第21話
もしかしたら厄災は或る意味必要なのかも知れない。私はそう感じている自分に気がつく。そら怖ろしい。まさに兄が言った通り。自分は今あらゆる事象に慄いている。これから襲い来るものの影におびえ、精神は萎縮し、思考は柔軟性を欠き始めている。敵(?)はあまりにも巨大で、かつ全体像は不明。今の私ではどうする手段も無いことは事実。残されている可能性と云えば山の存在だけだ。
山か…。
私は考える。何故山は私をその懐ろに入れさせてくれなかったのだろう?青旗神社。叔父は定期的に訪れていると云うから絶対的聖域と云うわけではない。それともやはり神職などの特別な修行が不可欠と云うことか。
叔父はあれ以来沈黙している。自分が再び何かに突き動かされたことにショックを受けていると思われる。二度会いに行ったが、一度目は「今話したくない」、二度目は「もう話すことはない」だった。コロナの件もあり、当面叔父の協力は仰げないと考えた方がいい。ならばどうする?
やるしかない。私は思う。分かりきったことではないか。だいいち何故青旗神社が其処にあるのかと云う謎もまだよく分かっていないのだ。それを明らかにせずにはいられないだろう。
しかし…。私の思考は一旦立ち止まる。
自分は本当のところ何を一番怖れているのか?
私はこれまで失踪事件の関係者から話を聞き記事にまとめてきた。そしてこのままでは大変なことになると感じた。地元であるこの宮前で何か途轍もない事が起こりつつあると。しかしそれは追えば追うほど闇夜のように前途が見えなくなっていく。もちろん分かったこともある。だがそれと同時に闇の密度は深くなり私の身体に絡みつくようだ。身動きが取れない。ただ戸惑いだけが私の心を占めていく。
…全ては必然だ。抗するのは自由だが、それで何かを変えられるわけではない。
所詮決まり事と云うことか?そして私の行う事は結局徒労に終わるとでも?
今夜は月夜だ。空にはとりわけ薄い三日月が貼り付いている。私はぼんやりとそれを眺める。大自然の営みの前に自分はかくも無力なのか。そして無力とは、意外にもかく清々しいものなのか。
自分には何もできない。私はそのことを受け入れられずにいただけなのかも知れない。確かにこの世の中ではひどい事が起きる。一握りの救いすら見い出せないことも多々ある。だが私たちは生きてゆかなければならない。そのせめぎ合いの中で弱者は徐々に取り残される。視界の外れへ。或いは時節の彼方へ。私たちはやんわりと彼らを追いやる。追いやることで自分の生を継続させていく。いずれ自分も同じ立場となり排除される運命を予感しつつ。
もうくたくただ。正直云えば他人の事に構っていられるほど私には気力も体力も残されていない。仕事の合い間を縫って体を鍛えているが、そもそも私は決して頑強な方ではない。
私は自分が分からなくなる。これからどうしていくべきなのか。これからどうしていきたいのか。
それから2ヶ月が過ぎ、コロナ禍のせいで仕事もほぼリモートになった私は、気晴らしの散策の途中で或る子どもら(姉弟?)に会う。二人共見るからにもう何日も着替えていないヨレヨレの格好。小さな弟の方は泥汚れも目立つ。私は少し躊躇してからその子どもらに近づく。
彼らは揃って首に飾りを覗かせている。よく見るとそれは犬用の首輪だ。私はその異様さにぎょっとする。
「何しているの?」
私は辛うじて平静を装う。彼らはふっとこちらを見る。しかしその様子には子どもらしい好奇心やあどけなさは感じられない。むしろ交差点で信号が変わるのを眺める時のように、無機質で、その眼差し自体おそろしく平板だ。
「お母さんが…」
それでも弟の方が口を開きかけると、咄嗟に姉がその肩口をつまんで合図する。警戒されていると私は思う。
「ここ、よく来るの?」
私たちがいるのは住宅地外れの小さな公園。人通りが少なく、子どもだけ遊ぶには似つかわしくない場所のはず。私も普段は抜け道程度に利用するだけだ。
「お姉ちゃんはお散歩。あなたたちは?」
子どもたちは思わぬ介入者に棒立ちしている。
「お母さんがもうすぐ迎えに来る。そうしたらお家に帰る」
今度は姉が応える。
「そっか、えらいね。二人でお母さんを待ってるんだ」
「…」
すると二人はそれには応えず、踵を返して公園から出ていく。
「ちょっと」
私は後を追おうとするが諦める。本来なら虐待を疑って当然。児童相談所への通報すら求められる。しかし何故か私はそうしようとは思わない。
「何だ?」
私は思いがけない違和感にたじろぐ。周囲に人影はない。しかし自分を執拗に注視する存在(もの)に五感が震えている。あの子たちと何か関係があるのか?
私も公園から出る。辺りはもはや閑散としている。
まとわりつくような熱気が私の周りに漂う。いつからだろう?誰しもがマスクをし表情が読みづらく、また声はこもって聞き取りにくい。とんでもない世の中になった。皆がリスクを怖れ、接触はおろか会話すら遠慮がちになる。世の中全体がひきこもりと云った具合だ。
「あ、あの子たち」
見ると視界の遠くに先程の姉弟が立っている。どうやらこちらを見ているようだ。今気がついたが彼らはマスクをしていない。あのままだと感染のおそれがある。やはり保護が必要だ。その時彼らの首元で何かが光った。しかし私はそれに気を留めることなく幼い子どもらの方へと近づく。
不意に音が無くなる。まるで彼らの光が吸い取っていくかのように。それと同時に周りの風景が少しずつ色味を変えていく。やがてそれは淡い海の色へと変化する。此処は…一体何処だ?
「いろんな人が此処からまた旅に出るの。一人一人が自分だけの旅に」
子どもの声が聞こえる。姿は見えない。
どうして?私は問う。
「仮の世界が壊れかけてるから」
仮の世界?
「みんなこんなはずじゃなかった。当の神様だって」
神様?私は幼い姉弟の姿を探す。が、それは叶わない。
私はどうすれば?
「どうしたいの?」
また声がする。その声は明瞭でありながら冷たい。私は困惑する。
「あなたの事よ。他でもない、あなたが好きにすればいい」
私は…。しじまの波が寄せては返す。
私は、真実を知りたい。
「じゃあ、一緒においで」
姿を現した子どもたちが私に手を差し伸べる。彼らの首に光るのは先ほどとは違う、碧い光を放つ石英に似た小さな塊だ。
「どこへ行くの?」
「本当の世界の入口よ。心配することはないわ。一度は皆通ってきた道だもの」
声が応える。私は二人の手に触れる。彼らは臆することなく握り返してくる。それがおそらくサキガケの力。私はふとそう思う。
私たちの前に静かな光景が浮かんでいる。二人の手がそっと離れていく。私は前を向いたまま一人浜辺に向かって歩いていく。
「さようなら」
私の中から多くのものが失われていく。でもそれは悲しむべきことではない。私の中にもそんな感情は浮かんでこない。むしろ解放感が私を満たしていく。
私は何かに向かって呟く。
「私の名はキート」
( 了 )
『 親愛なる隣人 ~ サキガケの力 ~ 』 桂英太郎 @0348
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