【短編】草刈り魔法
波白雲
草刈り魔法
草はあっという間に伸びてくる。
この場所はつい先月くらいに刈ったじゃないか。他の場所を刈っているうちに、すっかり元通りに伸びている。何度も何度も伸びてくる草を、何度も何度も刈るのが俺の仕事だ。
今日の職場は、ある大学の構内。……大学というのは、なぜこうも草木が多いのだろう? 確かに緑があった方が景観は良いし、心も落ち着くと思う。しかし、草がぼうぼうに生えたこの場所に、俺達以外が居るところを見たことがない。
そんなどうでもいいことを考えながら、草刈り機のグリップを握ると、腰の辺りにあるエンジンから騒々しい音が鳴り響いた。俺が草を刈る動きに合わせて、リズミカルに音が大小する。静かだった構内を、俺が一変させた。
……さぞかし、煩いと思ってるんだろうなあ……。
大学の住人は騒音を嫌う。その理由も分かる。第一、騒音が好きな人間の方が少ないだろう。
かくいう俺だって、騒音なんて大嫌いだ。
だいたい、考えてもみて欲しい。一番煩いと思ってるのは、音の発生源に一番近い、俺なのだ。
この音は何とかならないのだろうか。そう言えば、こないだ見たアニメで音を消す魔法が出てきた。確か、音を伝えている空気をなくしてしまう魔法だったはず。……うん、不採用だ。空気をなくしてしまっては、音と一緒に俺の命も消えてしまう。
そもそも、せっかく魔法なんだったら音の問題だけ解決するのはもったいない。例えば、この周囲の草を一気に刈る魔法……とかが良い。
「この辺はだいたい終わったな。次はあっちの方を頼む」
先輩からの指示。
先輩は、この職場での働き方……つまりは草の刈り方を一から教えてくれた人だ。面倒見がよく、兄貴肌なところがある。そんな先輩も、別に草刈りが好きという訳ではなさそうだ。いかにもつまらなそうな顔で、先輩の担当範囲を刈り続けている。
……無駄なことばかり考えてないで、とっとと今日の仕事を終わらせてしまおう。
俺は再び、リズミカルなエンジン音を鳴らした。
◇
今日も昨日と同じ、大学構内の草刈り作業だ。今日の作業予定地に着くと、既に先輩が準備を始めていた。まだ草刈り機は出していないみたいだ。
「おはようございまーす」
「ああ、おはよう。じゃ、早速始めるぞ」
「あれ? 草刈り機は?」
「……草刈り……き……? 何言ってるんだ? お前。……無駄口叩いてないで、ほら、やるぞ」
そう言って先輩は、伸び切った草が生い茂る辺りに両手を伸ばした。
……先輩こそ、何を言って、何をしてるんだ?
俺は悪ふざけを続ける先輩を無視し、草刈り機の準備を始める。
……あれ、ないぞ……。草刈り機が、どこにもない。
「クッサカール!」
その時、先輩が背後で大きな声を出した。その内容は、思わず笑ってしまうような小っ恥ずかしい呪文のようだった。どうやら突っ込むまで悪ふざけをエスカレートさせるつもりのようだ。……仕方のない先輩だ。
「先輩、何やって——」
突っ込んであげようと振り返った俺は、刈られた草を見た。先輩の両手の先、およそ一メートル四方の草が、いい塩梅の長さで刈り揃えられている。これは一体、どういうことなんだ? 手の込んだおふざけ?
「クッサカール!」
呆気にとられる俺を他所に、先輩は再び呪文を唱えた。俺の目は、今度は間違いなく、決定的な瞬間を捉えた。先輩のかざした手の先にある草が、一気に刈られる瞬間を。
……夢……かな。そうとしか思えない。呪文を唱えて草を刈れるなんて、非現実的だ。大学の異様な静かさが、夢っぽさをより強く感じさせる。
「何ぼーっとしてるんだ。お前はあっちの方を頼む」
夢だったら、俺にも出来るかもしれない。恥ずかしさは拭えないが、先輩もやってる。これでドッキリだったら、思いっきり笑えば良い。
俺は、さっき聞いたばかりの呪文を思い出し、詠唱した。
「クッサカレール!」
「なッ!? バカ……ッ!」
俺が人生初めての呪文を唱えると、すぐに後ろから慌てる先輩の声が聞こえた。
振り返ると、先輩は大急ぎでガスマスクのようなものを装着している。よく見ればそれは、俺の腰にもあるものだった。……こんなもの、いつの間に身に付けたんだ? とにかく、先輩に訊いてみよう。
「せんぱ……っ!?」
声を出そうと息を吸った時、強烈な苦しさを覚えた。空気は吸えている。しかし、息が出来ない。一瞬で意識が遠のいていく。
「バカ野郎! 早くマスクをしろ!」
視界も霞んできて、先輩の姿をしっかり見ることが出来ない。焦点も合わない。ただ、ガスマスクごしのくぐもった声が、近づいて来ている気がした。
◇
