第3話

第三章「学院の屋上で」

【魔導学院・東門近くの小径にて】


昼下がりの陽射しの中、ブリジット=エルフリーデは王都の地図を片手に、魔導学院の敷地内を歩いていた。ピンク色のリボンを結び直し、小さく息を吸う。


(監査室で受けた密命……第一対象はサフィア・ルフェリエル。学院内でも名の知られた魔導士であり、王宮でも密かに注目されている人物――)


王宮監査室の胸元の徽章をトントンと軽く叩くと、彼女は立ち止まる。近くのベンチに腰を下ろし、小型の魔導端末を取り出すと、事前に入手していた資料に目を通した。


「身長149センチ、銀髪、闇、空間、炎、雷、重力属性魔導を得意とし…て、何でもありね…性格は……うわ、不機嫌になりやすいって書いてある……!」


思わず笑みがこぼれるが、すぐに真剣な眼差しへと戻る。


(でも、『アビュッソスの一件』に関わった一人。力は本物。こちらも中途半端な接触じゃ、見抜かれる)


彼女はひとつ頷くと、立ち上がり、制服のスカートを軽くはたいた。


「魔導学院、西塔の屋上……っと」


ポケットから小さく折りたたまれた地図を取り出し、そっと確認する。思ったよりも古びた塔だったが、しっかり管理されているのか、回廊も階段もよく磨かれていた。


(このあたりの空気……魔力が流れやすい)


登っていくごとに、空気が変わるのを感じる。階段を抜けると、目の前に広がったのは開けた屋上――。


そこに、風に髪をなびかせながら読書するサフィアの姿があった。


(いた……! ひゃー、ちっちゃくて、かわいいなぁ…じゃなくて、よし、ここからが勝負!)


魔導学院・西塔の屋上――午後の柔らかな陽光に包まれ、サフィアは足をぶらつかせながら魔導書を読んでいた。空は蒼く澄み、風が心地よい。だが――


「やっほー! もしかして、サフィア・ルフェリエルさん?」


背後から元気な声が飛んできた。


「……へ?」


振り返ると、ツインテールの少女がにこにこと笑顔で立っていた。どこか場違いなほど明るいピンクのリボンに、膝丈のスカート。まるで遠慮がなく距離を詰めてくる彼女が身につけた徽章は――王宮関係者。それも、監査室のものだった。


「わたし、ブリジット=エルフリーデって言います! 王宮監査室に新しく配属されたばっかりで、今日はちょっとご挨拶に!」


「……ご挨拶? なんでぼくに?」


「だって、魔法研究の第一人者って聞いたから!」

ブリジットは無邪気に言いながら、ぴょんと隣に腰を下ろす。

「それに、あの『アビュッソスの一件』で活躍されたんですよね? すごいなぁ〜!」


サフィアは半眼で彼女を見た。


(うさんくさっ……いや、でも……この魔力感知のズレのなさ。相当、訓練されてる……)


「……ふーん。目をつけていますよって?…ぼくのこと、どこまで知ってんの?」


「え? えっと……身長149センチ、魔導学院きっての実力者で、すぐ不機嫌になるって……」


「……誰情報だよっ!」


サフィアが立ち上がりかけると、ブリジットは慌てて手を振った。


「ご、ごめんなさいっ! つい、うっかり……でもほんと、すごいんですって評判で……!」


(うっかり、って顔してこれ、わざとだろ……こいつ)


「ねえ、サフィアさん! いつか、一緒に魔法談義できたら嬉しいな! ……それとも、対決のほうが得意ですか?」


二人の瞳が交錯する。無邪気さの裏に、緊張感が走る――。

一瞬、空気が張りつめた。


サフィアは唇を吊り上げた。


「――いいね。ぼく、最近退屈してたんだよね」


瞳と瞳が交錯する。無邪気の奥にひそむ真剣、そして興味。


屋上に吹く風が、ページをめくった。

───

「なーんて!サフィアさんには敵わないっすよ!」

「……ところで!もしよかったら、このあと一緒にランチでもいかがですか?

ちょうど情報交換もしたいし、この辺のごはんってどれが美味しいのか全然知らなくて……」


サフィアはなんか腑に落ちない様子で彼女を眺める。

胸の徽章が視界に入った時、サフィアは考えた。

(ははーん、レオンのとこの子かぁ。ぼく、なんかやっちゃったかなぁ…それとも、なーんかこの子、つかんでるな)


「……はぁ? ぼく、情報屋じゃないんだけど」


「もちろんそうなんだけど! でもあなたの研究論文、すっごく参考になるって先輩が……!

えっと、それに――あの高級食堂『クリマール』、初回招待チケットがあるんだけど、一人じゃもったいなくて!」

 その手には、銀地に淡い青の紋様が浮かぶ二枚のビジターチケットが握られている。

 ――それは、王都でも指折りの格式を誇る高級店クリマールの、いわば”通行証”だった。

「……ほぉぉ、クリマールって、あの……一見お断りの有名店のとこ?」

サフィアは目を細めてブリジットを見上げた。

(へぇ、ビジターチケット二枚。ってことは……誰かが根回ししたってことだよね)

(レオン……じゃない。あの人なら、ぼくにひとこと言うはずだし。てことは……もっと上、ってことか)


(なるほどね。この子、ただの新人じゃない。……ふーん、面白い)


「うん!あ、はい!ちょうどビジターチケット二枚あるから、一緒にいかがですか? もちろん、ごちそうしますっ」


サフィアは少しだけ目を細めて、口角を上げた。


「……ふぅん」


ブリジットの明るい笑い声が、学院の石畳を軽やかに跳ねた。

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