第15話 公園(5)

 葵が咲良ちゃんを支えきれなくなり、二人の上半身がすべり台の階段側に傾き、咲良ちゃんが葵に覆いかぶさるようになっていた。ぞわりと鳥肌が立つと同時に階段を二段飛ばしで駆け上がり、葵の頭部に手をかけ、続いて二人の上半身を支える。咲良ちゃんのお母さんも必死に加勢してくれたので転落は免れた。

「危なかった……」

「咲良! なにしてんの!」

 近くにいたほかのお母さんの何人かがこちらを見ていた。大きく息を吐く。全力疾走したわけでもないのに心臓がどくどくと嫌なリズムを刻んでいる。

「よかった……」

 何が起こったのかわかっていない葵に説明しようとしたが、咲良ちゃんのお母さんが許さなかった。

「降りてきなさい!」

 すーっと滑って降りる咲良ちゃんの口元がぎゅっと引き締まっているのを見て感心する。今から叱られるのがわかっている顔だった。葵ならきっとぽかんとしているだろう。

 落ちそうになっていた葵を思い返すと、咄嗟に握り棒を持つなどの素振りは全く見られなかったことに気づく。重力の促すまま、自分の身体を守る動きは全く見られなかったことに思い至る。

 とりあえず私たちも降りよう。葵を促してすべり台から降りると、公園は元通りのざわめきを取り戻していた。

「すべり台の上で遊んだら危ないやろ!」

 咲良ちゃんに叱るお母さんに少しだけ距離を空けて、葵の前にしゃがむ。

「なんで危なかったかわかる?」

「落ちそうになった」

 なんだ理解しているのかと嬉しくなる。

「咲良ちゃんにぎゅってしたくなったん?」

「うん」

 顔を見ているとそうではないようだったが、まあいいか。

「もうせえへんな?」

「うん」

「なんでせえへんの?」

「危ないから」

 わかってるやんと嬉しくなる。

「何て言うの?」

「ごめんなさい」

 咲良ちゃんのお母さんの顔にはまだ叱り足りないと書いてあったが、こちらの終わった雰囲気に気づいて打ち切ることにしたようだ。

「おやつ食べようか」

 咲良ちゃんに話しかけたつもりだったが葵が反応してしまった。おやつ以外の単語を発しなくなった葵をなだめつつ、にこっとした咲良ちゃんの顔を見てほっとする。

「勝手におやつにしちゃったけど良かった? ごめん」

「全然いいよ。座るところあるかな」

 ベンチを探すと、子ども二人が座れる隙間を見つけた葵が走っていく。そばに座っていた小学校高学年くらいの華やかな女の子二人が私たちを見て「うわ大人が来た」と言わんばかりに立ち上がって別の場所へ行ってしまった。女の子の一人がスマホを持っていた。どうやら動画を見ていたようだった。背中に向かってごめんねと念を送る。

「習い事ってしてる?」

 おやつの交換などの騒がしいやり取りが終わり、「何か食べているときだけ静かでええわ」と言って笑いあったあと、私から切り出した。

「うちはまだ。何か考えてる?」

「いや全く。年長さんくらいでいいのかなって思ってるよ」

「なんかね、あんまり早く始めすぎても続かんらしいよ。兄弟姉妹がやってたりすると続けやすいらしいけど」

 彼女のママ友情報網には感謝していた。根ほり葉ほり聞きすぎないように注意して、これからも色々教えてもらえたらありがたいなと感じる。習い事に関しては二人目三人目を育てているお母さんが下の子もついでに習わせたりする姿を見ることがよくあって、自分も何かしなくてはと焦りのようなものが出ることもあった。わかっているつもりだったが改めて本人の気持ちを尊重しようと心に決める。

 先におやつを食べ終わった葵が砂場セットを持って走って行ってしまった。まだおやつを食べている咲良ちゃんにごめんねと声をかけて追いかける。

 砂場の端に座り、葵の相手をしながらほっとしている自分に気づく。

 咲良ちゃんのお母さんは今までで一番気が合うママ友だった。年収などのプライベートなことは聞かれないし、私が水を向けない限り育児についてアドバイスしてくることもない。年上であるにもかかわらず、どうせ嫌われるからと最低限の人付き合いしかしない私のペースをここまで尊重してくれるママ友に会うのは生まれて初めてだった。

 それでも息が詰まる。幸い相槌以外の会話を求められることは少ないので、それさえ間違えなければ良好な関係を続けられるだろう。

 時計を見ると公園へ来て一時間半が経っていた。今日も五時までコースだろうか。晩ごはんもまだ作っていないな。大きなあくびが出る。今日も疲れた。

 咲良ちゃんとお母さんが遅れて砂場に入ってくる。

「もう晩ごはん作った?」

「まだ作ってないねん」

 相手の言葉にかぶせるように返事をしてしまう。

「じゃああと一時間くらいで帰ろうか」

「まだ帰らへん!」

 分かってる大丈夫と葵の頭に手を乗せる。まだ帰らへんよと声をかけながら、さすがだなと見上げる。帰りたい気持ちを見透かされていたが不快ではなかった。

 お母さん水入れてきてとバケツを差し出される。ちょうど立ち上がりたかったのでバケツを受け取った。水を満杯に入れて渡すと歓声が上がる。出来上がった山に向かってぱちぱちと手をたたく子どもたちを見て、こんな関係がずっと続けばいいなと砂でできた大きな山にそっと触れた。思っていたよりも冷たくて心地よかった。

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