第13話 公園(3)

 咲良ちゃんと葵が手をいっぱいに伸ばし合い、手をつないだまま揺れている。少しずつタイミングがずれ、ブランコから身を乗り出すような体勢になっている。

「危ないかな」

「やめさせようか」

 危ないよーと二人で近づくと、嬌声をあげてブランコを降り、二人で走って行ってしまった。

「また手つないでる」

「ラブラブやな」

「羨ましいわまじで」

 夜は八時に寝かしつけること、ファストフードの頻度、テレビは一日三十分、動画サイトを見せるなんて絶対にあってはならない。

 自分の子育ての基準がやや厳しめであることは自覚していたものの、周りに合わせるのはどうしても嫌で引け目を感じていた。咲良ちゃんのお母さんと出会い、子育てについて話せば話すほど似た基準で生活していることを知り、変な気を遣う必要がないことが嬉しかった。

 二人目三人目を育てているお母さんとはすべてにおいて話が合わず、仰天するようなアドバイスをもらい参考にならないことが多いなか、彼女と出会えたのは幸運だったと言わざるを得なかった。

 やや思い込みが激しくどちらかと言うと束縛の気質があるものの、大人になってから知り合った人の中では一番話しやすく頼りがいがあった。

「あ、そういえばパート辞めた」

「えっ? なんで?」

 すごい勢いでこちらの顔をのぞき込まれる。予想以上に驚かれ、逆にこちらがびっくりしてしまった。

「子育てに集中したいなと思って。同じ会社で内職もやってるからそっちに切り替えたよ。時間の融通が利くから」

「そうなんや。ってことは就労の認定はそのまま?」

「うん」

 少し考えるようなそぶりを見せたあと、咲良ちゃんのお母さんが口を開く。

「実はさ、私はパート始めようと思ってるねん」

「え、そうなん! じゃあ就労認定もらうの? 二号?」

「ううん。一号認定のままでパートしようと思ってる。働くの久しぶりやから楽しみやねん」

 相槌を打つ。いつのまにか子どもたちを見失っていることに気づくが、うんていの遊具付近にそれらしき子どもを見つけてほっとする。視野に子どもたちを入れるために公園内を移動しながら、咲良ちゃんのお母さんが言った。

「〇〇ちゃんのお母さんって知ってる?」

 ぽかんとする私の顔を見て察し、返事を待たずに続きを話し始める。

「あの人、次のクラス替えはベテランの先生に担任してほしいですって園長先生に言ったらしいよ」

「へえ。そういうこと言えるってすごいなあ」

 話を聞いていると教育熱心で有名なお母さんのようだった。そういえば咲良ちゃんは習い事をしているか尋ねたかったが、そんな雰囲気ではなかったので後回しにする。

「あと、ひなたちゃんとは違うクラスにしてくださいってのも言ったらしいねん」

 子どもたちの声が切れ目なく聞こえる公園で、重大な事件を話すようなひそひそ声に、ひそひそ顔の咲良ちゃんのお母さんを見る。後ろに広がる青空を見て、今日も洗濯物がよく乾くだろうなとぼんやり考える。

 どうして他人ごとに思えてしまうのだろう。咲良ちゃんも葵もひなたちゃんも、みんな同じ組なのに。

 ひなたちゃんは年少で一番身体が大きくて元気な子という話を聞いたことがある。私の耳にも入るくらいだから、ただ元気なだけではないのだろう。


 うんていで遊ぶ咲良ちゃんと葵を見つける。まだ遠かったが、話を聞かれたくなかったので立ち止まった。考えを察したのか、彼女も立ち止まる。

 肯定するような返事はしたくなかった。噂というものは誰かが話すたびに主観が追加され、それが尾ひれとなりどんどん変わっていくものだと身をもって知っていた。

 ある日突然よそよそしくなったいつものご近所グループ。話しかけても会話が全く続かなくなり、何が起こったのか理解できず立ち尽くし、心臓がすっと冷たくなってから一年が過ぎた。

 知ってるよこの雰囲気。中学三年のときと同じパターンのやつね。

 いつもは眠っているもう一人の自分が目を覚ます気配がした。自分を守るためなら人を傷つけることも厭わない、人を見下すことしか知らない冷酷な自分が、出番が来たと言わんばかりにゆっくりと起き上がる。震える自我にそっと寄り添い溶け込んで、やがて震えは止まる。いつもの自分に、人を見下す狡猾さが追加されたことを自覚する。


 いままでの付き合いで、私が気弱で会話が苦手な人間だってわかってるでしょ。言ってくれたら改めようと努力するのに。いつも疑問に思うけど、私がそんなことをする人に見えるの?

 ねえ。あなたたちが何を吹き込まれたか知らないけれど、陰口を言っている人と私、落ち着いて考えたらどちらが人として仕上がっているかわかるでしょ? 

 噓でしょ。本当に分からないの? 馬鹿すぎて笑っちゃうわ。嫌がらせってね、こうやってするの。

 どれだけあからさまに避けられても顔を合わせれば必ず挨拶をした。そばにいる自分の愛する子どもに「あいさつをしなさい」と教えている手前、無視するわけにはいかない。そこを逆手に取った方法だった。

 人前で大っぴらに無視をしようものなら「この人と一緒にいて大丈夫かしら」自分の品格を自分でどんどん下げてくれる。私は挨拶をすればいいだけ。巧妙に無視されたとしても気にしない。家の前で、こども園で、公園で、会うたびに言い訳できない大きな声で必ず挨拶をし続けた。

 それでも、無視されれば辛いと感じるときもあった。時間が過ぎれば人間関係も変わっていく。大丈夫だと自分に言い聞かせる毎日だった。


 陰口を言い始めたのはどうやら聖斗君のお母さんのようだと、しばらく経ってから気づいた。プライドが高いのは顔つきと話し方ですぐにわかったので気を付けていたつもりだったが、きっと私に何か落ち度があったのだろう。ただ、私にとって幸運だったのは、もともと聖斗くんのお母さんに不信感を持っていたベテランのお母さんがいたことだった。

 人づてに聞いた陰口の矛盾に即座に気づき、「どちらかと言えばいじめるよりいじめられる方だと思った」と言ってくれたときは天にも昇る気持ちだった。そのお母さんとは連絡先を交換したものの、この春から下の子が中学生になったため、ほとんど交流はなくなってしまった。そのとき教えてもらった陰口の内容は、顔も名前も知らないお母さんに対する罵詈雑言だった。

 どうして私は人から嫌われやすいんだろう。

 近くで子どもの泣き声が聞こえ、公園のざわめきが戻る。声の主が葵ではないことにほっとしている自分をごまかすために口を開く。

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