Ep:2 心象

 蝉の声がして、少女は目を覚ました。


 少女の目に最初に飛び込んできたのは青空。そこには淡い白線と巨大な白い入道雲が描かれていた。季節は夏を指していた。


 小さな公園の木陰に寝そべっていた少女は、体を起こして日向へ出る。肌に日射が当たり、少女の華奢な四肢があらわになる。少しの間少女の視界は光に奪われるが、何度か瞬きをしている内に目も慣れてくる。世界の温度に体をなじませると、少女は公園を後にした。


 木造家屋が軒を連ねる住宅街の生活道路を少女は裸足で歩いていく。地面のアスファルトは火傷しそうな程の熱さをこしらえ、陽射しも強く、肌にはだらだらと汗が伝う。少女は額を拭いながらも淡々と歩みを進めていった。


 しばらく道なりに進むと、少女は古い駄菓子屋に差し掛かった。その軒下には、氷菓やアイスクリームの詰まった横長の大きな冷凍庫、塗装が焼け褪せた自販機、故障の張り紙がされたアーケードゲームの筐体、錆びた水色のベンチが並んで設置されていた。そこに、ひとりの少年がいた。


 少年は麦わら帽子を被り、ベンチに座ったまま項垂れている。小刻みに震えては、時折嗚咽を漏らしながら泣いていた。気がかりに思った少女は少年に声をかける。……しかし反応は無い。少女は少年に何が悲しいのか尋ねる。……しかし反応は無い。少女は少年に助けが欲しいか尋ねる。……しかし反応は無い。そうやって少女は少年に声をかけ続けた。けれど、一向に返事は返って来なかった。


 途方に暮れていた少女だったが、ふと地面にアイスの棒が落ちていることに気がつく。そこの周りだけ少し地面が湿っている。この暑さの中で湿り気を残していることへの違和に事の顛末を察した少女は、おもむろに冷凍庫の扉を開けた。少女はその冷気の溢れる箱から棒アイスをふたつ取り出すと扉を閉め、それを店内のレジへと持って行った。


 麻袋に入っていた硬貨で購入を済ませた少女は外へ出て、少年に棒アイスをひとつ差し出した。すると少年は顔を上げる。大きな麦わら帽のつばの下には、泣き腫らした表情があった。少年は恐る恐る差し出された棒アイスの袋を掴み、受け取る。そしてもう片方の腕で目を擦って涙を拭き取った。


 少女は少年の横に座ると包装を破り、中から棒アイスを取り出した。それを確認した少年は同じように袋を開けて棒アイスを手にする。そしてふたりとも言葉も無しにそれを口へと運ぶ。しゃくりと音を立てて水色の氷菓が口の中で綻び、甘味と共にインスタントな冷たさをふたりの体内へ伝えていく。既に持ち手の部分には糖度を持った液体が垂れ始めていて、ふたりは個体が瓦解する前に急いで食べ進めた。

 

 最後の一口を飲み込んだ後、ふたりの間にしばらくの沈黙が訪れる。先に口を開いたのは少年の方だった。


「ありがとう」


 そうやって少年は少女に小さく感謝の言葉を告げた。少女はひとつ頷くと、少年の口元をハンカチで拭う。少年は目を泳がせながら少しだけ俯く。生暖かい風がざわざわと木々を揺らし、ふたりの髪をさらさらと流す。高く伸びる入道雲は、そんなふたりを静かに見下ろしていた。


 風が止むと、少年は自身に起きた不幸についてをぽつりぽつりと口にし始めた。それは簡単に飲み込むことなんてできない惨憺さんたんたる記憶の連鎖。家族との不和。いつまでもクラスに溶け込めない自分。友人の死。クラスメイトたちからの嫌がらせ。信用できない大人たち。拠り所の欠如。エスカレートするいじめ。抵抗したことによって自分に下された停学処分。自室の布団の中で丸まる日々。脳内を駆け巡る不安と後悔と悲哀と憎悪の渦。そして少年は、自ら世界を捨てた。


 ――だから少年は、永遠を望んでいた。果てる事の無い永遠を。


 少年にとって至高の輝きに見えるそれは、本質的には終わる事の無い暗闇でしかない。そのことを少女は知っていた。本当は少年も気づいているのかもしれない。けれど、その真実は少女の喉につかえて出て来ない。少年も口には出さない。少女は優しさを捨てることができなかった。少年もこれ以上傷つくことを望まなかった。だから少女は、ただ少年の手を握っていることにした。甘い言葉をかけることも抱きしめることもしない。ただ少年の涙を拭いて、言葉を受け止め、存在を認め続けることにした。



***



つづく

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