第21話 聖斗君のお母さん(3)

 そもそも、あの程度の顔つきで、どうして葵君のような整った顔の子どもが産まれるのだろう。初めて葵君を見たときに「聖斗よりもかわいい」と気づいてしまった自分が許せない。

 かわいいだけは絶対に言ってなるものか。聖斗のほうがすごいに決まっている。幸い身体も大きく産んであげられたし、食事の好き嫌いも少ない。保育士の知識を生かしてかけっこや縄跳び、自転車の練習も、ママ友の子どもたちの中で一番にできるようになった。聖斗のほうがすごいのは明白だ。

「お母さんおかわり」

「またおかわり! えらいなあ。自分でできる?」

「できる!」聖斗が椅子から立ち上がった。

「ふりかけいる? お漬物もあるで」

「ふりかけにする。いっぱい食べてえらい?」

「めっちゃえらいよ! 聖斗は大きくなるで」

 弱肉強食の世の中で、優しさは必要ない。強い人間が勝つ。私は間違っていない。

「お母さんもおかわりしようかな」

「お母さんも? 一緒やな」

 炊飯器から戻った聖斗の頭をなでる。自分もおかわりをよそい、どれだけ大きい口で食べられるかを競い合っていると夫が仕事から帰ってきた。

「聖斗、もう一回パパに見せて」

 聖斗があーんをする。我慢できずに抱きしめて頬にキスをし、嫌がるまで執拗にぎゅうぎゅう抱きしめた。

 夕食に加わった夫の審判により、ジャンボマウス選手権は聖斗が優勝した。みんなで拍手をすると、気分が乗った聖斗が椅子の上に立ち、両手で投げキッスをプレゼントしていた。


 翌朝、可能な限り小さく絞ったスマホのアラーム音で目を覚まし、洗濯機をまわすために洗面所へ向かう。洗濯かごの後ろに隠すように置いてあった服を広げてみると、押しつぶされたたくさんのご飯粒がついた聖斗のズボンだった。ゴミ箱の前でしゃがんでひとつずつ引っ張るように取っていく。

 どんなふうに声をかけたら、こぼさずに食事をしてくれるのだろう。

「あなたはいままで通り働いて。大丈夫。保育士として今まで一体何人の子どもを相手にしてきたと思ってんの。子育ては私にまかせて。でも、ご飯は三人で一緒に食べるって約束して」当時勤めていた保育園である程度キャリアを重ねたので、そろそろ子どもを作ろうかと夫と話し合ったときに私はそう言い切った。

『葵君のおかあさんうんこ!』

『おお! うんこうんこ! 待て待てー』

 外に出るタイミングがたまたま同じになり、予定があったので一緒に遊んだのは十分にも満たない時間だった。挨拶されるのでいつも通りいやいや返事をすると、聖斗が葵君のお母さんを指さして挑発しはじめる。毎日毎日うんこうんこ。無視してもうんこ。なんでも無理やり紐づけてうんこにしてくる聖斗を無視しながら、早くブームが終わってほしいと願う毎日だった。ほかの大人が相手ならきつく注意するところだが面倒なので黙っていると、彼女は躊躇なく聖斗の挑発に乗り、まあまあの大声でうんこを連呼しながら行き止まりまで追いかけていた。うんこを注意されなかったことに驚き、奇声をあげて大喜びで逃げ回る聖斗をただ眺める。葵君のお母さんは、子どもを子ども扱いしない人だった。子どもは常に時間を持て余していることを知っていて、大人がそれに応えられないことも理解している人だった。絶対に口に出すつもりはないが、保育士に向いていることは接し方ですぐにわかった。まだ一年しか一緒にいないのに、自分に足りない部分をこれでもかというほど見せつけられてきた。

 はい終わり終わり。ため息をついてご飯粒を引っ張る。服の表面も一緒についてくる。ごはんをこぼさず食べるようにしつけることもできない母親。結局、私はこの程度の人間だったのだ。最後のご飯粒を引っ張ってゴミ箱へ入れる。育児は上手にやってみせる。自分はできると信じていた。根拠のない思い込みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る