2.決断
昼食も終わり一行は再び歩み始める。
森に入りしばらく進むと、レイリーリャは尻を鞍から上げる。
ズゼルーマーが足を踏み揺れる度に、「ヤダ」「怖い」などと小声を上げ怯えながら、この姿勢を保とうとする。
しかしそのまま続けられず尻を鞍の上に降ろしてしまう。その上に拡がるスカートを片手で抑え、軽く尻を上げその下に挟み込む。
そして少し経つとまた鞍から尻を上げ、これを繰り返す。
「お尻が痛い……。」
長時間慣れない馬に乗り続け、鞍と接する臀部の肉が痛み出したのであった。
痛くならないよう鞍から尻だけ上げ、前につんのめって落ちないように馬の首の後ろを両手で抱えたまま跨がる。
「休憩まだぁ。……降りたーい……。」
レイリーリャは小声でつぶやく。自らの主人であるハイリアルの耳に入らないよう、用心する自制力はまだ残っている。
今の状態を変える事が出来ず、悲しく感じる自分自身に対して自嘲したかった。
ふと前を見ると前にいたブローデンとハイリアルの二人が乗る馬が立ち止まっていた。
木々の根元に茂る薮が、道と森を区別するかのように生えている。
それが風が止んでいるにもかかわらず揺れ動いている。
草を踏みつける足音と、襲おうとたぎるような唸り声も、彼女の耳にまで届く。
「何か藪に潜んでおりますな。」
ブローデンは馬から下りると、鞘から剣を抜き藪に正面向いて構える。
「この唸り声なら、ウルフ系の魔物では無くゴブリン辺りか。」
ハイリアルは乗馬したまま右手で握っている薙刀を振った。
薙刀の刃に被せていた革フードが外れ地面に落ちた。
刃の根元に取り付けられた桔梗色と濃紺がマーブル模様になった丸い魔石が現れる。
「あの潜んでいるヤツらを潰すから、出てきた残りを斬れ。……
ハイリアルは薙刀を片手で上にかざすと、何者かが潜んでいる藪の真上の空気が揺らいだ。
揺らいだ空気が渦を巻き竜巻となって藪を襲う。砕かれた草や葉、砂埃が渦とともに空に舞い上がる。木片や木の幹、潜んでいた者達の身体だったと思われる青緑の肉片や墨のような血も、藪の奥から上空に飛び散り、路面に叩きつけられ鈍い音を立てた。
「…………王都にある伯爵邸別館の壁を、ブチ抜いただけあるなぁ。……」
ブローデンはハイリアルが放った魔法を眺めながら、小声で威力を賞賛した。
その声色は薄笑いを含んでおり、誰にも聞こえなかった。
薮の中から草をかき分ける音がする。
藪の中から潜んでいた青緑色のゴブリンが三匹、ハイリアルが放った魔術の威力に戦慄し引きつった顔をしてブローデンの前に飛び出した。
ブローデンは作業を片づけるように気負わず淡々とした表情で、正面に現れたゴブリンの死角に回り首筋から斬り落とす。
そして返す刀でその後ろにいたゴブリンの喉元を斬り裂き、もう一匹の胸にも剣を突き刺す。
胸に突き刺さる刃をゴブリンが力を振り絞ってつかむが、力尽き腕が下に垂れ落ちる。
ブローデンが刺さった身体から剣を抜くと、ゴブリンは膝から崩れ落ち後ろに倒れた。その死骸から黒く濁った血液が道に拡がっていく。
「隠れているヤツはいないようですなぁ。」
藪の中に潜り込んで調べているブローデンはその中から伝える。
「後の処理をしておきます。」
藪の中から魔法で切り裂かれたゴブリンの死骸を道に引きずり出すと、一カ所に纏め火魔法を放ち焼き始める。
死骸の焦げる臭いが辺りに拡がっていく。
この間レイリーリャは馬に跨がったまま動かず、只眺めるだけであった。
身を守ろうと思い動く前に、戦いは想像よりも遙かに呆気なく終わってしまい呆然としてしまったからであった。
二人が後処理をし始めた事が目に入り、ようやく戦いが終わった事に気付く。
「……ハイリアル様とブローデン様は、こんなにも強いんですね。」