少しずつ、はっきりしてきた意識の中で、口になにかを押し当てられているのを感じた。すぐ近くに、先輩が居るのが分かる。
「おお、気がついたみたいだな」
「……先輩、俺は何をしちゃったんでしょう……?」
「うーん、まだ朦朧としてるみたいだな……。お前は、草を枯らす魔法を使ったんだよ。草が枯れれば酸素がなくなる。酸素がなくなれば、俺達は呼吸が出来ずに死んでしまう。……小学校で習っただろ? 思い出したか?」
習った……のかな。確かに、草木は光合成によって酸素を作り出していると教わった。それが枯れれば、酸素がなくなるのは当然のように思えた。
「でも草を野放しにすれば、どんどん伸びて最後には人間の邪魔になる。……俺達の仕事は、常に丁度いい長さに刈り揃えて、バランスを保つこと……もう何度も教えたんだけどな」
「……すみません、すぐ思い出せなくって……」
「まあ、仕方ないな。忘れるなよ? 俺達は、草木と人間のバランスを保つ、調停者だ。誇りを持って臨め」
調停者……。随分と、格好いい響きの言葉が出たもんだ。だいぶはっきりしてきた意識で、先輩の言葉を噛み締める。……すると、先輩の携帯端末がやかましく鳴り始めた。
先輩は端末のボタンを操作し、耳に当てる。通話のようだ。応答した先輩の表情が、みるみる焦りに染まっていく。何か悪い連絡が入ったのだろうか……。
再びボタンを操作して通話を終了すると、先輩は真剣な目つきで俺の状態を確認した。俺はすっかり回復している。
「ザッソーが暴走しているらしい。お前ももう大丈夫そうだな。いくぞ!」
先輩の言う事は相変わらず意味不明だが、付いていく他ない。俺は先輩に誘導されるまま、車に乗り込んだ。
◇
車での移動時間は短かった。大学を出てすぐの大通りで止められた車の中から、俺は辺りの様子を窺っている。……と言っても、細かく確認する必要はないほど、状況は明らかだった。
道路の真ん中で、巨大な緑色の塊が蠢いている。長いツタのようなものを伸ばし、近くの車を掴むその姿は、まるでモンスターだ。すでに避難は完了したようで、
……アレが、ザッソー?
「くそ……ッ! 伸び切って被害が出てやがる……! 急いで刈るぞ!」
先輩は車を飛び出し、ザッソーに両手を向ける。
「クッサカールッッ!」
ズバッ!!
さっきよりも強い語気で放たれた魔法が、ザッソーの身体を削った。……しかし、相手が大きすぎる。緑の塊は動きを止めない。それどころか、先輩に向かってツタを伸ばしてきた!
「くッ……! クッサカールッ!」
先輩は再び魔法を放つ。……ダメだ! 外れた!
「ぐぁあああ!!」
「先輩ッッ!!」
ようやく車から出た俺の前で、先輩の身体が宙に浮かんでいった。ツタに掴まれ、持ち上げられている。アニメでは、地面か何かに叩きつけられるのがよくある展開だ。先輩はただでは済まないだろう。想像したイメージに対する、強烈な忌避感。
何とかしなければ!!
「うぉおおお!!」
俺は両手をザッソーに突き出し、目一杯の力を込めて呪文を放つ!
「メッチャクッサカレールッッ!!」
カッ!!
俺の両手から眩い光が放たれたかと思うと、ザッソーが茶色く変色し始めた。ボロボロとどんどん崩れていく。驚く俺の視界の端に、落下する先輩の姿が映った。掴んでいたツタが崩れたのか!
「先輩ッッ!!」
俺は無我夢中で走り、先輩を受け止めようと飛び込んだ——
◇
「……着いたぞ。ここが今日の作業場所だ。……なんだ珍しいな、寝てたのか」
「……ん……?」
車の中で先輩に声をかけられ、俺は目を開ける。眩しい光が差し込み、反射的に手で陰を作った。
「体調は大丈夫なんだろうな?」
「……えっと……俺なにか……?」
「忘れたのか? お前昨日、仕事上がりに一杯とか言って、酔い潰れたんだろうが。誰が家まで運んだと思ってる。……全く、世話の焼ける後輩だ」
先輩はぼやきながら車を降り、荷台に積まれた草刈り機を下ろし始めた。
「あれ!? 草刈り機!」
「……? 本当に大丈夫か? 俺達の大事な相棒だろ。これがなくちゃ草がぼうぼうに伸び切っちまう」
それは何としても防がなければ。
俺は先輩から受け取った草刈り機を腰に装着し、作業すべき場所に近づく。今日の相手は、こいつらか。
「……全く、無茶しやがって」
俺は草刈り作業者。草と人間のバランスを保つ、調停者だ。
俺は相棒のグリップを強く握る。『クッサカール』が元気なエンジン音で応えた。……調子は上々!
周囲は、俺達が奏でるリズミカルな騒音に満たされた。
【短編】草刈り魔法 波白雲 @namishirakumo
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