第5話_そつぎょう

 ――BOOOOOOOOOOMMM!


 すわ、響き渡るドアの開閉音ドーーン


「たっだいまー! 見てみて、面白い子犬ちゃんをもって帰って来たわよ♪」


 ぐう、と少女のお腹が鳴く。


 実にデリカシーのない所作に背中うなじ越しでもわかるノアルの「ニッコニコ」とでしか表現できない表情。


(大丈夫だよね、撃たれたりしないよね)


 おっかなびっくり、といった様で戌弓いゆみは足を踏み入れた。





 まず、光が見えた。ゆらゆら、ゆらゆらと踊る何本かのろうそく。それらはカウンター上やLED電灯があったであろう部分に吊り下げられたりしている。

 合計すると両手で数えられる程度。吸血鬼にとっては優しい塩梅の光量だ。

 縦長の室内は雑多なもので溢れかえっていた。これらの光景は少女にとって珍しいものではない――生活物資の山だ。床には重量物を引きずられた跡が大量に。それらの終着点に生活感溢れる椅子たちがあった。これが、右側。

 左側には実にBarらしいカウンターテーブル。背後のバーキャビネットには多種多様な飲料……一部に洗剤が混じっている……が飾られている。いや、よくみると様々なアニマルのぬいぐるみやら、養生テープやら、きらきらする小石、その他云々、もある。生活感という概念がピッタリ。


「ほほぅ新顔だ! Oryza以来だな!」


 ハイテンションな声。カウンター席に腰掛ける筋骨隆々が満面の笑み――顔の上半分が真っ白な仮面で隠れているので余計に目立つ――が手を振る。太い首を啜るのは苦労しそう。そんな動作だけでもワイシャツがはちきれそうな男だ。 


(ちらりとこちらを見る。左目がわずかに見開き、そうして視線は戻された)


 その向かい側にはつまらなそうなジト目でコップを拭いている長身細身が。バーテンダーユニフォームの上にエプロン。細い首は慎重に扱わないと折れてしまいそう。様々なポーズのデフォルメペリカンがプリントされていて、着用者との温度差が凄そうな女だ。


「そこにあるのは(ぬいぐるみ)だよ。きみは……うん、どれが似合いそうかな」


 穏やかな声。おそらく3人は余裕で座れそうなほどの真っ赤なソファー。その中央に小柄やせ型――自分と同じ――が。白髪と雨色の瞳。足を組み、片手のティーカップを傾けた……


「あんたがシルクハット?」

「そうだよ。よろしくね」


 真っ黒な本体に蜈蚣むかでがとぐろをまく、異様なシルクハットを被る女。なんて薄そうな首の皮膚だろう。舐めて融けたりしないよね。


 Barの中にいるはこの3人だった。


「はいこれ。アタシとゆーちゃん」

(ややおっくうそうに頷く)


 長身細身はノアルが懐から取り出したコウモリとクラゲの塗い包みぬいぐるみを受け取り、バーキャビネットへしまう。戻ってきたとき、その手にはビールジョッキがあった。どろりとした液体。所々に白いものが混じっている。


「あら! これってもしかして」

「イチゴ。野生の。群生、していた」

「あっりがとう!」


 ノアルは喜色満面で受け取り一気に飲み干す。


「っぱあ! この粗ごし! いい喉感だわぁ」


 長身細身は両手でVサインをノアルに送り付けた。心なしか目元も上がっている。


「コオロギのシロップよりは、健康。どう? どう?」

「あとは……甘さね。サイダーで割るのはどうかしら」

「ミルク、増やそう」

「幸いにも牛乳なら在庫がたんまりだ! 加熱処理すればいけるぞ!」


 筋骨隆々が親指を立てる。自信満々の笑み。



「イチゴミルクはノアルの好物なんだ。特に果肉を適当にすりつぶしたやつ。喉越しがいいんだって。でも炭酸コーラはいやだっていうの、面白いよね」

「へ、へぇ……」

「このシュワシュワがいいんだ」


 戌弓いゆみは今、シルクハットの隣に座っていた。

 手に持つティーカップ……中には泡弾ける真っ黒なコーラ……を傾ける。満足そうな吐息。薄い喉がぴくぴく動く。


「ゆーちゃんを通して全部見ていたよ、戌弓いゆみ。こうして他の吸血鬼と会うのは初めて?」

「は、ははい」

「緊張している?」

「……」

「わかるよ。この時代、どの種属(しゅぞく)関わらずみんなそう。ごめん、考慮するべきだったね」


 シルクハットはほんの拳一つ分距離を取る。それだけでも戌弓いゆみ的にはありがたかった。

 例えるなら、職場の先輩には打ち解けられても社長クラスが来るとカチコチになる新入社員のイメージだろうか。

 この国の文化として、上と下で全然違う意見を持つというものがある。これまでの経験から、戌弓いゆみは防御反応を取らざるを得ない。


「あの」

「うん。何でも聞いて」

「ノアル、さんは、自分のことを能染疫(よせき)って」

「ああ、それはがつけた用語だよ。ぼくたちの種属しゅぞくになるといくつかの基力きからが使えるようになる、って教わったでしょ。そしぼくたちは接触感染で増える。能力を感染させる疫病……だから能染疫よせきってことらしいよ」

