第一章

1.旅の始まり




 薄明の地平線より朝日が現れると、領地の境となる山脈に積もる雪がパーシモンレッドから黄金色へと輝き始める。


 その麓を通る道の両脇には褐色に色あせた枯葉が積もる。その中から突き出た黄緑色の若草の芽が自らを顕示する。これから始まる罰ゲームを前に盛り上がる酔漢達のように。



 その街道の中央を猫耳の少女が震えながら馬に乗っている。

 それはメイド服を着た赤紫色の瞳をした少女だった。もし仮に、瞳の色や猫耳に絡んだ自己紹介をしても、いつの間にかそれらとは全く関係の無い渾名で呼ばれていそうな少女だった。


 そんな彼女が身体を小さく縮ませ両足で胴を強く締めたまま、栗毛色の馬の背中に乗るというより、落とされないようにへばり付いている。

 煤竹色の左右の猫耳は強張ったまま下に伏せている。



―――もうヤダ!怖いよぉ。……帰りたい……。



 この赤紫色の目をした猫耳少女ことレイリーリャは、馬が左右に揺れる度に恐がり続けている。


 今までに馬に乗った事がなく、乗るのは今日が初めてだった。その上に馬は自分の背丈より高く、その背中から振り落とされそうで怖かったからであった。



…………乗馬のどこが簡単なの!



 予め騎士ブローデンから落馬しないよう助けてやると言われていた。それにもかかわらず、そうならないよう横についている事は無く、ほったらかしであった。


 初春の空気の肌寒さを感じる余裕など微塵も無い。


 落馬する不安と恐怖で昂り身体は熱い。


 前を走る二頭の馬が先導し、その後ろを彼女の乗る馬が忠実にしおらしく付いてきている。


 彼女はその先頭を進んでいる馬に跨がっているプレートメイル着用の騎士ことブローデン・クランベルシグを責めたかった。しかしそれを口に出ないよう抑えていた。


 ブローデンは頭に被った兜のバイザーを上げたまま乗馬している。彼は周囲を哨戒しながらというよりも、辺りを眺め良い獲物を探しながら進んでいる。


 彼が乗る馬が守るように先導する斜め後ろには、俯いたままの青年が乗る馬が走っている。

 右目に透けたワインレッド色したレンズの魔道具を掛けたその顔は、何か思い詰めたように辛く険しい。



―――今まで一回も馬に乗った事無いのにッ!



 レイリーリャは揺れを感じて恐くなり、思わず身を小さく竦めた。落馬しそうになった時を思い起こした。


 彼女は今まで一度も乗馬をした事は無かった。それにもかかわらず、今朝乗馬の練習を全くしないまま、いきなり騎乗で行かされそうになった。

 それで出発直前に半ば強引に押し切って練習をした際に、落馬しそうになったのだった。


 彼女はその恐さを感じながら前を進むブローデンの背中を睨む。

 両目から光線が出るのなら刺し殺せる程睨む。

 しかし乗っている馬の揺れにびくついて、直ぐに視線は彼から外れる。


 そんなものなど微塵も感じないかのように、彼は後ろで付いてきている彼女の方など一切振り向かない。



…………馬車に乗って行けたら、こんな怖い思いしなくて済んだのになぁ……。



 レイリーリャは青年が乗る馬が歩む方をちらっと目を向け元に戻す。そしてこう思いため息をついた。

 青年を責めたい気持ちを無意識のうちに自覚しないよう、言葉を選んでいた。


 青年はズゼロスコエ伯爵四男であるハイリアル・ズゼロスコエで、彼女はメイドとして伯爵家に仕えている。実質彼は彼女の主人格に当たり、彼女が安易に非難の言葉を口に出せる立場の相手ではなかった。



