残照 - After Glow -

葵セカイ(BlueSyrup)

Ep:1 座礁 

 画用木炭で荒く塗りつぶされたかのような黒い波が、海岸の砂を巻き込みながら行ったり来たりしている。砂浜は白く生気を失い、空も一面灰の色。暗く沈み込んだ海辺には鬱屈とした雰囲気が漂っていた。


 遠くには高い岩壁があり、その頂には無骨な墓標が佇んでいる。そこには花束の一つも無ければ、ひとひらの花弁はなびらすら手向けられてはいない。そんな虚ろな世界に、名も無きひとりの少女がいた。


 褪せてくたくたの布を乱雑に縫い合わせただけの見窄らしい衣服をまとった少女は、長い銀髪を海風になびかせながら素足で砂を踏み歩く。額から血が酷く流れ出ているというのに、そんなことには構いもせず。


 少女の視線の先にあるのは、渚に座礁した大きな物体。瓦礫にも見えるそれは、肉や内臓が溶け切って骨だけの存在となった巨大な怪獣のむくろ。そこへ辿り着くと、少女は燻んだ骨のひとつを両手で掴み、引きずり始めた。しかし骨ばった少女の腕では精々爪の長さ程しか一度に引き寄せることができない。それでも少女はひたむきに骨を運んでいく。


 気が遠くなる程の時が流れ、少女の額の傷が完全に塞がった頃、ようやくすべての骨が砂浜へと引き上げられた。砂浜に並ぶ骨は、さながら博物館に飾られた骨格標本のよう。法則性を持った均等な間隔に並べられ、本来の姿を想起させる風体に変わっていた。


 少女は整列した骨の群れを傍目に、肩に斜め掛けしている巾着型の麻袋へと手を伸ばした。そしてその口紐を解いては、中から透明な硝子の破片を掴み取り、それを空へと掲げる。陽光が射していないにも関わらず、それは虹色の輝きを放っていた。


 少女はひとつ深呼吸をし、掲げた硝子の破片を見上げる。そしてその針のように鋭くなった面を額に向けては、そのまま勢いよく振り下ろした。鈍い音がして、少女の顔は小さく歪み、鮮血が飛び散る。それから自らを突き刺したその手で、今度は硝子の破片をさっと引き抜いた。当然、額からは真っ赤な液体が噴き出してくる。それは砂浜の白を汚す。


 顔面を血塗ちぬれにした少女はふらりと怪獣の頭蓋骨へと近づき、骨の表面と額の傷口とを擦り合わせた。神経が少女の体に危険信号を伝えるのと同時に、血液が怪獣の頭蓋の外郭を伝って流れていく。すると、今までぴくりとも動く気配のしなかった骸が脈を打ち始めた。その拍動を感じ取った少女は額を離して後退り、骸の様子を眺める。


 骸は糸で吊るされた操り人形かのように宙へと浮き始めた。はじめに肩甲骨が持ち上がり、そこから脊椎や頭蓋といった部品も追従して浮上する。骨の爪先までが宙に浮くと、骸は両足を使って砂浜に降着した。地面が轟き、少女は体勢を崩して尻餅をつく。骸は骨同士が接合されていないにも関わらず統率の取れた動きをしており、全体として生物然とした風貌を捉えていた。


 そして骸は叫ぶ。空気がびりびりと振動し、骸は気迫に満ちた表情を携えた。空気の振動が止まった後、少女はのそりと立ち上がり、見上げる形で骸と向き合う。少女が自身の胸の前で両手を握り合わせると、背中から二つの純白の翼が姿を現した。少女は翼をはためかせ、上空へと飛び上がる。骸の顔面の高度まで到達すると上昇を止め、少女は姿勢を正した。


 少女は手を伸ばして骸の額に触れようとする。しかし骸は身体を逸らして接触を拒んだ。そればかりか、骸は少女に向かって拳を投げた。突然の攻撃にたじろぐ少女だったが、咄嗟に翼を閉じ、重力に引かれるままに落下することで直撃を免れた。


 骸の拳は空気を押し出し、とてつもない衝撃波を起こす。風は唸り、雲は渦を巻き、海面には高い波が立った。少女はあえて翼を広げ、海面に反射して舞い上がる風を捕まえ、その風力で再び上空へと舞い戻る。風が止むと少女は骸の周囲を飛び回り、接触の隙を窺うことにした。


 素手の攻撃が届かないとわかると、骸は数十と生えた背びれの骨を身体から分離させ、宙へと発射した。背びれの骨は戦闘機のミサイルのように隊列を組んで少女の飛び去る軌跡を追い、空を滑る。少女はその急襲を寸前でかわしていくが、いくら避け続けても攻撃は止まない。少女の体力は徐々に尽きていき、翼の動きも鈍くなっていく。次に攻撃が来れば直撃は免れないだろう。そんな窮地に、少女はひとつの作戦を思いついた。その勝率を考えるよりも先に少女の体は動いていた。


 少女は翼を大きく開いて大気を押し出すと高く高くへ飛び上がり、骸から距離をとった。そんな少女の背を追い、背びれの骨たちも飛び上がる。それらすべてが急激な速度で少女に飛びつこうとするのに合わせて、少女も背びれに向かって急降下を始めた。迫る背びれをかいくぐりながら、少女は一気に骸の元へと滑り落ちる。骸は拳を突き出して二度目の殴打を繰り出すも、時すでに遅し。その頃には少女は骸の胸元に飛び込んでいた。


 少女は骸の胸骨の隙間を縫って背中側まで飛び抜ける。その挙動を真似しようとした背びれの骨たちは順々に骸の胸骨へと向かい──衝突した。骨同士の接触により胸骨は砕け、一部は完全に折れ、地面に落下する。骸は痛みを訴えるようにして自身の胸を抑えては、その場に崩れ落ちた。


 その隙に少女は再び骸の顔面まで近づき、骸の額に両の手のひらを合わせる。瞬間、触れた部分から骨にひびが入り、そこから極彩色の光の群れが飛び出してくる。絵具のあらゆる原色をぶちまけたかのような光の束は絶えることなく流れ出る。少女はその光に流されないよう必死に耐えながら骸の額に触れ続ける。するとひびがさらに大きくなり、それは巨大な門と化した。少女はその門に向かって身を投げ、光の源流へと溶け込んだ。少女の姿が淡く消えていくに連れ、ゆっくりと門は閉じていった。




***




つづく

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