「へぇ」

「どっちを使ってもいいと思うよ。現にノアルは能染疫よせきって言っているし」

「うん」

「お腹空いているみたいだね。啜欲(せつよく)が高まっているでしょ」

「はい……え?」

「ずっとみんなの、今はぼくの首を見ている。目の前のぼくだけを」

「いやっ、そんな、こと」

「ほら。見て」


 ずい、とシルクハットが襟元を解く。わずかに浮かぶ血管。ああ! なんて柔らかそうなんだろう! 牙を突き立ててみたい。いい匂いがしそう。お肉柔らかそう。ぷちっ。じゅわぁぁ。小宇宙コスモス。飛翔。力を込める。鎖骨と牙が擦れる。楽器。がりっ。音を鳴らす。満たされる。喉。喉。喉。食感。食。たべたい。触りたい。引きずりだしたい。血管。宇宙ユニバース。血、血、血、鉄、血小板、血漿。極小宇宙ミクロコスモス。飲む。あったかい。飲まないと。止まる。動かなくなる。肉。飲まなきゃ、死ぬ。たべたい。生きたい。寝たい。死んで灰に


「は、ああぁつ、っ、っは、あう、ぅううう……! ぐる、ぐる、るるぐる」

「怯えないで」


 急激な発汗と発熱、抗いがたい衝動に全身の毛が逆立つ戌弓いゆみの手をシルクハットが取る。被る帽子を外す。頭を突き出す。真っ白な髪のに小さな手を乗せる。そっと上下に動かし、撫でさせる。


「ッう、は、あぁはぁあ、ぅぅ~」

「抗わないで。それは正常な欲だよ」

(唾を飲み込む音)

「だから。おいで」


 片手で器用に上着を着崩す。露になる肩。薄い皮膚。柔らかい皮膚。血管。匂い。甘い匂い。汗のにおい。脂。鉄鉄鉄赤あかあかあかあか。







「自分が吸血鬼って解ったの、今日なんでしょ。じゃあまだ処貞(しょたい)なんだ」「初 め て な ん だ」「安心して。ちゃんと捌潮(はつせ)がうまくいくよう……卆形(そつぎょう)させてあげる」「口、開けて?」「そう、大きく、おおきく」「ちゃんと吸牙(きば)は生やせているね」(シルクハットの指先が戌弓いゆみ吸牙きばをつつ、と撫でる)「十分健康的な大きさ、太さ、それに硬さ……あっ。ちょっとおっきくなった笑」「いい? 吸牙きばは空洞だから、とっても敏感で傷みやすいの。だからむやみに出しちゃだめだよ」「あ、牙冠(しかん)の潰れた跡がある。ふぅん。自血捌啜(じかはっする)はもうしたんだ。腕? 脹脛? それとも野生生物? 犬かな? そうだとしたらとっても不味かったでしょ」「でも大丈夫。これからはいつでも……飲 ま せ て あ げ る」


 いつの間にかシルクハットのほっそりとした上半身は完全にさらけ出されていた。

 天井のろうそくによって炙られる光と影。輝く黄色味おうしょくの真っ白なひふ。


「慣れてくると(自分の胸元を指す)でもできるけど……ちょっと加減間違えると死ぬほど痛いんだよね。だから。おいで」「右利き? じゃあ右にしよう」「いい? ぼくの総頸動脈そうけいどうみゃくはここ。首の……手を当ててみて。ちょっと動いているでしょ」「ここに吸牙きばを押し当てて、皮膚を捌けば沢山出てくるから、飲みやすいよ」


「はっ、はっ、はっ……ぐるぐ、るるぅぐぅううッ……」


「危なくないから。痛くないから。大丈夫、もう大丈夫だよ」(シルクハットの左手が戌弓いゆみの頭を抱く)「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり……そう。覚えて。ここ。このポイント、ね」「待たせちゃったね」「それじゃ、ゆっくり口を閉じて……いいよ。一気にがぶっと」


