第32話 葵君の成長

 二月 葵は五歳になった。可愛いから指摘せずに様子をみていたコアラのマーチングの歌を、とうとう訂正してしまった。理解してくれたかどうか怪しいのでまた様子を見ようと思う。夫はピンときていないようだったが、最近の葵はめきめき賢くなっているのを実感する。そろそろ買おうかなと思っていた、なんでの本と子ども向けの辞書を買うことに決めた。


 野菜をあと二分炒めたらルーを入れよう。キッチンタイマーをセットする。図鑑の模写に力を入れるようになった葵は、新幹線の模写が一通り終わるとターゲットを動物に変えて引き続き熱中していた。

「お母さん見て」

 満面の笑みで描いた絵を見せに来る。弱火にしてから顔を向けると、きりんとうさぎ、アルパカとコアラが思い思いの立ち位置で描かれていた。首が長い動物が好きなのだろうか。

「上手やなあ」

 頭をなでると心底嬉しそうに「くふふ」と笑う。この純粋さはどう頑張っても二度と手に入らない場所に置いてきてしまったなと寂しさを感じる。

「色も塗ったら?」

「ほんまや!」

 パッと目が輝いたと思ったらすぐに背中を向けて戻っていく。

「だってコアラのマーチ♪」

「ロッテさんな」

 振り向く。明らかに不満顔だ。とうとう指摘してしまった。

「だってやで」

 まあ待てや。指摘する前には戻れないことを残念に思いながら、椅子に載っても葵の手の届かないところにあるお菓子の棚を開ける。最近は親子でブームが来ているためにストックしているコアラのマーチングの箱を取り出し、箱の裏を二人で見る。

「ほら、カタカナでロッテさんって書いてあるねん」

 販売者:株式会社ロッテさんを見せる。

「ふーん」

 カタカナも漢字も英語も読めない葵は不満顔だった。

「──ちゃんは英語ならってるねんて」

「そうなん。アポーとか言うてんの?」

「言ってない。サニーって何?」

「晴れ」

「ふーん」

「英語の先生って毎週木曜に来るんやっけ?」

「うん。何言ってるかわからんけど楽しい。一緒に英語の歌うたってな、踊るねん」

「楽しそうやな」

「コアラさん食べたい」

「あかん。もうすぐ晩ごはん」

「お母さん見て」

 熱心に描いていた動物をもう一度見せてくれる。まだまだ稚拙だが一生懸命さは伝わってくる。

「上手にかけたなあ」

「でもな、これだけ見たら上手に見えるのに、図鑑と一緒に見たら下手やねん」

「まあ写真と比べたらなあ」

 葵の絵をもう一度見せてもらうと確かに粗は目立った。というか粗しかない。率直に言えばへたくそだ。ごまかすためにタイマーが鳴ったふりをして一度火を止め、葵と一緒にカレールーを入れることにした。ドボドボ入れるのでしぶきが飛び、危うくやけどしそうになった。

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