逆上して彼女に怒りをぶつけるんじゃないのと疑っただけに、その反応を意外に思えた。



「なんでそんなに落ち着いていられるんですか。ブローデンさまはここにいないのですよ。ハイリアル様と、戦う力が無く、身の回りを用意することしか出来ないメイドのわたしだけなんですが。」



 興奮する彼女から出た言葉は昂っていた。大問題をそうだと捉えていないような落ち着き振りに、何か腹立たしさを感じていた。しかし、身分の差を今は意識していた為に、表に出して怒りたくなる事を抑えられていた。

 


「そうだな。元々、ブローデンに断られてしまうのは覚悟の上だったし、己立者ギルドか何かで協力者を数人程求めるつもりだったしな。


 ……それにお前は料理も作れるんだろう?なら大丈夫だ。さすがにお前にドマーラルシズトと戦う手伝いをさせるつもりは最初からないからな。」


 ハイリアルは反論するでもなく淡々としている。



「そりゃあスープ位作れますけど、……大丈夫じゃありませんよッ。


 ……そもそも、ブローデンさまでさえ戦わずに逃げ出してしまう、ドマーラルシズトとは何者なんですか!?」



 レイリーリャは喋りながら憤りのように興奮していくのを感じた。そして喋り終わった途端に、得体の知れない闇のようなものが彼女の身体を覆い始めているように思った。寒気を感じ身体が竦み震えている事をまだ自ら気付いていなかった。



▽▲▲▲▽▼▼▲▲▲▽



 レイリーリャとハイリアルが言い合っている今現在より時は遡る。


 彼女達が今いるズゼロスコエ伯爵領スラローニャ半島より遙か南東に、或る王国があった。

 その都の中央にあった白い大理石で建てられたネレイステセシア教の教会でそれは起こった。


 

 教会の礼拝堂の奥で、人の倍ある巨大な純白色した女神ネレイステセシアの石像が、畑に種を拡げて撒いた後のように右手を前に掲げ信徒達を見下ろしている。

 その前に据えられた講壇で、老境に入ったばかりのふくよかな男性牧師が経典を読みながら教えを説いている。その牧師はこの地域を所管している枢機卿で、厳粛な顔をして聴いている信徒が普段よりも多かった。


 教えを説く声が礼拝堂内に響き渡る。首から提げた教団の象徴を形取ったペンダントが、光に反射し金色に輝く。



「……尊きネレイステセシア様は飢えたる者達を前に、『求める者達よ。妾の水と食物を汝らに与えよう。汝らが満たされる代わりに、飢え渇する事を、妾が引き受けよう。』そう伝えると、おお、何と言う事か、手持ちの水と食べ物全てを彼らに与えました。…………」



 枢機卿は両手を拡げると、話す声が昂ぶっていき目が潤み始める。ネレイステセシアの行動に感動している自分自身に陶酔するかのようであった。



「……そして飢えと渇する苦しみで、ネレイステセシア様は大地に倒れ込まれた。そして水と食べ物を食し満たされた者達は『ありがたや。ありがたや。』とネレイステセシア様の周りを囲い平伏して夜を徹し朝まで拝み続け……」



 教えを説く言葉が続く、その最中だった。その後方、説教を聞く信徒達の正面の壁から何かが通り抜けるように浮かび上がった。


 その様子を気付いた者達は、目に入っている事に驚き理解が出来ないのか、それを見つめながら呆然としている。


 枢機卿は自分を見ずに自分の背後にある物を凝視している信徒達の異様な様子に気付く。そこで怪訝そうな顔をしながら後ろを振り返った。それに目が入り何かと見つめると、身体が強張り固まった。目を見開き口を開いたまま、声を出さず微かに身体を震わすだけであった。


 壁面に奇怪な者が居た。

 頭と足が上下逆の真っ逆様に、地面の上で立つように空中に浮いていた。


 それは消炭色したローブに頭から包まれるよう身に纏い、逆立ちするかのように浮いているにもかかわらず、その裾は重力に反して天井に向かって上に垂れている。

  

 奇怪な者は逆さのまま女神ネレイステセシアの石像の横まで近付くと、その後頭部を掴み首からもぎ取った。

 そして振り返り、凝視している枢機卿の顔面にそれを叩きつけた。

 枢機卿の顔面に石像の顔面が重なってめり込み、身体が宙を舞うと、信者達が座る席の上に背中から後ろに倒れるように落ちた。

 石像の頭がめり込んだままの顔からは赤い血が溢れ床の上に滴り落ちる。

 枢機卿はその身体を席の上に委ねたまま動かなかった。

 


「―――枢機卿様!」



「バケモノだぁ!!」



 信徒達は我に返ったように恐怖で絶叫する。奇怪な者がいるのとは反対側の出口に向かって、我先へと狼狽し足を取られながら逃げ惑う。


 奇怪な者は逃げようとする信徒達の方に顔を向けると、左手で軽く水平に手刀を切った。大気を歪んでいるように見える透明な刃が現れ、逃げる信徒達の身体を貫いた。その背中が上下二つに分かれ、断たれた身体が床に崩れ落ちる。奇怪な者が放った透明の刃が信徒達の身体を切断した。

 その身体の切り口から臓器がこぼれ落ち、赤い血が床に拡がっていく。


 

「うわぁぁぁ!」


「止めろぉ!」


「た、た、助けて!ネレイステセシアさまぁぁぁ」



 信徒達の悲鳴が室内に響き渡る。



「―――ッ!妖魔め!」


「者共、早く集まれ!神を冒涜する悪魔だ!」



 警備をしている聖騎士達が逃げ惑う者達の流れに抗いながら集まり、奇怪な者を囲む。攻撃する間合いに入り、逆さまのままでいる奇怪な者に向かって両手で握った鎗を突く。


 奇怪な者は両手で鎗を掴み、そのまま身体ごと車輪のように回転させ聖騎士の頭を蹴り飛ばす。その勢いで別の聖騎士が繰り出した鎗に飛びつき、両足で顔面を踏み台にして飛び跳ねた。


