第3話
「水瀬さんとは、オーケストラが同じでね」
果たして、部活交流ののち。
帰りのバス。その中で久住と僕は話した。
部活交流はそれはそれは盛況して、二時間の交流ののちの解散、女子たちはとても名残惜しそうに我が九院生たちの手を引いていた。中には「腕ちぎって持って帰りたい」なんて猟奇的な発言をする女子もいたらしいが……実際この短い間で恋仲になった男女もいたそうだ。二時間如きで出来上がる愛情なんぞたかが知れていると僕は思うのだが……まぁ、当人たちは真剣なようで、帰りのバスの中で「俺は愛を貫くぞ」という決意の表情をした男子は多かった。男は愛する女性ができると妙なエネルギーを持つものである、これはじゃがいも掘りも捗る。
まぁそれはさておき、久住の話だ。これまでにないほど落胆した久住は、しおらしく話を続けた。僕はそれを可笑しく思いながら……そして友人がする真面目な恋の話だぞと背筋を正しながら、耳を傾けた。
「僕は一時期、ボクシングも習っていたんだが……」
「ボクシング?」
久住を見た。こいつ、小学生の頃ラグビーをやっていたと言わなかったか? ボクシングもやっていたのか。
「まぁ、腕っぷしには自信があった。実際成績もよかった。で、ある日の試合前だ」
久住は唇を噛んだ。
「ボクシングと並行してオーケストラにも参加していたんだが、そこで水瀬さんと出会った。僕たちは同い年だったということもあって打ち解けてね。小学校五年生の時だったかな。向こうから告白してくれて、付き合うことになった」
「付き合う?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。
「付き合うって、恋愛関係か」
「ああ」
「小学生で?」
「ああ」
「五年生で?」
「ああ」
で、その付き合うに至った経緯なんだが……。
と、久住は続けた。
「ある時、水瀬さんが中学生に絡まれていたんだ。何でも荷物がぶつかったとかで……まぁ、不良学生のいちゃもんだ。近くに女子中学生がいたらしいから、彼女の前でナメられないようにしたかったんだろうな」
水瀬さんは怖くて動けなくなっていてな。
久住はそう続けた。
「咄嗟に僕は飛び出た。気づけば僕は、磨き抜いたボクシングの技術でその男子中学生を
大ごとになってね。久住の目には悲しそうな色が浮かんでいた。
「結局僕は、素人を殴り飛ばした咎で試合への出場権を失くしてしまった。そのことを水瀬さんは気に病んでね。僕は気にしないように言って……実際そうだろう? 女の子を守れたんだ。これ以上立派なことはない」
「ああ、そうだろうな」
僕は同情を示した。僕が久住の立場にいても得意のタックルをかましていただろう。
「住んでいる地域は離れていたから、僕は手紙をやって彼女を慰めた。そうこうしているうちにね、ラブレターが来て」
久住が頬を赤らめた。僕はびっくりした。久住がこんな、恋に悩む男子の顔をするとは!
「付き合うことになったんだ。だが地域が離れていてね。中学も別で。当時の感覚からすると遠距離恋愛さ。やはり難しくてね。あれこれしているうちに自然消滅して。でも僕は、いつの間にか彼女が好きだった。おかしなもんさ。ラブレターをもらった時はちょっとびっくりしたくらいだったのに、何度も手紙をやりとりして、そしてそれが来なくなった途端、寂しくて彼女が恋しくなるなんて」
僕は久住の顔を見た。後悔と、それから寂寞に染まっていた。
「自然消滅したのは中学二年から三年になろうとした時。高校受験のタイミングだね。以来疎遠で。でも、この度、部活交流で再会することになった……それも、顔を拝める。小学生の頃以来に」
小学生の頃以来に? それを聞いて僕は驚いた。中学の頃も二年の終わりまで付き合っていたんだろう? その間……その二年間、お互い顔も見ず手紙だけでやりとりしていたのか?
