第2話 園辺有紀子

 年明けから一週間、キャンパスは閑散としていた。行き交う学生もまばらだ。講義日程の都合をつけて、まだ帰省中の者も多いのだろう。

 学生課で用を済ませると、私はコートの襟を立て、足早に校門へと向かう。寒い日だが、雪は落ちてきてはいない。まるで、空の上で凍りついたかのように。

 校門を出たところで、私は振り返った。

 見慣れた校門。見慣れた校舎。大きな区切りをつけた日だというのに、たいした感情は湧いてこなかった。二年間を過ごした場所だが、ここに私の『これから』はないのだと感じる。

 私は今日、退学届を提出した。郵送でもよかったのだが、最後のけじめと思って直接持参したのだ。手続き上、三月末まではここの学生だけれど、たぶんもう二度とこの門をくぐることはないだろう。

 三人連れの女子学生が、にぎやかに笑い声を上げながら私の脇を抜けて構内へと入っていく。私は踵を返すと、自分のアパートへと歩きはじめた。


 大学の授業には、まったく興味を引かれなかった。

 当然といえば当然だ。世間一般で『有名校』といわれるような、できるかぎり知名度の高い大学の、できるかぎり偏差値が低くて合格しやすそうな学部を選んで受験しただけなのだから。大学で学ぶ云々より、実家を離れて大都会で暮らすことが主目的だった気がする。


 父が再婚したのは母の死から八年後、私が小学校五年生のときだった。父は仕事一筋のサラリーマンで、炊飯器や洗濯機の使い方すらあやふやなほど家庭的なことはほとんどできない人だった。私が幼いころは、父の姉にあたる伯母さんがほぼ毎日わが家へやってきて、私の面倒を見てくれていたのだ。そんな父にとっては、これから思春期を迎え、心身ともに大人になっていく一人娘と正面から向き合うのは荷が重いと感じられたのだろう。再婚したのは愛情というより、家事や娘の世話を任せられる相手が欲しい、という気持ちのほうが強かったように見えた。

 新しく義母ははになった人は、優しい目をしたごく普通のおばさん、そんな印象だった。私にも気を使ってくれているのが伝わってきたし、嫌な人ではなかった。ご近所さんか家政婦さんだと言われたなら、私も素直になつけたかもしれない。けれどその人は、母ではなかった。「さぬ仲」という言葉の重い意味を、現実として思い知った。物心つく前に亡くなり、おぼろげな記憶しかないけれど、私にはアルバムの中で私を抱いて笑っている女性しか母と思える人はいなかったのだ。

 反発したりはしなかった。父との二人暮らしで、いろいろと「折り合いをつける」ことを他の子たちよりは早く身につけていたからだ。それに、私には本があった。本の中の世界に没頭すれば、現実のちょっとした不満やイラツキをやり過ごすことは簡単だった。義母はおそらく、温和な外見の印象よりもずっと頭のいい人だったのだと思う。そんな私の微妙な気持ちをちゃんと心得ていて、必要以上にベタベタせず、ほどほどの距離感を保ってくれた。

 高校を卒業するまで、私たち三人はの呼吸でそれぞれの役割を分担して、穏やかな家族を演じた。


 東京の大学に進学したいと言ったとき、義母ははは悲しそうな顔をした。私が家から離れたがっていることを察したのかもしれない。「地元にも大学はあるんだから、無理しなくても」というようなことを言った。

 だが志望校の名前を聞くと、両親の態度は一変、応援してくれるようになった。私の志望校が、二人が思っていたよりもずっと上位の大学だったからだ。義母はともかく父も、私の成績がどれくらいか把握していなかった。


 大学生になった私は、思いきりイメージを変えた。髪を伸ばし、メガネをコンタクトに替えた。ピアス、ネイル、派手めの服、全部やってみたかったことだ。高校では「地味子」のポジションだったけど、それを繰り返そうとは思わなかった。

 そうやって私は東京の生活になじんでいき、ごく自然な流れで、人生初となる恋人ができた。相手は六歳年上、大学の友人の紹介だ。初めて会ったとき、写真家のタマゴですと自己紹介した彼に、私は強く惹かれた。

 彼は風景写真家を目指していたが、アルバイトとして芸能関係のグラビア写真なども手掛けていた。一度スタジオ見学させてもらったとき、彼は私のポートレートを撮ってくれた。出来上がった写真を見て、私は驚いた。そこには、モデルか女優のようにポーズを取る、自分とは思えない自分がいた。これまで自分の容姿が優れているなんて思ったこともなかったけど、テレビCMや雑誌の表紙で笑顔を振りまくタレントたちと、少しも違わない気がした。胸の奥に、なにか熱いものが込みあげてきたのをはっきりと覚えている。高揚感と、優越感と、自分を見てほしい、称賛してほしい、そんな欲望。華やかな世界に、私は魅了されたのだ。


