第2話

 さて、部活交流当日。

 かわいそうに久住の奴、想い人のいる暗号解読部との交流ということで、すっかり大人しくなってしまっていた。まるで鬱病に罹った患者の如く、窓の外を眺めてため息ばかりついている。九院高校から誠心女学園へ向かう専用バスの中。久住のため息が車窓を何度も曇らせた。

「チアだぜ? かわいい子いるかな?」

「衣装だけで三割り増しくらいに見えないか?」

「応援してもらえるのかな」

 我らラグビー部の頭の中にはそれしかないようである。まぁ、これでは「芋でも掘っとけ」という話にもなる。

 僕はと言えば、多少なりとも女の子に興味はあったが、しかし青春を勉学に捧げ、医者になると決めた身だ。女子にうつつを抜かす気はない。雷に背筋をぶち抜かれるような美人にでも出会えば話は別だが、そんな美少女に出会う確率は試算するまでもなく低い。だからバスの中でも僕は単語帳を開いて勉強をしていた。奇しくも僕らの学年は翌週に全国模試を控えていた関係で、僕のように勉強をする生徒は少なくなかった。

上沢かみさわ、お前解明部にも顔を出すんだろう」

 揺れるバスの中。単語帳に飽きたのか、矢澤やざわの奴がそう訊いてきた。

 この矢澤、『黄色い小包み』事件で僕と久住に単語帳盗難の依頼を持ち掛けてきた美少年である。お兄さんが元生徒会長とかで、現生徒会長に口利きをし、久住の居場所たる解明部の設立となった。つまりは創設メンバーの一人である。

「俺も顔を出す予定でいるんだ……実は俺、派手めの女子よりお淑やかそうな子の方が好きでさ。チアより文化部の方が興味あるんだよね」

 部活交流を完全に女子とのお見合いと考えている、模範的九院生らしいコメントである。

「一人でラグビー部抜けるのちょっと怖いから、よかったら一緒に行かないか」

「構わないが……」

 僕も単語帳から目を離した。

「お前解明部の相手先知ってるのか?」

「さぁ?」

「暗号解読部だぞ」

「何それ」

「聞くところによると数学研究部とクイズ研究部が合わさった部活とのことだが……」

「ふうん」

 しかし矢澤は折れなかった。

「ま、そこから他の文化部に繋がるかもしれないし」

 さて、そんなわけで。

 僕と矢澤、それから解明部部長の久住は、暗号解読部の元へと向かうことになった。



「あ、ども……いらっしゃいませ……」

 暗号解読部は誠心女学園の職員室横、数学研究室に部室を構えていた。誠心女学園の生徒たちは九院高校のバスが来るのを今か今かと待ち構えていたようであり、バスが校門を見据えた瞬間、きゃあと黄色い声が沸き上がった。

 果たして大勢の女子にあちこち引っ張られながらも、各部活ごとに分かれた九院生たちは女子に案内されるまま、それぞれの部室へと拉致された、そういう次第である。

 しかしさすがに……というか、予想通りというか。暗号解読部の女子たちは少し大人しい傾向にある子が多いらしく、僕たち解明部は特に手荒な真似をされることなく部室へと連れていかれた。暗号解読部の女子は花……というか、どちらかというと露のような印象を受ける子たちだった。

 矢澤くんもこの華のなさには少々がっかりしたようで、目に見えて萎えていた。これならチアの方が面白かっただろうなと、僕も内心可笑しかった。僕はと言えば、心をかき乱す要因が一つ減ったということもあっていくらか穏やかだった。しかし久住は違った。

 奴は部室に入るなり、ただ一点を見つめていた。

 それも普段の、珍しいもの、興味深いものを見た時に見せる無遠慮な、舐め回すような目ではなく……人見知りをする幼子が、母親の脚の後ろからそっと目をやるような、そんな遠慮がちな目で見つめていたのだ。

