【経済】足りてしまった時代に

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足りてしまった時代に

 信用創造という言葉がずっと分からなかった。銀行がお金を貸すと、世の中にお金が増えると、教科書にはそう書いてある。でも借りたお金は借金だから、返さなきゃならないはずだろ? 世の中全部のお金を見ると、プラスとマイナスで差し引きゼロじゃないか。何が「創造」なんだ?


 色々調べて僕なりに納得した答えはこうだ。半導体の電子とホールの関係。半導体の中では、色々なきっかけで、電子とホールが対生成する。電子はマイナス、ホールはプラス。半導体全体で見ると、合計の電荷はゼロ。遠くから見れば、帯電していない。でも「電子の数」は確かに増えている。


 お金もこれと同じなんだ。銀行が貸し出すと、お金(電子)と債務(ホール)が同時に生まれる。経済学で「マネーサプライ」と呼ぶのは電子の総量のこと。ホールは別勘定だ。お金(電子)の方しか見ていない。だから銀行がお金を貸すことを「信用創造」と呼んで、「お金が増えた」と言う。


 ここまでは納得できた。問題はその先だ。銀行が貸し出した(対生成した)あと、お金(電子)は増えない。でも債務(ホール)には利息がつく。複利で増殖する。電子100に対してホール100で始まったはずが、気づけばホールは105になっている。完済するには電子が5足りない。電子とホールで、ルールが非対称なんだ。これは半導体ではあり得ない。人間が作った歪な仕組みだ。


 足りない5個のホールはどうしたらいい? 埋めたければ、誰かが新しく借金するしかない。5電子借りる。すると電子は105になるが、ホールも5個生成するから、ホールは110になる。返済すると電子0、ホール5が残る。これは問題解決ではなく、目先の穴を埋めるために新しい穴を掘るだけの、先送りでしかない。利息がある限り、世界のホールは構造的に増え続ける。


 これを止める方法は三つしかない。デフォルト(踏み倒し)、徳政令(帳消し)、そして塩漬け(返さないまま放置)。現実の解決策は、ほぼ塩漬けだ。国が国債を発行し、中央銀行(日銀)が買い取る。国債には利息が発生するし、政府は利息を払うわけだが、日銀は利益の95%を国庫へ返納している。つまり、政府が払った利息のほとんどが戻ってくる。実質的な利息負担はごくわずかなので、塩漬けに近い。また、返済期限が来ても借り換えができるので、事実上、返済期限が無く、返せと言われない。永久に塩漬けにしても、コストは少ない。


 じゃあ問題ないじゃないか。


 電子とホールを対生成した後、ホールは塩漬けにする。という事は、電子だけを無限に生成してもいい。お金をじゃんじゃん印刷して配れるという仕組みだ。昔はきんとの交換が必須だったわけだが、今はその保証をしない不換紙幣なんだから、いくらでも刷れる。


 お金はどんどん必要だ。一番大きいのは年金だろう。お年寄りは「もらえるはずの金額」を決して忘れない。そしてむやみには使わない。貯蓄が増えて流動するお金が減る。でもお金は交換のためのインフラなので、ある程度世の中を巡っていないと都合が悪い。特に「リスクを取れるお金」である株などの、投資として存在する量が減ると、流動性が低くなって動脈硬化になる。政府としては、国内にお金をもっと流通させるべきだ。だから「対生成」する。お金と債務を生む。老人大国になっていく今この瞬間こそ、大量の対生成が必要だ。


 でも、そうなの? どんどん刷って良いの? お金をどんどん刷ったら、1円の価値が下がっちゃうんじゃないか? つまり、お金をどんどん刷る → 債務は塩漬けする → 政府は公共事業などを通してお金を世の中に流通させる → お金を持つ人が増えていく。「ちょっと高い卵も買っちゃおうかな?」「ちょっと高いお米も買っちゃおうかな?」って思う。だんだん、高いものが増えていく。つまりインフレする。


 もちろん、年金対応ならそれでいい。実質的な価値が下がっても、額面通り払ってさえいれば、政府としては約束を果たしたことになるからね。問題は外国との関係だ。円を刷りすぎる → 円の供給が増える → 円の価値が下がる → 同じ量のドルを買うのに多くの円が必要 → 円安、ドル高になる。1ドルを買うのに、円をいっぱい払わなきゃならなくなる。