意識が戻ったかのようにレイリーリャはハイリアルに言う。
「この程度、騎士なら出来て当然だ。」
落ちたフードを薙刀の刃を刺して入れながら、彼女の方を向かず当たり前のように淡々と返した。
そしてゴブリンの亡骸が炭になったのを確認すると、水魔法を唱えて作った水球を上から落とした。
ゴブリンの大腿骨に赤く燻っていたおき火が音を立てると、水煙が昇り白い灰へと変わった。
日が沈み始め空が朱く色づく頃、一行は宿泊予定の宿の前に辿り着いた。
この宿のある街の外壁が目に入ってから、レイリーリャは昂ぶっていた。
馬から降り尻の痛みから解放される事を待ち望んでいた。
先頭のブローデンが立ち止まり到着を告げた。
その時を待ちわびたレイリーリャは、間髪を入れずに馬から降りようと
降りようとした瞬間、身体のバランスが崩れて横に傾き、そのまま横に倒れ落ちたのだった。
地面に左半身を横たえたまま、思いもよらなかった行動の結果に自ら唖然とする。
「何やっているのだ。普通に降りれんのか。」
ブローデンは馬上からレイリーリャを見下ろしたまま呆れる。
猫人族獣人は一般的に敏捷で有る為、余程の事でない限り、落馬して怪我する事は無いに等しいのであった。
それもあって彼は、出発前に乗馬の練習を多少疎かにしても大丈夫だと思い、そうしたのであった。
単純に面倒臭いという事もあったが。
「……猫人族は機敏で、こんな事にならない種族のはずだが。」
ハイリアルは唖然としている。
彼が知っている猫人族で、レイリーリャのような醜態を晒す者は一人もいなかった。
「猫人ごっこするのとっとと止めて、両耳の飾り外せや。」
ブローデンは頭を下に俯くレイリーリャの姿を眺めこう揶揄うと、右の口許を横に伸ばして笑い出す。
「わたしの耳は飾りなんかではありません……。」
レイリーリャは俯き地面に座り込んだまま、立ち上がるのを止めた。その呟きは弱々しく、語尾が力無く消えていく。
猫人らしくない醜態を晒してしまった自分自身に対して、情けなく悲しかった。
「……さっさと入るぞ。」
二人の間に漂う沈んだ空気がハイリアルの言葉で霧散する。
「ブローデンはすぐに馬を馬小屋まで連れて行け。」
ハイリアルは乗っていた馬の手綱をブローデンに預けると宿の入り口に向かう。
そして宿の方を向いたまま座り込んでいるレイリーリャの前に鞄を置いく。
「…………お前は荷物を部屋まで持って来るように。」
ハイリアルは宿に向けて右手で指さす。
その人差し指には群青色した魔石が付いた指輪が輝く。
「……かしこまりました。」
レイリーリャは気持ちを切り替えるように顔を上げ立ち上がった。そして両手にそれぞれ鞄や荷物を掴み上げると、ハイリアルが進む背中を追いかけていった。
宿泊する部屋への荷物の搬入などといった作業が終わり夕食を食べる事となった。
ハイリアルは左隣の椅子に愛用の薙刀を立て掛け、ワインレッドのレンズの魔道具を右目に掛けたまま何も言わずに食事を摂っている。
レイリーリャは主人であるハイリアルの給仕を行う為に、薙刀を立て掛けた椅子のある反対側、右側に立ったまま控えている。
ブローデンはハイリアルの向かい側に向き合って食べている。
彼女が食事を摂れるのは、二人が食べ終わってからである。
…………おなか空いたなぁ……。
レイリーリャは二人が手に取って食べる食事に目が留まりそうになる度に目をそらす。そして物欲しい表情が現れてしまわないよう平静を装う。
……シチューかぁ……。お肉いっぱい入ってると良いなぁ……。
シチューの柔らかい甘みが染みこんだ肉の味を想起する。下唇を軽く噛んでいる。
―――でも従者向けじゃあ、こんなシチュー出てこないか……。
