第4話
第四章「いただきます」
午後の陽が差し込む通路を、サフィアは無言のまま歩く。
その隣で、ブリジットは小走りに合わせてくる。
学院を出てからすでに三つ角を曲がったが、彼女はまだ喋り続けていた。
「それでですね、わたし昔から魔法が大好きでっ! 魔導理論の本も読み漁って、論文もいくつか――あ、でもサフィアさんの『魔力反転境界の新解釈』はホントすごくて! あれ読んで感動して……あ、まさか、本人とごはん行ける日がくるなんて……!」
「……よく喋るな」
「えっ? あっ、ごめんなさいっ!」
サフィはため息まじりに通りの先を指さす。
「……ほら、ついたぞ〜」
ブリジットの視線の先に見えたのは、古い石造りの建物。
入口には蔦が絡まり、金の文字で《CRIMARE》と刻まれている。
通りの喧騒から少し外れたその店は、一見ただの落ち着いたレストランに見えた。
けれど、魔導学院界隈の人間なら誰もが知っている――選ばれた者しか通えない、高級店だ。
店の入り口には、白い石を彫り込んだ門柱が立ち、そこから先は短く整えられた植栽のアプローチが続く。王都の中心にありながら、周囲の喧騒がまるで届かない。
上質な絨毯のような静けさが足元に敷かれ、訪れる者を無言のうちに選別するようだった。
サフィアとブリジットが近づくと、玄関扉の両脇に控えていたスタッフが、さりげなく一歩、前に出た。
「本日はご予約をいただいておりますか?」
ブリジットは意気揚々とスタッフ
に愛想よく応えた。
「あっ、招待チケットを……こちらです」
(受付がブリジットのチケットを見ると、一瞬困ったように眉を下げる)
「恐れ入りますが、本日は通常席が満席でして……」
「えっ……あ、そ、そうなんですか?」
(そのとき、サフィアが無言で受付に近づく)
「……ここの個室、空いてるよね」
「――あっ、サフィア様! 本日もご利用ありがとうございます。
只今、〈翠雲の間〉をご用意いたします」
ブリジットはぽかんとサフィアを見る
「……え? いま、〈様〉って……?」
(サフィアが軽くため息)
「ここの料理、たまに使ってるだけ。学生との意見交換会とか……ひとりでのんびりしたいときとか、個室、静かだし」
「えっ、ちょ、待って待って。
この超高級食堂で? 未成年で? 個室常連?(えっ、いよいよ何よこの子……)」
サフィアは、靴音を立ててすたすたと先に進む。
「……座るなら来れば? 食べないなら置いてくよ」
「いや行くけど!? いま軽く立場逆転してない!?」
昼の光が窓越しに差し込み、テーブルに並んだグラスを淡く透かしていた。賑わう店内の喧噪も、この席だけは少し離れた場所にあるような、不思議な静けさがあった。
注文を終え、店員が下がると、ブリジットは小首を傾げながら口を開いた。
「そういえば…サフィアさんって呼び方でいいですか?」
「サフィアでいいよ。みんなそう呼ぶし」
「じゃあ…敬語は?」
「それもやめて。固いって」
「……あ、はい。じゃなくて、わかった」
肩の力を抜いたブリジットは、ふっと笑った。その笑みは柔らかいのに、どこか観察するような色が混じっている。
短い沈黙のあと、彼女は手元の水を一口飲み、何気ない口調で続けた。
「急に誘っちゃって、ごめんね」
「別にいいよ。……で、何か話があるんでしょ?」
「うん。サフィア”教授”の研究に、興味があって」
教授、の部分だけわざと大げさに強調してみせる。
サフィアは目を細めた。
「それって…個人的に? それとも監査官として?」
ブリジットは、フォークをくるくると回しながら、わざとらしく考えるふりをした。
「さあ、どっちだと思う?」
挑発にも似た軽い笑みが、サフィアの視線を受け止める。
ブリジットは視線をまっすぐサフィアに向けて続ける。
「マナ強制展開論・魔素融解術式…でしたっけ?人の原初人格は多面的な魔素の集合体と仮説して、マナにより統制をはかり理性を構築している、そのとき昇華されずに余った魔素の強制的な再構築でしたっけ?」
「よく勉強しているね」サフィアは水の入ったコップのふちを指でそっと撫でながらあえて退屈そうに返答した。
店内の笑い声や食器の触れ合う音が、妙に遠くに感じられた。
(やっぱり……探ってる)
サフィアの胸中に、静かな警戒が広がっていった。
ちょうどその時、二人のテーブルに料理が運ばれてきた。香ばしい匂いが立ちのぼり、わずかに張り詰めていた空気をやんわりと包む。
サフィアはナイフとフォークを手に取る前に、軽くため息をついた。
「……まぁいいや。少しだけ教えてあげるよ」
ブリジットの瞳が、わずかに揺れる。
「でも、勘違いしないでね。僕は魔導士だけど、必ずしも魔法のことを好きだとは思わないで」
ひと呼吸置いて、サフィアはフォークの先で皿を軽く叩いた。
「それと――これは大切な研究の話をする前の〝取引き〟だ」
ブリジットが瞬きを一度する。
「君、本当に監査室の人?」
香り立つ料理を前にしても、二人の視線は鋭く絡み合ったままだった。
⸻
ブリジットは一瞬だけナイフを止め、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「はい。本当に監査室に配属されたばかりなんです。つい数日前ですよ」
あえて、さらりと。
「それに……」と視線を少し落とし、フォークで肉を切り分ける。
「実は私、サフィアさん――じゃなくて、サフィア教授たちのファンなんです。アビュッソスでの活躍、記録で何度も読み返しましたから」
わざと「教授」を強調して、口元だけで笑う。
サフィアは苦笑を返した。
「ファンねぇ……。そんなこと言われたの、初めてかも」
その目は笑っていない。観察者の目だ。
監査室の人間にしては、あまりに柔らかすぎる口調。あまりに年が若い。
――この子、本当にただの新任か?