 そして日本は石油も食料もドルで買わなければならない。世界経済ではドルが基軸通貨だからね。円安になった瞬間、輸入品の値段が跳ね上がる。これは今現在起こっていることだから良く分かる。


 ここでドルの話になる。もう一度言うが、ドルは基軸通貨だ。なぜドルなのか? まぁ、「うまくやったから」だね。「うまくやりやがった」と言ってもいい。アメリカは1971年にニクソンショックで金本位制を捨てた後、サウジアラビアと密約を結んだ。その結果、石油はドルでしか買えないことになった。これは公知であって陰謀論ではない。結果、世界中がドルを必要とする構造ができた。つまり、原始のお金は「きんと交換できる」という金本位制として始まったんだけど、一時的に「ただの紙」になり、その後、「石油と交換できる」という体制に乗り換えたわけだ。石油本位制と言えるね。事実上の兌換紙幣だ。みんなが欲しがるものを担保にしたお金だから、信用が強い。そうなると、石油1バレルが何ドルかを決めるシステムが世界経済のカギってことになるけど、これはけっこう複雑で、OPEC、先物市場、実需、アメリカの軍事力、シェールオイルなどの産出量、などで決まっている。(陰謀論だと、一部の金持ちが決めていると言うけど、どうなんだろうね)


 ドルは基軸通貨だけど、アメリカの紙幣だ。アメリカはドルを刷れる。そのドルで石油を買い、物を買い、サービスを買う。ドルを刷ると、電子・ホール対のように、同時に債務も生まれるけど、アメリカはこれもうまく捌いている。アメリカにももちろん中央銀行があって、日銀と同じように国債を買い入れているし、塩漬けにもしているけど、ドルは規模が大きすぎるから、安易に塩漬けしていると、インフレが爆発してしまう。そこで、アメリカは国債を海外の同盟国に買わせている。国債の対価として支払われたドルはアメリカ財務省に入るため、政府のコントロールが効く。結果、日本は世界一、ドルを持っている。持たされている。生成されたドルはアメリカが自由に使っている。


 でもさ、日本が持っている債権は利息で自動で増えるんだから、持っていればお金が増えるのと一緒だよね? 持ってれば得なのでは? って思うよね。僕もそう思った。普通、お金は、貸した側の方が強いでしょ。お金を借りたとき、借りた方よりも、貸した方、つまり債権を持っている方が強いよね。利息を要求できるし。だから、ドルを持っている日本は、強いのでは?


 ところが国際関係では、そうでもない。日本がアメリカに「貸してるドルを返せ」って言ってみるとしよう。ドカッと100兆円分ぐらい帰ってきたとする。実際日本はドルを1.1兆ドル=170兆円ぐらい持っているからね。アメリカから100兆円分のドルが消滅する。電子とホールの例で言うなら、対消滅だね。お金と債権が出会うと、両方が消滅する。日本は100兆円の現金を手に入れるけど、これはもともと貸してたお金が返ってきただけだから、貸す前の時点から比べると、財産として増えたってわけではない。増えたのは利息分。


 さて、これでどうなるか。普通に考えると、円安になる思うよね。僕もそう思った。なんでかって? アメリカではドルが100兆円分も消えたから、ドルの価値が上がる。だって政府がお金を払っちゃったんで、少ないお金でやりくりしなきゃならないからね。公共事業ができなくなり、町にお金が少なくなり、「高い卵は買えないな」となり、物が安くなる。1ドルで買えるものが増える。つまりデフレになる。そうなると、1ドルの価値が高いんだから、1ドルと交換するために、たくさんの円を積まなきゃならない。逆に、1万円と交換するためには、ドルをちょっと積めば済む。つまり円安になる。と、思うじゃない?


