第二話 係数七十以上の現行犯は即時処分が望ましい

界人かいとさん」


 二日後の朝、退院した中条なかじょう界人かいと暁鴉アケガラス東京支部のアジトに出勤すると、中で明日葉あすわサクが仁王立ちしていた。

 ベリーショートの髪、パンツスーツ、ワイシャツまでを漆黒とも呼べる黒で統一し、色が違うのは肌と白いネクタイくらいなものだ。

 すらりと背が高い彼女には、それが実に似合っている。

 実際には彼女は仁王立ちではなく、ただ立って待ち構えていただけなのだが、全体的に凜々しい外観を纏っているだけに、界人は自分よりも五センチ背の高い彼女から、プレッシャーを感じずにはいられない。


「無茶をしましたね」

「あ、えっと……ごめんなさい。えへへ」


 いつも通りの感情を感じさせない表情から発せられた、その静かな声に、界人は思わず謝罪を口にしてしまう。


「いえ」


 彼女は短く反応して、自分の席に戻っていった。

 界人の席も彼女の隣で、後ろをついて歩いて、安物のイスにギィと腰掛ける。

 彼の表情は、少し落ち込んでいるようにも見えるが、それでも柔和な部類だろう。

 そして腰掛けてじきに、何かを思い出したような表情で、手をパンと叩いた。


「あ、そういえばサクさんも病気が治ったんですよね。良かったー」

「ありがとうございます」


 満面の笑みで快癒を祝った界人に対して、サクの返事も態度も素っ気ないものだったが、界人の表情は微塵も崩れない。


「光太郎くん、おはよー」

「界人先輩、おはようございますッス!」


 界人はそのまま室内を見渡し、先に来ていた金谷かなや光太郎こうたろうに、また柔らかい表情で挨拶をする。


 そうして、界人がパソコンで業務連絡などを確認し始めたところで、アジトのドアが少し歪み、歯黒はぐろ龍渓たっけいが中に入ってきた。

 ほつれがあるオールバックの髪も無精ひげも、その表情もいつも通りしまりがない。それが、界人を見た途端、更に綻んだ。


「おう、もう大丈夫なのか」

「お陰様で」

「そうかそうか、そいつは良かった。早速で悪いが、これからこの間の事件のミーティングをやるぞ。サクも光太郎もいいか?」

「はい」

「了解ッス」


 歯黒は小さく頷いて、部屋の奥、大きな机の自分の席についた。

 この部屋は、一見して普通のオフィスのようではあるが、どこかがおかしい。

 どこがおかしいのかと言えば、観察力に優れた人間でなければ気付かないだろうが、窓の外がないのだ。

 窓はある。確かに存在する。開け閉めも出来る。

 だけど、そこから先がない。

 空が見えない。景色が見えない。

 外が、存在しない。

 そのせいで、午前中だと言うのに日の光が射し込まず、どこか薄暗いのである。

 ここにいる暁鴉アケガラスの構成員は、当然のことながら慣れていて、それを疑問にすら思わない。

 だから、存在しない外を背に歯黒が話し始めても、それはいつも通りの光景で、今更、外がおかしいなどと、じっくり見ることもない。


「一昨日の深夜に歌舞伎町で発生した事件、仮に寺沢事件とするが、あれは界人がアラタマ化した犯人を処分して解決した」

「さすが界人先輩ッス」

「けど、面倒なことにいくつか問題も残ってな。それについて共有しなきゃならない。それがこのミーティングの目的だ。だがその前に光太郎、アラタマとはなんだ?」

「人に似て、人でない者ッス」

「それはそうなんだが、もう少し詳しく言ってみろ」

「……今から三十年くらい前に発見された、謎の生物ッス」

「光太郎はもう少し勉強した方が良いな。お前ならすぐに覚えられるだろうさ。それじゃあ、代わりにサク。アラタマとはなんだ?」

月雲つくも博士の失敗作である水鏡すいきょうにより、偶然発見された人類の隣人です。アラタマは人類に偽装し、人類と子を為しながら、戦後の日本人と共に在ったと推測されていますが、その正体は不明。また、我々・暁鴉アケガラスが使用している水鏡システムに表示されるアラタマ係数も、どのような物質に反応しているか今もって不明です。言えることは――」