「ズゼルーマーちゃん、お願いだから激しく歩かないでねっ。落ちたら、ワタシ、死んじゃうから……。」



 口から出た声は震える小さな声だった。乗っている馬ズゼルーマーの首元を手綱を握りしめたまま恐る恐る撫でる。


 ズゼルーマーはそれに気にする事など無いどころか、彼女が地面にずれ落ちる事を期待するかのように、足踏みを早め歩く速度を上げ早足をし始めた。



「ず、ズゼルーマーちゃん、お願い。駆け足しないで。…………」



 レイリーリャは恐慌し彼女の馬の首根っこを抱き抱えてしまう。その足踏みに合わせて、彼女の尻が上下に弾む。



「お、落ちちゃうから、止まってぇぇ。」



 彼女を乗せた馬が、その前を歩いているハイリアルが乗る馬を追い越す。更に先頭を歩くブローデンが乗る馬も追い越そうとする。

 それが彼の目に入る。



「おい、何やってるんだ。さっさと手綱を引け。」



 面倒臭そうな顔をして彼女に指示する。そして鐙にかけた足で乗っている馬の腹を蹴ると速度を上げ、その馬に並んだ。


 レイリーリャは腕を抱えまま手綱を引くが、その馬は早足を続けたままだった。



「……ダメです。ゆっくり歩いてくれません……。」



 彼に顔を向ける余裕などなかった。恐くなって真っ直ぐ向けずに下がった顔は、両眉も下がり半泣きになっている。


 ブローデンは眉間に皺を寄せ口許を歪ませながら、忌々しそうに舌打ちをした。そして片手で彼女の馬の手綱を掴んで引いた。

 その途端手綱を引かれて足取りを緩め、普段の歩みの早さである並足で歩き出した。



「ほぅら、並足に戻ったゾ。」



 ブローデンは呆れるように溜息をつく。

 レイリーリャは怖さが離れず、その首許の上で縮こまってしまっている。



「…………あ、ありがとうございます……。」



 彼女は恐怖で微かに震え項垂れたまま、頭を上げて振り向く事は出来なかった。

 速度を緩めゆっくり歩き始めたズゼルーマーは、彼女を乗せたまま後ろに下がっていく。


 その様子をブローデンはうんざりした顔をしながら眺める。そして青年が乗る馬の後ろに付くのを確認すると、口許を歪ませながら溜息を吐いた。



「……役目とはいえ、かったりぃな……。」



 そう小さく聞こえないような声の独り言が口から漏れる。そして上から下に見えない何かを切るように手刀を切ると、正面を向いて馬を前に進ませた。


 三人はお互いに何も話しかけず、黙々と馬を前を進ませる。



 太陽は南中を過ぎて翔馬の刻(正午)に入る頃、丘を越えて下り坂の麓にある街道脇の広場に辿り着いた。三人はここで昼食を摂ろうと馬を留めた。


 レイリーリャは馬から降りようと、右足を鐙から外し、頑張ってその足を拡げ馬の背をまたぐ。履いたスカートの裾が馬の背の上でひらめく。


 左足を鐙に乗せたまま馬の脇腹にへばり付いた。だが左足を鐙から外した途端、鞍を掴む両腕は堪え切れず下にずれ落ち、尻を倒れた際に打ってしまった。


 レイリーリャは他人―――といっても、この場にはハイリアルとブローデンの二人しかいないが―――に自らの無様さを見られてしまう事が恥ずかしく、思わず周りを見回す。

 向こうでその二人が話し合いをしているのが見えたが、彼女が馬から落ちた事を全く気にせず見ていないようであった。



―――尻餅突いちゃったの、見られなかった……かな?……



 レイリーリャは顔を平静さを装い、何事も無いように立ち上がると、両手で尻をはたく。メイド服のスカートに付いた砂埃は、生地が焦げ茶色で余り目立たない。

 はたきながら深く息を吐く。



「はぁ~。何とかケガはしないで済んだよなぁ……。」



 その口許に緩んだ笑みが浮かぶ。慣れない乗馬で味わい続ける恐怖から解き放たれ、身体に籠もった余計な力が抜け、束の間の安心感と開放感に浸る。


 しかしそれを味わい満たされるのを遮るように、兜を脱いだブローデンがのうのうと歩くのが目に入る。


 レイリーリャは彼の脱力し平然としているような顔に対して腹立たしく感じる。それは、事前に約束した彼女の乗馬の手助けを全くせずにほったらかしにしていたにもかかわらず、悪びれもせずヘラヘラしているように捉えたからであった。


