ブラボー、パチパチ! スタンディングオベーションを惜しみなく送ります。
これは素晴らしい作品です。まるで宮尾登美子さんの作品を読んでいるような充実感でした。
物語は、尾道の花街「新町」に売られてきた12歳の少女が、禿(かむろ)から14歳で水揚げして「吉野」の源氏名となって、18歳で太夫(花街№1)となり、ついに25歳(多分)で花街を去っていくまでの成長譚です。
その間に巡り合う、姉さんの東雲(先輩太夫、怖いが根底には優しさが)、八利の旦那(吉野のパトロン。酸いも甘いも嗅ぎ分けたいい男)、吉野の禿になった駒菊(生意気、新人類)と、それぞれキャラの立った個性的な魅力にあふれています。また、所々出てくる、囲碁、茶、唄など、どれも風雅で、花街の雰囲気が伝わってきます。
ストーリー構成、キャラ造形、文章力、表現力、花街を研究した造り込み、歌のやり取りに至るまで、すべて高レベルでバランスしていました。
カクヨムの読者層にフィットする作風ではないと思いますが、時折はこういう作品を読んでインプットする必要があるなあ、と思える作品でした。
わたくしはこれをお勧めいたします。
地方の遊郭と言うと、一見華やかなイメージもありますが、非常に厳格な接客の世界という一面が、作者様の紡がれる文章から感じ取られます。
その中で、主人公の吉野はいかにして太夫となったのか。
吉野を、その世界でそこまで泳がせたのは、その持ち前の感性と「茶芸」でした。
まるで、一枚の着物を縫うように、世界を壊さず伝えてくれるように、一つ一つの言葉を大切に扱い情景を表現された小説です。
吉野は心ある人物で、そこに儚い柔らかさを感じます。
地方の町や村の様子や石畳が脳裏に浮かんでくるように、表現力に秀でた文章を、ぜひ味わってみてください。
江戸時代、尾道の港町にある遊郭を舞台に書かれる、傾城と呼ばれるまでになった遊女の話。
太夫である東雲の禿となり、必死に芸を覚える様から物語は始まります。
はじまりで二四と語られる吉野。
十数年前の飢饉から、それでも生きるために娘すら売る事になった家族の苦悩は如何程だったのか。
人間五十年とも歌われる時代、盛りを迎える若き女たちが、鳥籠の如き世界に囲われながらも、強かにも日々の中に微かな楽しみや、淡い情を抱いて過ごす十数年。
それ程の月日を過ごす無常を、どう表すことが出来るだろうか。
それを見事に書き切られたこの作品は、まるで自分がそこにいて、風に乗る潮の香りと、点てられた茶の香りを感じるような錯覚すら覚えるほどの、流麗な文章で綴られています。
時代に合わせられた少し難しい言葉もありますが、今の時代なら直ぐに調べることが出来ますので一安心。
日本語の美しさを知ることが出来、見識も広がりました。
この素敵な物語を是非お読みになって下さい。
読了後、きっと心に暖かい何かが灯っている事と思います。
素晴らしい作品に出逢わせて頂いた作者様と、ここまでお読み頂いた方に感謝を。
ありがとうございました。
舞台は天明期の尾道。港町の遊里「新町」で生きる傾城・吉野は、かつて太夫・東雲の禿
として育てられた女である。
茶の点前、教養の裏で、彼女は常に「選ばれる側」として生きてきた。
この作品が描いているのは、色街の艶やかさではない。
選ばれることによって逃げ場を失っていく女の人生である。
吉野は水揚げの夜、ついに身体を奪われることはなかった。
しかしそれは救いではなく、むしろ彼女を縛る別の鎖となってしまう。
上客・八利の旦那の後ろ盾。
町年寄と結びついた遊里の政治。
「茶を点てられる女」という希少性。
それらが重なり、吉野は次期太夫へと押し上げられていく。
だが彼女が本当に欲しいのは、名声でも華でもない。
村に残した家族――とくに、自分と同じ運命を辿りかねない妹を救うことだけだ。
そのために、彼女は自ら年季を三年延ばす。
自由が近づくはずの人生を、あえて自分で引き伸ばす。
これは献身ではない。これは牢獄の再契約だ。
本作の最大の美点は、すべてが『やさしい言葉』で進むことにある。
文章は端正で静かで、情景は美しい。
だが読み進めるほどに、読者は気づく。
これは恋でも情でもなく、社会そのものによる監禁の物語だと。
最後に残るのは、
『吉野はもう、どこにも帰れない』という痛切な余韻である。
まだまだ序盤ですが、今後とも注目しようと思います。