「アラタマ係数七十以上の現行犯は、即時処分が望ましい、ですね」


 明日葉あすわサクが最後まで言い切るのを待つことなく、中条界人が口を挟むも、それでサクが不満を表すこともない。

 ミーティングは淡々と続けられる。


「うむ、その通りだ。で、ここからが本題なんだが、界人、あの事件のときに、祭器の解放を止めたのは覚えてるよな?」

「ええ、もちろん」

「じゃあ、その後に解放を許可したのはどうしてだと思う?」


 それは避難できていなかった一般人が、無事に避難できたからではないですか、との言葉が喉まで上がってきた。

 だが、界人はそれを飲み込み、右手で口を覆う。

 そんなことは、わざわざ質問しないだろうと思ったからだ。

 だとしたら、どのようなケースがあるだろうか。

 界人は状況を思い出し、思考を巡らせる。


「もしかして、あちらもアラタマ化して、誰かが処分した、とかですか?」


 界人の答えを聞いた歯黒は、分かりやすくニヤリとして、界人に正解を提示する。


「いい線いってるが、だがそんな大事おおごとではないな。正解は、消えた、だ」

「消えた……? 水鏡すいきょうで検知した反応が消えるだなんて、そんなまさか」

「そのまさかが起こったから、共有するのさ。光太郎、ここから先は、お前が説明してみろ」

「了解ッス。怜音れおんさんからの指示で、反応があったというビルに突入したッスけど、一階から順番に見て回って、三階に登ろうとしたときッス。怜音さんから反応が消えたって電話があったのは。念のためにそのまま屋上まで確認したッスけど、人間どころかネズミもいなかったんスよ」

「と、いうことだ。ほとんど空きテナントだったから、誰かが隠れるのは簡単だっただろうが、怜音が言うにはまったく動いていないのに、反応が消失したというから、これはどうにもおかしい話だな」


 それを聞いた界人は、一度外していた右手で再び口を覆い、ぶつぶつとつぶやき始めた。


「そこから逃げたわけでもなく、死体がなかったんだから、死んだわけでもない。だとすれば、アラタマだった? いや、アラタマだって、誰かがトドメを刺さなければ消えないだろうから……うーん、分かりませんね。あ、もしかして怜音れおんさんと寿音ことねさんは、その調査でいないんですか?」

「そうだな。あの兄妹きょうだいには、カイタイの対応のついでに、その辺の調査も頼んである」


 それから歯黒は少し間を置く。

 界人は普段の、のほほんとした表情に戻っているが、歯黒はまだ界人から聞きたいことがあった。


「でだ、アラタマ化した寺沢幸司だが、あれをどう思った。なにかおかしいところはなかったか?」

「おかしいところ……ですか」


 そうして界人は三度みたび、右手で口を覆って視線を外し、当時のことを思い出そうとする。


「解放前の祭器で切断できるのは、脱皮から間もないアラタマではよくあることだし、いや、しかし、やっぱりあの再生はおかしかった」

「お前もそう思うか」

「ええ、人間の膜を脱いだばかりのアラタマが、あんな風に体を修復させるなんて、京都にいたときでも、見たことも聞いたこともありません」

「サク、お前もか」

「はい。界人さんの言うとおりです」

「そいつはまったく困ったもんだ」


 サクからの返事を聞くと、歯黒は左手で頭を掻きはじめた。

 先ほどの言葉通り、どう対処したものかと考えているに違いない。

 けれど、界人、サク、光太郎が見つめたところで、すぐに妙案が思い浮かぶわけでもないらしい。


「ま、ここで考えたってしょうがねえ。怜音と寿音が持ち帰ってくる情報に期待して、今日のミーティングはこれでおしまいだ」


 こうして暁鴉アケガラス東京支部は、アラタマ退治もない元の日常に戻っていった。

 大神みわ怜音れおん寿音ことねの兄妹を待ちながら。

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2025年12月27日 18:31
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2025年12月29日 18:31

アラタマ ― 東京異人録 ― 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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