 スカートの尻の合わせ目からはみ出た、煤竹色した尻尾の長い毛が逆立つ。



「ブローデンさまっ。放っておかれたお陰で安心して馬に乗れませんでしたよ。」



 彼にぶつけた彼女の言葉が昂っていく。立場上怒りを露わにする事は出来なかったので抑えたつもりだったが、言葉のトーンから怒りが漏れてしまう。

 ライトシルバー色したショートボブの髪も気持ち逆立つ。


 その瞬間彼は彼女に責められた事に驚き呆然とする。



「乗れるようになったではないか。」



すぐに返したその口調は淡々としていた。



「いいえ。全然ダメです。何度も何度も馬から落ちそうになって、怖い目に遭ったんですよ。」



 レイリーリャは怒りを抑えようとするが、表情は怒りで目が吊り上がってしまう。



「でも落ちなかったんだろ?……それなら馬に乗れ、ここまで来た事になるではないか。」



 彼は素っ気なく答える。



「そうですが……。」



 レイリーリャは上手く下馬出来なかった事を除けば、実際彼の説明通りに乗馬中は落馬をしなかった。それで言い返せずに、言葉上では肯定する。しかし心の中にもやっとしたものが拡がっていくが、それは何なのか自覚出来なかった。



「だったら、いいではないか。」



 ブローデンは冷淡に一言言い放つと、彼女の目の前から去って行った。

 レイリーリャは釈然としないまま独り取り残される。


 彼女は無事に問題なく乗馬する為に、落馬して怪我をする心配せずに済むよう求めていた。

 それに対して彼は、怖じ気づいたり落馬しそうになっても、実際に落馬して怪我さえしなければ、無事に乗馬出来た事になるという見方であった。


 彼女は無事に乗馬する事に関して、二人の間に認識のずれがある事を把握していなかった。


 そして彼女自身が本当に求めていた事も自覚出来ていなかった。


 ここまで彼女を乗せてきたズゼルーマーは、今までの出来事は最初から無かったかのように、草むらに頭を突っ込み草を食べる事に専念している。



 レイリーリャは心の中にもやっとしたものが残しながらも、火をおこし食材を出して昼食を作った。


 彼女が調理や洗濯など、ハイリアルの身辺の世話をする事になっている。

 彼は父である伯爵が所有する別荘で療養する事になり、彼女は上司であるメイド長の直前の指示で、それに付き添う事になっているからであった。


 彼女が作り上げたスープは素材が不足している事もあって、ハイリアルが味に不満を持たないか不安を感じている。


 それは彼女の伯爵邸での本来の業務は廊下や床掃除、料理の際の材料出し等の準備が中心で、調理は業務として行った事は無かったからであった。

 しかも、仕え始めてから一年も経っていなかった。


 業務としての研修も無いどころか、具体的な説明の無い大雑把な内容しか伝えられておらず、按配がつかめなかった。



 レイリーリャは料理したスープを杓子ですくい碗によそう。

 地面の上にシートを敷いて、ハイリアルとブローデンは既にその上に座って待っている。


 それぞれの前にスープが入った碗と持参したパンを置いた。その手はこわごわしい。

 碗から湯気が立ち昇り、スープの中から煮えた芋が覗く。


 彼女は用意した二人分のスプーンを掴んだまま固まる。スプーンをどう置けば良いのか解らず唖然となってしまった。


 スプーンをスープの入った椀の前に置くのが適切なのか、それとも碗の右横に置くのが適切なのか見当がつかなかった。


 目上の主人であり貴族の一員であるハイリアルに置くスプーンの位置は、どこに置くのがマナーに則っているのか解らなかった。


 食堂での給仕も業務として行った事の無い彼女には、これを教えてくれる者は無く、知る事が出来なかったからであった。



―――どっちだっけ?どっちだっけ?…………



 レイリーリャはハイリアルの前に出した椀の横で、匙を持ちながら動揺し悩んでいる。どっちに置くべきか決断が付かず、首をひねり気持ち上を見上げ、身体が固まり動きが止まっている。



―――孤児院にいた時はシスターのスプーンどう置いたっけ?…………適当か。真ん前に、右、左、どれも置いたような気がするなぁ……。…………小さい子供相手なら、お椀の中に入れて出した事もあったような気がする……。



 彼女はスプーンを片手に握ったまま何も語らず、独り苦悩する。



―――早くしないと、ハイリアル様に叱られちゃう……。



「……オマエ、何フリーズしてるんだ?ションベンでも我慢してるのか。」



 ブローデンが固まる彼女を見上げながら嘲笑する。



「―――ち、違います。オシッ……用足しではありません。


 スプーンをどこに置くのがしきたり通りなのか、全く解りませんでしたので……。」



 レイリーリャはそう見做された事に恥ずかしく感じた瞬間に、スプーンを持ったまま手を左右に振ってしまった。そして喋りながら、メイドとしてそういう事を知らないのは失格だと思い、気分が落ち込み声が小さくなる。