――純愛がすぎる。
僕はそう思った。
と、唐突に久住はポケットからメモ帳を取り出した。いくつかの英単語が書かれているところを見るに、電車の中で単語帳の書き取りができるように拵えたメモ帳だと分かった。
1001 1100 1111 10110 101 11001 1111 10101
久住があの数列を書いた。僕は首を傾げた。
「この暗号……」
僕がつぶやくと、久住が笑った。
「そうさ。部活交流で僕が書いた」
それから久住はこう続けた。
「二進法だ。十進法のある数字を二進法に直している」
久住はメモ帳に再び数列を書き始めた。
「二進法で1001は十進法の9だ。同じ理屈で、それぞれ変換を噛ませる」
9 12 15 22 5 25 15 21
「……これでも意味が分からないんだが」
僕が素直にそう告げると、久住は小さく笑った。
「暗号解読の世界では、二段階変換というのが有名でね。この数列もさらに変換できる。この数列の最大値が25だということは、25までか、30まである何かを意味していることになる。それ以上はおそらくあり得ないというか、成立が難しい。暗号は必要以上の推測は不要なんだ。意味のあるものしか見なくていい。25がヒントにならないといけないということは、25そのものか、近辺の数字でキリがいいものだ。で、人に意思を伝える時に使われるのは表音文字か表意文字だ。それも日本の高校生が知っているものに限られる。ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット。25~30の範囲で当てはまるものはアルファベットだ」
すらすらと解説が出てくる久住。僕は黙って聞いていた。
「9 12 15 22 5 25 15 21……アルファベットの最初からの文字に変換する。例えばAは1、Bは2だ。そうすると9 12 15 22 5 25 15 21は『I Love You』」
僕は目を見張った。久住の奴、告白していたのか!
しかし久住の目は、相変わらず悲哀に満ちていた。
「だが返信は……」
久住はポケットから折り畳まれたルーズリーフを取り出した。あの、罫線にドットの打たれたルーズリーフだ。
天蓋をご覧 おめんの角 長目のおんなが 宵に名を呼び詩を謡う 魔物はさりゆく いとしき浜辺に
「それからこうだ」
えきそつねは
やはり意味不明だった。僕は首を傾げて久住を見た。
「ヒントは『えきそつねは』だ。これに変換を噛ませる。僕がアルファベットを数字に変えたように、彼女もひらがなを数字に変えさせたんだ。ただ、1〜50の数字じゃない。詩は40文字程度しかない。50に足りない。となると、次に考えられるのはポケベル変換だ」
「何だそれ」
僕が訊ねると久住は続けた。
「『あ』は一行目の一番目だから『11』になる。『い』は一行目の二番目だから『12』。この調子で噛ませていくと、『えきそつねは』は『14 22 35 43 54 61』だ」
それでもまだ分からない。僕は黙って先を促した。
「これらの数字を、最初の詩に当てはめる。『14』は一節目の四番目、『22』は二節目の二番目、という風に拾い上げていくと……」
一節目の四番目……「ご」
二節目の二番目……「め」
三節目の五番目……「ん」
四節目の三番目……「な」
五節目の四番目……「さ」
六節目の一番目……「い」
ごめんなさい。
「フラれたよ」
久住はため息をついた。
「馬鹿な男だろ。僕は」
失恋だった。親しき友人の失恋。僕は何と言葉をかけて良いか分からなかった。
僕は久住の手元を見た。ルーズリーフ。乱暴に折り畳まれたそれは、やはり悲しかった。
僕はそれをじっと見た。
〈天蓋をご覧 おめんの角 長目のおんなが 宵に名を呼び詩を謡う 魔物はさりゆく いとしき浜辺に〉
それから思い出す、久住の言葉。
―― 暗号は必要以上の推測は不要なんだ。意味のあるものしか見なくていい。
えきそつねは
意味があるとは思えない。
つまりこれはブラフだ。暗号鍵に見せかけたフェイントなのだ。
となると、もっと他の解読法がある。
僕はルーズリーフを見た。気になったのはドットだ。
〈天蓋をご覧 おめんの角 長目のおんなが 宵に名を呼び詩を謡う 魔物はさりゆく いとしき浜辺に〉
蓋角長目の宵詩魔
ふた つの なが め の よい し ま
二つの眺めの良い島。
僕は思い出す。
――『isle』……『島』か。くそ、覚えてたのにな。
僕の言葉だ。英単語テストで失敗した。
―― 『view』……『眺め』。これは楽勝だったんだが……。
これも。僕はスペルミスをした。
そして、久住。
―― 『isle』と『view』だろ? Isle Of View……音が『I Love You』に似てる
――この言葉遊びは、僕がオーケストラにいた頃、バイオリンの先生が教えてくれたんだ
オーケストラ。久住と水瀬さんの出会いの場。
「久住」
僕は声を上げた。
了
コードブレイカーの初恋 飯田太朗 @taroIda
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