 でも、ドルと円の関係においては、逆なんだ。「貸してるドルを返せ」と言うと、円高になる。どういう事かっていうと。

「ドルを返せ」と言うと、日本にはドルが返ってくる。100兆円分のドルが日本に流れ込む。さっき言ったように、長い目で見れば「貸してた金が返ってきただけ」ってことだけど、目の前に大量のドルが積まれると、日本人は「これを売って円に換えよう」って思っちゃう。つまり、ドルを売り始める。世界にドルが溢れかえって、ドルが安くなる。円高ドル安になるんだ。


 でもさ、アメリカ政府は日本に100兆円分のドルを払っちゃってるから、お金が足りないじゃん? その上、ドルの価値が下がっちゃったら、どうすんの? 少なくなってるお金が、価値まで下がっちゃったら、石油とか買えなくなるよ?


 ところがここで、思い出してほしい。石油は、事実上、ドルでないと買えないんだ。「ちくしょう!うまくやりやがって!」なのは、ここ! 

 産油国は、元々1バレル100ドルだったとして、ドルの価値が下がったから、値上げして120ドルにしよう、となる。でもドルがどこまで下がるか分からないから、さらに過剰に高くしがち。130ドルにしちゃう。日本から見ると、ドルの価値が下がった分だけ石油のドル価格が高くなるのは相殺されてるから損得無しだ。でも「過剰に高くなった分」は、単なる値上げだ。もう一個、おまけがある。産油国がアメリカに売る価格を実質的に安くしている、という説もある。軍事的圧力があるからだ、と。フセインの時とか、あったでしょ。ただ、これは陰謀論の領域で、確証はない。


 さらに、アメリカはその機を逃さず、ドルを刷る。じゃんじゃん刷るんだ。安くなったドルを各国が欲しがる。だって、ちょっとの対価でドルを入手できるチャンスだし、ドルは石油を買える唯一のチケットだよ。刷った端から、ドルは各国の銀行に吸い込まれていく。各国は自国通貨をドルに換える。でもただドルで持っているよりは、米国債で持っていた方が、利息が付くから二度おいしい。というわけで、各国はドルで米国債を買う。債権は各国が持っていて、それは利息でじわじわ増えるけど、いずれアメリカがドルを印刷して払えばいいだけだ。アメリカは国債が売れて、現金のドルを手に入れる。それで石油を買う。


 そして、円高ドル安の間、日本はだいぶ損をする。だって1ドルが120円(円高)と150円(円安)を比べてみよう。1万ドルが、120万円か、150万円か、の違いがあるでしょ。1万ドルの物を売って、120万円しかもらえないのが円高だからね。円高は輸出には大打撃なんだよ。日本は原料を買って製品を売るタイプの国だから、円安の方が儲かるんだ。もしも日本が主に輸入をする国だったら、海外のものを安く買える円高の方がいいけどね。今は違うから。


 こういう仕掛けがあるから、アメリカはドルを刷り、債権を他国に持たせている。日本はその債権を売れない。売ると円高で自分が損するからだ。


 これが現代の国際金融秩序だと気づいた。でも「誰かが悪い」という話ではない。構造の話だ。構造はこうなっている。利息がある限り債務は増え続ける。新しい電子・ホール対を生成し続け、一部の債務を塩漬けにしないとシステムが回らない。これを『経済成長』と呼んでいる。債務を塩漬けにする速度と、お金を生成する速度が、債務が増殖する速度に追いつかれたら終わりだ。債務の増殖は複利だから、指数関数だ。どんどんスピードを上げないと、すぐ追いつかれちゃう。成長が止まると、利息を払うためのお金が足りなくなり、ゲームオーバーだ。


 さて、ここまで見てくると、これはちょっと無理ゲーになってきてるな、と気づいた。このシステムは、「成長」を前提に組まれている。でも、成長って何だ?


 昔は足りないものがたくさんあった。食料、衣服、住居。それを作ることが成長だった。作れば売れた。今は足りている。食料は余って捨てている。服もそうだ。家も余って空き家だらけ。それでも債務に追いつかれないために「成長」が必要だから、新しい需要を作り出す。去年のスマホは古い。今年の流行は違う色。ほとんど同じなのに買い替える。


 物が飽和したから、次は「体験」や「注意」を売り始めた。エンタメ、広告、SNS。人間の可処分時間を奪い合う。日本のGDPの7割はサービス業だ。


 働いている人を見ると、不思議な仕事が多い。書類を回す仕事、会議を調整する仕事、報告書をまとめる仕事。「ブルシット・ジョブ」とも呼ばれる。でも本人たちは忙しい。忙しいから価値があるはずだと思っている。