塩味で誤魔化したような薄いスープの味を思い出した。出そうになったため息をこらえ、頭が下がり落ち込みそうになる。
ハイリアルは食後の茶を口につけると、ナプキンで口を拭った。それをテーブルの置いたまま動きが止まった。眉間に皺を寄せ目に力が宿る。そして気持ちを奮い立たせるように顔を上げると、口を開いた。
「…………ブローデン、トーリの別荘で静養する予定を変更する。」
向かいに座るブローデンを凝視する。
彼は食べるのを止めてその顔を見る。
「……死を司る者、ドマーラルシズトを捜し出し、打ち倒す。」
ハイリアルはそう言い切った。
その口調には力が込められているが、何か切迫していた。
何らかの刑罰を宣告するようであった。
その右目の視線が、ワインレッドのレンズ越しにブローデンの目を刺す。
彼は驚いたように目を見開く。
「…………ドマーラルシズトですか?……
本気ですか?…………」
「本気だ。」
ハイリアルの両目はブローデンの目を見据えている。
ブローデンもハイリアルの顔を探るように見つめているが、何も言葉を発しなかった。
二人の間に沈黙の沈んだ空気が漂う。
「…………我ら二人だけでですか?…………」
ブローデンは言葉を絞り出す。
「いや。己立者なり数人ばかり協力者を求める。」
己立者とは魔物討伐、護衛、魔物部位・薬草等の採取などといった各種依頼を代行し、それらを成し遂げる事によって報酬を得て身を立てる者の事である。
いわゆる『冒険者』と同じような物である。
「……ズゼロスコエ領の他の騎士達では、お前と互角相応の力を持つ者はいないであろう。」
ハイリアルはブローデンの顔を見つめ続ける。
「……そんな事などありません、とは言えませんが……。」
ブローデンの視線は思索の海に沈んだのか、握り合わせ続けている両手の許に沈む。
「無理矢理連れてきた方が、余計に足を引っ張りそうだしな……。」
ハイリアルの言葉にブローデンは否定も肯定もせずに、沈黙し俯いたまま両手を見つめている。二人は黙ったまま固まったように動かない。
………………なんでこんなタイミングなのよ。…………お尻の痛かった所が、かゆい……。
レイリーリャは尻が痒いのを我慢している。
昼間乗馬した際に鞍の上に座り続け、それによって痛みがあった臀部の肉から痒みを感じている。
何か音立てたら怒られるように思えた。
その上に、実際に人前で臀部を掻くのは恥ずかしいと感じた。
臀部の痒みを無理矢理押さえ込むように掻くのを我慢する。
我慢しようと力を込める程、尻尾を振ってしまいそうになる。
獣族の従者が自らの感情によって尻尾が左右に揺れる事を嫌う貴族もいると、伯爵邸で勤める前に孤児院で教わっていた。
ハイリアルもそんな貴族の一人なのか解らないが、尻尾が動くのを抑え、じっとするよう我慢する。
そうすると臀部の痒みがまた起こり、気になってくるのだった。
三人の呼吸だけがこの空間に広がる。
ブローデンは何か踏ん切るようにうなずくと、顔を握った両手からゆっくり上げた。
「………………解りました。翌朝までに、準備をしておきます……。」
覚悟を決めたような低く沈んだ声だった。
ハイリアルは眉間に皺を寄せる。
「解った……。」
その口から出た言葉は重く沈んだままだった。
求める返事を得られても難問を解決出来ていないかのように、その顔は喜びに変わる事は無かった。
…………どまーら…るしず……と。誰だろ?
……賞金首か何か、悪いヤツかな?
横で聞いていたレイリーリャは、ハイリアルに対して他人事のように感心していた。
静養を後回しにしてまで、真摯に治安維持を行おうとしていると思い込んでいた。
―――わたしはハイリアル様達がその、どまーらるしずとぉだっけ?お二人がそれ捕まえてくるまで、後ろについて行って雑用か何かすれば良いのかな?