 ぶちっ

 ずぶ……ずぶ……ずぶ……


「ぁぁ、あ、ぅあ、ううぅうううッ」


「全身の力をぬいて、リラックス、リラックス」「ぼくのことぎゅって抱きしめていいからね」「ほら、感じる? 心臓の音。ヒトじゃない、リズミカルで、ティンパニの連打を重ねたような」「それと合わせて喉を動かしてみて」


 じゅる、じゅるるるっ、じゅるるるっ、じゅるるるるっ、じじゅるるるるる


「そう。上手だよ」「リズムさえ解ればあとは――キミの気が済むまで幾らでも」


 戌弓いゆみの頭を撫でながらシルクハットが囁く。

 ぴくり、ぴくりと少女たちの躰が跳ねる。

 唾と鉄の匂い。

 

 じゅるるるるっ、じじゅるるるるる、じゅるるるるっ、じじゅるるるるる、じゅるるるるっ、じじゅるるるるる、じゅるるるるっ、じじゅるるるるる、じゅるるるるっ、じじゅるるるるる……



「おおー」

「血を一滴もこぼしてない。可哀想に、今までずっと空腹だったのね」

「見事な飲みっぷりだ! コツがあるかもしれないな、後で聞くとするか!」

「じぶんのあげればよかったのに」

「んー、そうね。でも折角の捌潮はつせだもの。一番美味しいものにするべきよ」

「自信ないのか? 特に不味くはないと思うぞ!」

「あら。ありがと」

「ノアル、錬血ニガテ。ソード忘れたの?」

「あ! そうだったそうだった。これは失敬」

「ひとつ貸しにしておくわ」


 云々と騒ぐ外野のガヤガヤは聞こえなかった。今の戌弓いゆみ全身の多幸感を押さえつけるので必死だったから。瞳は小宇宙コスモスを映し、脳は宇宙ユニバースを想像し、躰は極小宇宙ミクロコスモスの中を浮かび飛翔する。


 ごろ、ごろ、ごろ、ごろごろごろ……


 喉の大合唱。


 ……そして。


「ぷ、はぁあははっ――」

「おつかれさま。気持ちよかった?」

「……ぅん」

「よかった」


 戌弓いゆみはこうして卆形そつぎょうした。





<造語解説>

・塗い包み(ぬいぐるみ)

 → 全てデフォルメされたアニマルであり、シルクハットは外出の際に必ずこれを持っていくよう命じている。誰が何に対応するのかは彼女(の独断と偏見)によって決められる。

・種属(しゅぞく)

 → 実在語。吸血鬼社会では「種族」とほぼ同じニュアンスで使用される。彼らからすると、ひとはあらゆる面で異種属いしゅぞくである。

・能染疫(よせき)【追加情報】

 → シルクハットの解説にある通り、彼らは接触感染で増える。そのため男性・女性関係なく性器は機能を喪失しており、すなわち生殖能力は完全にない。喪失するタイミングとしては翅化うかの直後であるという。

・啜欲(せつよく)

 → 吸血鬼の生理的欲求のこと。人間でいうところの食欲・性欲・睡眠欲統合したもの。吸血鬼倫理において、これを我慢するのは甚だよろしくないこととされる。

・処貞(しょたい)

 → 給血(きゅうけつ)をしたことのない個体のこと。

・捌潮(はつせ)

 → 初めての給血きゅうけつ行為のこと。

・卆形(そつぎょう)

 → 処貞しょたいから脱すること。

・吸牙(きば)

 → 給血きゅうけつ行為において必須の器官。咥内から展開し、対象の各部位に突き刺して血を啜る。内部は空洞であり、毛細管現象の働きにより血液を摂ることができる。

・牙冠(しかん)

 → 吸牙の先端部のこと。とてももろく、対象の皮膚に突き刺すと同時に破損する。この部位の再生には数日を要し、未再生の状態で給血きゅうけつ行為を行おうとすると吸牙が激しく痛む。このことにより、吸血鬼は給血きゅうけつ行為を連日で行うことができない。

・自血捌啜(じかはっする)

 → 処貞で、もしくは周囲に家一味がいないときに啜欲が高まってしまう。そういったときに行われる行為で、己の手首や脹脛に噛みつき疑似的な給血きゅうけつ行為を指すうスラング。


<キャラクターひとくち設定>

戌弓いゆみ

 → 途中から各キャラの首をガン見していた。おなかがすいたんだね。

・ノアル

 → 好物は果肉入りイチゴミルク。

・シルクハット

 → コーラやエナジードリンクなどの健康に悪いジャンキーなものが好き。

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外伝 文明能染疫(よせき)属 ラジオ・K @radioK

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