 この言い訳を聞いたブローデンとハイリアルは何も言葉が出なかった。二人にとって全くの想定外で驚いてしまったのだった。


 二人にとってこれは瑣事で、どうでもいい事に過ぎなかった。


 しかし平民のメイドであるレイリーリャにとっては、業務上の重要な事で、評価に関わる事であった。


 極端な事ではあるが、条件によっては、貴族であり上司であるハイリアルから罰せられ、その場で斬り殺され処断される怖れのある、命に関わりかねない重大業務でもあった。



 スプーンの置き方に対する認識の差には、彼等三人の間には断崖絶壁の峡谷のように隔たるものがあり、それを三人とも気付いていなかった。



「…………オマエ、そんな事でフリーズしてたのか。拭く物貸してやろうか考えていたのに。」



 沈黙を破るようにブローデンは言う。

 わざとらしく両手の平を両脇に拡げ、右口許に嘲笑を浮かべ溜息をつくる。



「団内ではそんなモン、特に決められていない。食事当番のヤツで、フォークを投げつけやがるバカもいたゾ。」



 当時の出来事を思い出したのか、くくくと薄ら笑いをする。



「我の匙の置き方などどうでもいい。戦場では一刻も早く食事を調理し食べる事が重要だからな。外での移動中だ。仕来りなど無用だ。」



 ハイリアルは彼女の顔を眺めると、淡々と説明する。


 レイリーリャは彼の説明を聞きながら、態度を含めて責める様子を全く感じられず緊迫感が脱け落ちる。



「…………畏まりました。」



 彼女は彼の正面にスプーンを置くとその脇に控える。


 ハイリアルがこれで全てかと確認をすると、スプーンを取ってスープを掬い口に流し込んだ。



 ハイリアルとブローデンが食べ終えると、レイリーリャは自らの食事を速やかに済ませた。そして食器や鍋を洗うなどといった後片付けをしていた。その間彼女の心の中に、馬での移動中にブローデンが彼女を一切気にかけずに放って置いた事が引っ掛かっていた。


 川で洗った食器を持ち運んでいる時に、ブローデンが敷物の上に座りくつろいでるのが目に入った。

 のうのうと休んでいる様子が彼女の心を逆撫でし、少し腹立たしく感じる。



「……ブローデンさまぁ、ずっと気になっていたのですが、移動中どうして落ちないよう………注意してくれなかったのですか?わたし、馬乗るの初めてなのに……。」



 レイリーリャは横に付いていて欲しかったと口にして責める事はためらいを感じ出来なかった。さすがにそこまで求める事はいけないように感じた。


 ブローデンは頭を上げると、鼻っ柱に皺を寄せ右口許が微かに開いて歪むうんざりした顔をする。



「…………オマエ、クドいな……。そんなんじゃ、誰も嫁に貰わんぞ。」



その顔を見据えながら詰る。



「…………余計なお世話です。」



 彼女は思わず、自分の怒りを見せつけるように両頬を膨らませてしまう。



「……それは魔物や族が出たら直ぐに倒せるよう、監視する方が大事だからな。それが騎士の仕事だから当たり前の事だ。」



 彼はすげなく返す。冷然に見下すような顔をしている。


 彼女はこう返された途端、彼を責めたい気持ちが抜け落ちてしまった。道理として受け入れてしまった。



「…………そうですね。失礼しました。」



 彼女は謝る。淡々とした口調であった。そして、彼の元から去ろうと歩き出した。



―――…………確かに魔物達を監視する方が大事だけどね……。



 レイリーリャはブローデンからこう返されるだろうと何となく想像はしていた。無意識のうちに、彼から思いやりのある遣り取りをして貰う事は期待出来ないと見なしていた。


 しかしそれでも心の奥底には、何かうねっているものが抜け落ちずに残っている。


 落ちた谷底にそのまま放っておかれ、置き去りにされてしまったような、寂しさとやり切れなさを感じていた。



 レイリーリャ達三人を暖かく穏やかな春の日差しが照らす。留めていた馬達も両目を瞑り草むらの上に横たわりくつろいでいる。


 そこに留まっている間ハイリアルは、二人のやりとりに全く気にする事無く、ずっと思い詰めたように何も喋らずに黙っていた。



△▼△▷▼△△▼△▷▼△△▼△▷▼△


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

嬉しいです。


↓ 『応援する』へのクリックや、この作品への好評価(笑)並びに感想、レビューをしていただけると、作者への創作の励みになります。



……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る