昼間二人が行ったゴブリン退治では全く危なげなく感じた。
それでドマーラルシズト退治は、ゴブリン退治の延長戦みたいな物だと思い込んで、気軽な軽い気持ちでこれからの行動を想像していた。
その後レイリーリャは食事を摂った。スープが塩っぽくとげとげしたのが不満であった。それから疲れて寝床に倒れ込みたくなるのを踏ん張って我慢しながら、翌日の準備を終えた。
彼女が泊まる従者用の室内は、長年使われくたびれて薄っぺらい布団が敷かれたベッドと、上に皿とコップを置くのがやっとの小さなテーブルしかない狭い部屋であった。
着ていたメイド服をバッグの上に脱ぎ捨てると布団の上に倒れ込んだ。
普段より疲れを感じており、翌朝寝坊せずに予定通りの時間に起きれるかどうか不安に感じた。
就寝前にいつも行っているネレイス教の祈りを、さっさと片付けるように行った。
そして速やかに意識を手放して、眠りに落ちていった。
翌朝レイリーリャは起床し着替えを終えた後、外にある井戸に行こうと受付の前を通った。
その時宿の主人に声をかけられた。
誇張されて作られた笑みのお面が顔に張り付いているような顔をしていた。
「おはようございます。お連れの騎士の方がこちらのお手紙を、ご主人の……ハイリアル様にお渡しするよう伝えられました。」
蝋で封をされていない一通の手紙であった。
この世界では紙は比較的高価な品ではあるが、一般にも流通していた。
「騎士の方とは、30台位の方ですか。」
「そうです。夜明け前にここを発つ時に渡されました。」
「発つ時に?」
レイリーリャは頭を傾かせ怪訝な顔しながら昨晩あった記憶を辿る。
ハイリアルがブローデンに早朝どこかに行くように指示した記憶はなかった。
「はい。およそ半刻前の獲獅子の刻位(午前四時頃)です。」
宿の主人の誇張された笑みは変わらない。
「……分かりました。私の主人に手紙とこの件を伝えます。」
レイリーリャの表情も怪訝なまま変わらなかった。
彼女はハイリアルが宿泊する部屋に手紙を持って入った。
彼は窓の脇にある椅子に座り愛用の薙刀を布で磨いていた。
既に身支度を調え終わっていて、右目にワインレッドのレンズの魔道具を掛けていた。
明らみ始めた日の光が窓から入り、右目のレンズに反射する。
「ハイリアル様、宿のご主人より、こちらのブローデン様からのお手紙をお渡しするようお願いされました。」
レイリーリャはブローデンの手紙を両手で渡す。
この手紙の内容について読んでいないので解らないが、何か嫌な問題が起きそうな予感がして不安に感じる。
「……何でも宿のご主人によると、ブローデン様は夜明け前にここを出発したそうです。」
「……どこにだ。」
眉間に皺を寄せ彼女の目を見上げ凝視する。
その目は据わっており、怒られるのではないかと彼女は怯んでしまう。
「……ど、どこかは聞いてません。……ハイリアル様のご指示では…ないのですか?」
詰まりそうになりつつも、気持ちを取り直しながらこう尋ねる。
「違う。アイツにそんな指示など出していない。」
彼は即答する。
「……とにかく、判断するのは、この手紙を読んでからだ。」
疑問を抱え険しい表情をして、ブローデンからの手紙に目を落とす。
それを読んでいる途中で驚いたように目を見開く。
そして溜息をつくと、脱力したような呆れた笑みを口元に浮かべる。
…………これはオマエのせいだ、なんて、怒り出さないよね?……
この間レイリーリャはその顔を見つめながら、ハイリアルが八つ当たりして攻撃しないか怯えている。
長い毛に覆われた尻尾が力無く下に垂れそうになる。
手紙を読み終えた彼は顔を上げ、彼女を眺める。その見る表情に険しさは現れていなかった。
「ブローデンは逃げてしまったようだ。」
ハイリアルの口調はその内容とは裏腹に、日常報告のように淡々としていた。
それを聞いた途端、レイリーリャは思わず驚愕し叫んでしまった。
その口から出せたのは、言葉にならないうめき声だけであった。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
嬉しいです。
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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。
作者おだてりゃ 木を登り
ますます ハナシ 創りまくる
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