第4話:夜明けの返事
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### **小説『夜明けの交換日記』**
#### **第4話:夜明けの返事**
お母さんの命日の朝。空気はガラスみたいに張り詰めていた。食卓についた私とお父さんは、黙り込んだまま。キッチンに立つ美咲さんの背中だけが、やけに大きく見えた。
やがて、美咲さんはお皿を持たずに、私の前にやってきて、まっすぐに私の目を見た。その瞳は少し潤んでいたけれど、昨日までの迷いは消えて、凪いだ湖のように静かだった。
「三月ちゃん」
凛とした声だった。
「聞いて。遥お姉ちゃんはね、もうここには帰ってこないの」
心臓が、氷水でぎゅっと掴まれたみたいに冷たくなった。知ってる。そんなこと、本当はもうずっと前から、分かってた。でも、誰にも言われたくなかった。
「でもね、それは三月ちゃんを一人ぼっちにするためじゃない。あなたが、ちゃんと前を向いて、新しいお母さんと笑って、幸せになるために、遠いところから見守ってくれてるんだよ。それが、あなたのお母さんの、本当の願いだから」
それは、魔法の呪文なんかじゃなかった。
日記に書かれた答えでもない。
美咲さん自身の、心の底からの、本当の言葉だった。
「う…、うわあああああん!」
堪えていたものが、全部壊れてしまった。私は椅子から転げ落ちるように床にうずくまり、声を上げて泣いた。
「帰ってくるって言ったのに! 約束したのに! 嘘つき!」
ずっと信じていたお母さんとの約束が、本当は私を苦しめていた鎖だったなんて、知りたくなかった。
すると、温かい腕が、私の体をそっと抱きしめてくれた。美咲さんの腕だった。
「うん、辛かったね。ずっと一人で、約束を守ってて、偉かったね」
背中を優しく撫でる手。それは、雷の夜に私の耳を塞いでくれた手と同じくらい、温かかった。私は、美咲さんの胸の中で、子供みたいにわんわん泣き続けた。
***
その夜、美咲さんは日記帳の最後のページを開いていた。
もう、姉に問いかける言葉はない。ただ、溢れる感謝と、未来への決意を、万年筆に込めて綴った。
『お姉ちゃん、ありがとう。
もう、大丈夫。三月ちゃんは、私が必ず幸せにします。
だから、安心して、ゆっくり休んでね。
私たち、二人でちゃんと家族になるから。
さようなら、お姉ちゃん』
返事が来るはずのないそのページを最後に、美咲は静かに日記を閉じた。長くて不思議な夜が、ようやく明けた気がした。
***
翌朝。キッチンで朝食の準備をする美咲さんのパジャマの裾を、私がちょん、と引っ張った。
「あのね、きのう、これ…」
私が指さしたのは、テーブルの上の日記帳だった。不思議に思いながら、美咲さんはもう開くはずのなかったそれを手に取った。そして、最後のページを開いた瞬間、息をのむ。
自分の書いた別れの言葉の下に、私の、たどたどしい鉛筆の文字が書き加えられていた。
**『おかあさん(遥)から、いわれたの。あなたのあたらしいおかあさんは、みさきさんだよ、だって』**
美咲さんが驚いて顔を上げる。私は少し照れながらも、でも、ちゃんと伝えたくて、彼女の目をまっすぐに見つめた。そして、おずおずと、でも確かめるように、こう尋ねた。
「……お母さん、だよね?」
それは、私がずっと言えなかった言葉。美咲さんが、ずっと聞きたかった言葉。
次の瞬間、美咲さんの目から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。彼女はその場にしゃがみこみ、声を上げて泣きながら、それでも最高の笑顔で叫んだ。
「そうよ! もちろんよ! 私が、あなたのお母さんよ!!」
美咲さんは、私の体が軋むくらい、力いっぱい抱きしめてきた。喜びと、安堵と、愛しさが爆発して、力の加減も忘れてしまっているみたいだった。
腕の中で、私は少し困ったように、でも嬉しくてたまらない声で言った。
「う……、くるしいよ、お母さん!(笑)」
そのくすぐったい響きに、美咲さんの涙は笑い声に変わった。
食卓には、優しい朝の光が差し込んでいる。
奇跡の交換日記はもうない。けれど、世界で一番温かい会話が、今、この場所で確かに始まっていた。
***
**【エピローグ】**
誰もいない、月明かりだけの夜のリビング。
本棚の奥で、あの日記帳がふわりと光り、最後のページがひとりでに開かれる。
美咲の言葉と、三月の言葉が並んだその下に、まるで涙の滴が滲むように、優しい文字がゆっくりと浮かび上がった。
**『ありがとう』**
そのたった一言は、きらめきながら空気に溶け、静かに消えていった。
ぱたん、と日記帳は優しく閉じられ、その存在そのものが、おぼろに霞み、やがて、跡形もなく、ふっと消えた。
もう、奇跡は必要ない。
一番の奇跡は、今も子供部屋で、大好きな新しいお母さんの夢を見ながら、健やかな寝息をたてているのだから。
『奇跡の人(ミラクルワーカー)はママハハでした。』 志乃原七海 @09093495732p
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