 クリスマスを二人で過ごした翌日、彼は言った。

「ヨーロッパで写真の修行をしようと思うんだ。三年間。有紀子は大学を卒業して、待っていてほしい」

「……うん。待ってる」

 前々から、海外で力を試したいという彼の望みは聞いていた。そのための貯金もしていると聞いていた。だから、驚きはなかった。

 待ってると口では言ったけれど、そのときにはもう、私の気持ちは決まっていた。私は彼と一緒に行く。離れて暮らせば、互いの気持ちはそのうち冷めてしまう。彼を愛していると同時に、彼は私をきらびやかな世界へと連れていってくれる乗り物でもあるのだ。写真家として成功し、スポットライトを浴びる彼の隣にいたい。失いたくない。

 高校までの私は、葉陰の青虫だった。大学生となり、都会の水に親しんだ今の私は、さなぎだ。私は蝶になりたい。春の陽光を一身に受けて、季節の主役となる美しい蝶になりたい。


 そんなとりとめのない考え事をしながら歩いているうちに、私は自分のアパートに着いていた。

 学生向けの、八畳ほどのワンルームだ。家具は少ない。ベッドとローテーブル、小さな書棚。クローゼットは作り付けだ。

 十日ぶりに戻った部屋は、冷え冷えとしていた。エアコンを付け、コートを脱ぎ、電気ケトルに水を注いでオンにする。数分後、温かいコーヒーのマグカップを手にした私は、ベッドに腰かけてようやく体をリラックスさせることができた。壁のカレンダーが十二月のままになっている。あの人は二月末か三月初めに出発する予定だと言っていたから、それまでに、この部屋も引き払わないと。

 年末に帰省して、親子三人で正月を過ごした。成人式に出席するからまた帰ってくると言っているのに、義母はどうしてもと、わざわざ写真店へ出かけて三人で写真を撮った。父と義母と三人で写真を撮るのは、ずいぶん久しぶりだった。

 退学届はずっと荷物の中、ノートに挟んで忍ばせてあった。故郷の空気に触れて、少しでも迷ったり気が変わるようなら破り捨てるつもりでいたのだ。もしかすると、自分でもそれを望んでいたのかもしれない。けれど、実家で過ごした十日間の間に、期待していたような心境の変化は起きなかった。私は、自分の心がもう動かないことを自覚した。

 親には退学することも、外国行きのことも一切言わなかった。言えば強く反対されるに決まっている。事後報告するつもりだ。親不孝な悪い娘だと思う。でも、自分の気持ちを変えることは、今の私にはできない。


 ぼんやりと室内を眺めていたら、書棚に目が留まった。

 あれほど夢中になって読んだブロンテもフィッツジェラルドも、いつの間にかどこかへ消えてしまった。代わりにファッション誌がずらりと並んでいる。カミュの『異邦人』だけが、棚の隅っこに場違い感を漂わせながらしがみついている。

 本の並ぶ書棚を見ると時々、高校時代の後輩を思い出す。一年後輩の、守原君という男子生徒だ。彼とは放課後、ほとんど毎日のように図書室で顔を合わせた。変な下心のない彼の言葉や態度が、私にはとても心地よかった。好きな本のことや、毎日のちょっとしたことを語り合った。悩み事、暗い話題は話さない。家族とか恋人とか親友とか、人との関係性を表す言葉はいろいろあるけど、守原君との関係はそのどれとも違う。もっと軽やかで、繊細な関係だった。人と人との付き合いは、濃密なら良いというものではないことを、私に気づかせてくれた。その淡い関係は私にとって一日のいろいろを洗い落とす清涼剤であり、彼の向かいの席に座って、互いの存在を軽く意識しながら静かにページをめくる図書室でのひとときが、私にはなによりも楽しく、大切な時間だった。

 卒業式の日、守原君は遠慮がちに、私に花束を贈ってくれた。小さく白い慎ましやかなカスミソウの花束は、彼が私のイメージに合わせて一生懸命に選んでくれたのだろう。もう少しで涙が出るほど嬉しかった。

 今、同じ花束を貰ったらどうだろう。もしかしたら、少し物足りなく感じるかもしれない。もっと大きくて華やかなブーケがいい、そんなことを思うかもしれない。書棚の本が替わったように、私の価値観も変わってしまった。


 私は心の中で、守原君に謝った。

 本当にごめんなさい。

 私は少し大人になって、そうして、とても嫌な先輩になってしまったよ。






   了

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春を夢見る者たちは 旗尾 鉄 @hatao_iron

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