 また別の聖騎士の顎を蹴り上げ、その手から離れた鎗を掴み床に突き刺す。それを片手で握ったまま、真横に重力が働いてぶら下がっているかのように身体を水平にしていた。



「……何だあの動きは。人間とは思えん……。」



 奇怪な者を遠巻きで囲む聖騎士の両目が驚愕で見開く。


 豪壮な装備の聖騎士が、腰に差していた杖を奇怪な者に向けて構える。



「……なら、これはどうだ。―――引き裂く嵐ティアストーム。」



無詠唱で風魔術を唱えた。風の刃が舞う竜巻が奇怪な者の全身を巻き込む。



「……これで木っ端微塵だ。」



 竜巻は奇怪な者を中心に渦巻く。

 設置されていた椅子や祭壇、蝋燭なども竜巻に巻き込まれ共に渦巻き宙に舞う。

 その風圧は徐々に弱まっていき竜巻は鎮まった。

 しかし奇怪な者は傷一つ無く何事も無かったかのように、身体を水平にしたまま横に立っていた。


 奇怪な者は一番近くで囲んでいた聖騎士の背後に跳び、両手を伸ばしその頭を掴んだ。

 そのまま跳んだ勢いを加えて上から投げると、両足で床に着地した。

 投擲されたその身体は回転しながら風魔法を唱えた聖騎士の身体にぶち当り、その後ろに立つ聖騎士達をも巻き込んで礼拝堂の壁に叩きつけられた。その身体が壁にへばりつくと床にずれ落ち、赤い血痕だけが壁に残る。



「……何で倒されないんだ……。」



 囲む聖騎士達の後ろで構えている司祭は奇怪な者の戦う姿を凝視していた。その顔は眉間に皺を寄せ実際に身体を刺されたかのように苦しく悶え固まっている。



「……幽体系か?……それなら―――。」



 司祭が杖を握った右腕を奇怪な者に向け、左手の二本指で空に絵を描くように手を動かす。


 その間奇怪な者は剣を振るい攻撃してきた聖騎士をかわし手刀でその首を切り刎ねた。

 斬られた生首は両目を見開いたま下に落ちてゆく。

 それが床に着く間際に奇怪な者の左足がそれを蹴り飛す。

 生首は囲む聖騎士の顔面にぶち当たりその頭を砕くと、顔の潰れた生首は真上に弾かれそのまま床に落ちた。


 奇怪な者はそれに顧みなかった。囲み続ける聖騎士達相手に手刀を切り続け、透明な刃が一面に舞う。

 避けきれなかった聖騎士達は身体や首を断たれ肉塊と化していく。



「―――女神ネレイステセシアの御力を借りて汚れ浸りて邪なる物 浄め天に還らせん ヌン ゼラタン ボズリ グセトラン ファン ズラヌイ デシドラスシトルイヌム 『浄悪導天』!」



 司祭は左手を動かしながら『浄悪導天』の呪文を唱えた。

 その杖から放たれた純白の光が奇怪な者を照らす。真正面から呪文を食らい白く輝く。


 これはネレイステセシア教聖術の魔術で、ゴーストやレイス、ゾンビ等といったアンデッド系魔物を放たれる光によって粉々に分解して誅伐―――ネレイステセシア教で使う言葉で記すと『浄悪』するものである。


 純白の光が消えた。そこに立ち続ける奇怪な者に変化はなかった。ダメージは全く無く効果も無いようだった。



「…………な、何故効かぬ。幽体じゃなければ、何なのだ……。」



 司祭の顔は血の気が引いて蒼白と化し愕然としている。杖を掴んだ右腕が震える。



「…………もしかして、あれは……噂に聞く、ドマーラルシズトか。」



 ドマーラルシズトの面で隠れた顔が司祭に向けられる。

 気付いた司祭は両目を見開き鼻が拡がり恐怖でおののく。



「ひぃぃぃぃ!あっち行け!」



 その絶叫も恐怖で震える。

 司祭は握る杖を投げつけると、背を向けよろめきながら出口に向かって逃げ出した。

 ドマーラルシズトは逃げる司祭の背中に向けて横に手刀を軽く切る。

 放たれた見えない刃がその身体を二つに断つ。

 透明な刃はその勢いのままその先にある礼拝堂の石壁を砕く。

 砕かれた壁の石は床に落ち轟音を立てた。


 ドマーラルシズトは立ち止まり周囲を見回す。

 室内には息をする者はいなかった。

 床に転がっているのは刻まれた骸だけであった。

 首を上げ天井を向くと、そこに向けて何度か手刀を切った。


 いくつもの透明な刃が天井を砕き、その破片が雨のように辺り一帯に落ちた。

 砕かれ穴の空いた天井から日射しがドマーラルシズトに注がれる。

 その光の中を埃がこの場で亡くなった者達の魂のように、天に向かって立ち昇っていく。


 ドマーラルシズトは見えない階段があるように、一段一段踏み締め昇っていく。

 天井のあった所を越え、屋根のあった所を越え、上空へと昇る姿は徐々に小さくなっていき、やがて空の中に消え見えなくなった。


 礼拝堂の室内には息する者は誰一人残っていなかった。

 埃が舞い瓦礫と惨殺体が床に積もるだけだった。

 首をもがれたネレイステセシア像は右腕を宙に上げたまま、何も掴み取れずその腕を降ろす事が出来ないように、この場に取り残されていた。

 

 


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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる


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