 その視線の先には女の子が一人、いた。

 そして僕も思わず息を呑んだ。華がない? 露のようだ? 失礼、僕の目が節穴だった。その女子生徒は一人、まるで洞窟の中の水晶の如く輝いていたのである。

水瀬みなせさん」

 久住がそうつぶやくと、その絶世の美少女もこう返してきた。

「久住くん」

「何だお前ら知り合いなのか?」

 矢澤くんも、その水瀬さんという女子に目を奪われたのだろう。あからさまな嫉妬の目を久住に向けた。しかし久住は、矢澤など意に介さずこう告げた。

「しばらくぶりだね」

「うん」

 水瀬、とかいう美少女も頷いた。

 二つに結んだ髪の毛が肩まで垂れていて、丸眼鏡をしたその子はまさしく「深窓の美少女」だった。落ち着いた色合いの誠心女学園の制服もよく似合う。ボタンをきっちり止めた上にピンとアイロンの当てられたリボンがかわいらしい子だった。

 彼女はつぶやいた。

「オーケストラで一緒に演奏して以来だね」



「せ、せっかくですし」

 暗号解読部の女子がおずおず、といった体で話しかけてきた。

「暗号交流しませんか?」

「あ、暗号交流」

 初めて聞くワードだ。

「か、解明部の皆さんで何か暗号を書いてみてください……私たちも書きます。それを、お互い解読する、という……」

「なかなか高度ですね」

 実際、僕には暗号を作るなんて行為は途方もなさ過ぎて想像がつかなかった。何から着手していいかさえ分からない。

「よろしい」

 しかし久住はハッキリ返した。

「作りましょう」

 水瀬とかいう女子の前でかっこつけたいのか、久住はいやにキビキビテキパキと対応した。持参していた鞄の中から、ルーズリーフ(色気のないことに、予備校の広告が入っている試供品のやつ)を二枚取り出してこう返す。

「これからお互い、ルーズリーフに暗号を書いて見せ合いましょう。制限時間は……」

「五分」

 急に声を飛ばしてきたのは水瀬さんだった。彼女はなかなか久住と目を合わせなかったが、しかし久住の発言に合いの手を入れることに抵抗はないらしく、テンポよく話を進めてきた。

「五分。短い文章をお互い送りあいませんか」

「いいでしょう」

 久住が頷いた。部長がそう言うなら我々としてもそうするしかない。久住は二枚取り出したルーズリーフのうちの一枚を暗号解読部に渡し、もう一枚を手元に置いた。

 果たして暗号交流と相成った。久住は試供品のルーズリーフを前にすると、つらつらと、以下の数列を書き始めた。

〈1001 1100 1111 10110 101 11001 1111 10101〉

 久住は顔を赤らめながらそのルーズリーフを渡した。

 ただの数列。一見するとそうだった。

 しかし相手側の……暗号解読部の美少女、水瀬さんはそれを読み、顔色を変えた。

暗号解読家コードブレイカー

 久住がつぶやいた。

「彼女の通称だ」

暗号解読家コードブレイカー

 僕もその言葉を口にすると、久住は僕と矢澤の方を見て訊いてきた。

「二人にも僕の暗号は分かったかな?」

 果たして、第一問。


Q.久住の書いた暗号の意味は? 


 さて、一通り久住の暗号を読んだ暗号解読部の水瀬さんはやがて一枚のルーズリーフをこちらに寄越してきた。

 それはルーズリーフの罫線に一定間隔でドットが打たれたコクヨの商品で、僕の記憶が正しければ段落を開けたり図形を描いたりしやすくなっていることが売りの商品だったと思うのだが……。


〈天をご覧 おめんの おんなが に名を呼びを謡う 物はさりゆく いとしき浜辺に〉


 不思議な詩だった。まずもって意味が分からない。

 しかし妙な特徴があった。罫線にドットが打たれている都合上、点の下、あるいは点の上に文字が来ることは当然と言えば当然なのだが……筆記に使われたのはシャーペン。その薄い筆跡が、僕が傍点を打った文字の真上、罫線のドットの上に書かれていたのである。要は、

 しかし、暗号文には続きがあった。


〈えきそつねは〉


 さて、第二問である。


Q.水瀬さんの送り返した暗号の意味は? 

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