サフィアはナイフを置き、グラスの水をひと口含んだ。
そして「ふう…」と一息吐いた。
ブリジットの視線が自然とこちらに向く。
「僕の研究はね、魔力の流れを変化させて物質の性質を一時的に書き換える方法さ。人間は本来持ち得ている力をすべて使っているとは限らないと仮定しよう。ほら、時々自分でも思いがけない力が出るときがあるだろう?一時的に神通力がおりたのか?いいや、そうじゃない。自然界に触れるぼくが言うのもおかしいかもしれないけど、神の力なんて信じないんだぼくは。無から有は作れない。ただし、有限じゃない。魔術は科学なんだ、自然科学」
そう言って、皿の上の肉をフォークで持ち上げる。
「例えば、これを――」
軽く笑って、何もせずそのまま口に運んだ。
「……いや、別に変える必要ないや、美味しいし」
ブリジットは思わず肩を揺らして笑う。
「教授、そういう冗談も言うんですね」
「冗談じゃないよ。研究は命がけでやるものだけど、食事は別だ」
サフィアはナイフをゆっくりと肉へ滑らせた。
刃先が柔らかな繊維を断つと、切れ目からじんわりと赤い血が滲み出し、皿のソースに混ざって広がっていく。
視線は手元ではなく、正面のブリジットに向けられたままだ。
「君は知り得た知識を、どう扱う?なんなら、どうやって知識を得る?」
ほんの少し間をあけて、サフィアはあえてわずかに前に乗り出すようにして続ける。
「というのもさ、こうして切り込めば、″血″が出るだろう?」
淡々とした口調なのに、その言葉は妙に耳に残る。
「でも、それを旨みと知って嗅ぎつけるやつらも多いことは、想像に容易い。切り込むことで、本当の旨味ってのが分かることもあるんだよね。魔術は…使い方次第なんだよ」
ブリジットはごくりと喉を鳴らす。
サフィアはわずかに目を細めてブリジットを見つめながら続ける。
「単刀直入に聞こう。きみは、何を知っている?そして、なにを探っている?」
ブリジットはほんの一拍だけ視線を落とし、すぐに微笑みを作った。
「……新任ですからね。正直、まだ分からないことだらけです」
肩をすくめ、少しだけ茶化すように続ける。
「でも、サフィアさんの研究の噂は聞いたことがあります。アビュッソスでのご活躍も。だから……まあ、ファンですよ、私は」
笑い混じりの言葉だが、その声はわずかに硬い。
サフィアは眉ひとつ動かさず、ただナイフを皿に置いた。
サフィアは数秒だけブリジットを見つめ、ふっと肩の力を抜いた。
「そ、なら良いんだけど!」
ぱん、と手を軽く打つ。
「さ、食べようか! いただきます!」
突然の調子の変化に、ブリジットも小さく笑い、フォークとナイフを取る。
「いただきます」
皿の上から漂う香ばしい匂いが、先ほどまでの張り詰めた空気をゆっくりと溶かしていった。
皿の上から立ち上る湯気を見ながら、ブリジットは笑みを崩さないよう努めた。
だが、心の奥底では先ほどの問いかけが何度も反芻されている。
──単刀直入に聞こう。きみは、何を知っている?そして、なにを探っている?
その眼光は、肉を切り裂く刃よりも鋭かった。
⸻
夜、ブリジットは宿舎の自室に戻ると、すぐに机に向かった。
ペン先を紙に落とし、今日のやり取りを淡々と記録する。
『サフィア教授は一見柔らかな物腰だが、会話の節々に探りの意図が感じられる。
監査室所属への疑念を抱かれた可能性あり。
研究内容に関しては「魔力の流れを変化させ、物質の性質を一時的に書き換える方法」との言及あり。詳細は未確認』
風の残響ー新しき風を纏う者たちー 著路 @fiboark21
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