 実は、その仕事の多くは「お金を循環させるための仕組み」なんじゃないか。本当は必要ないけど、雇用を維持しないと消費が減り、年金保険料が減り、システムが回らない。意味のない仕事に給料を払い、その給料で意味のないものを買う。そのサイクルで経済が回っている。


 それで回るなら、別にいいのかもしれない。みんなが「意味がない」と気づかなければ、永遠に続く。


 でも気づく人が増えている。


 中国の「寝そべり族」。韓国の「N放世代」。日本の「悟り世代」。彼らは反抗しない。デモもしない。ただ静かに参加しなくなる。最低限しか働かない。結婚しない。消費しない。これは静かな離脱だ。経済の循環から降りている。


 とはいえ、一度この流れに乗ってしまったら、降りたいと思っても、簡単には降りられない。家賃でもお金がいる。年金は払っておきたい。医療費もいる。虫歯にだってなるし、そしたら歯医者には行きたい。これらを捨てて野生で暮らしたいわけではない。


 だから入口で拒否するようになる。住宅ローンを組まない。結婚しない。子供を作らない。最初から荷物を持たなければ、少しでも身軽でいられる。


 昭和の時代は違った。腹が減っていた。殴られていた。抑圧されていた。その恨みが上昇意欲になった。見返してやる、偉くなってやる、金持ちになってやる。そのエネルギーが経済を動かした。


 今の若者には恨みがない。最初からそれなりに満足している。飢えていない。殴られていない。だから上昇意欲も薄い。


 これは悪いことなのか?


 満ち足りた人間が増えることは、本来、良いことのはずだ。文明の目的は人間を幸せにすることだったはずだ。飢えをなくし、暴力をなくし、苦しみを減らす。それが達成されつつあるなら、喜ぶべきことだ。


 でも経済システムは「足りない」を前提に作られている。足りたら動かない。利息に追いつかれたらおしまいだ。止まるわけにはいかない。


 歩かない牛を、無理やり押して歩かせようとしている、みたいな構図だ。


 ここで立ち止まって考えた。僕は何のために生きているんだろう。経済を回すために生きているんじゃない。経済の部品になりたくて生まれてきたとは思えない。


 僕が生きているのは何のためか。実は、前から時々思うんだけど、僕は「体験的納得感」が欲しくて生きているような気がしている。


「やってみたから分かる」「できるから確信がある」「確信をもって教えられる」。そういうものを増やすことが、僕がこの世でやりたいことだ。頭で理解するのではなく、体で納得すること。僕は、そういうことをしたい。


 現代の仕事は、これと逆のことを要求する。反射的な判断。速さと正確さ。能力の一部だけを使い、残りは使わない。何年も同じ専門。使う部分は疲弊し、使わない部分は眠ったまま。


 人間の体は、もっと多くのことをするようにできている。数十万年の進化の中で、走り、泳ぎ、登り、作り、歌い、踊り、語り、育て、看取ってきた。その全部ができるように設計されている。なのに今、使っているのは1%くらいだ。


 だから満たされない。物は足りているのに空虚。忙しいのに充実していない。


 じゃあどうすればいいのか。


 田舎に行ってコミューンを作る? それは嫌だ。閉じた集団は必ず腐る。教祖が現れ、教義ができ、「正しい生き方」が固定される。外部との壁ができる。それは別の檻だ。


 完全に降りる? それも難しい。社会から孤立し、保護を失い、一人では生きていけない。


 続ける? でも空虚だ。


 答えが出ない。


 ただ、気づいたことはある。


 若い世代を見ていると、彼らは新しい距離感を持っているように見える。踏み込みすぎず、でも繋がっている。強制しない。束縛しない。「それぞれでいい」という感覚。昭和的な濃い関係でもなく、完全な孤立でもない。風通しの良い繋がり。それが「新しい形」なのかもしれない。形を作らない形。名前をつけない集まり。固定しない関係。必要なときだけ繋がり、普段は干渉しない。


 成長の物語は終わりつつあるのかもしれない。それは破滅なのか、成熟なのか。これもアポカリプスなのだろうか。


 分からない。


 ただ、何かは続いていく気がする。


おしまい

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