第12話 公園(2)
「砂場セットは?」
「あ! 忘れた!」
まだ引き返せる距離だったためブレーキをかけた。ハンドルを思い切り曲げて来た道を戻ろうとしたが、重心が予想より後ろにあったことに気づけず、自転車ごと勢いよく傾いてしまった。
とっさに腰を下ろして踏ん張り、下から支えると間一髪で転倒を免れた。葵が悲鳴を上げる。急いで自転車を起こそうとしたが前輪が浮いてしまってうまくいかない。一旦諦めてゆっくり横倒しにして、謝りながら後ろのシートごと葵を抱きかかえるように持ち上げると何とか起こすことができた。
スタンドを上げる。じっとりと冷や汗をかいていた。
車が通らなくて本当によかった。
「ごめんな。横着したわ」
「怖かった」
「ごめん」
頭をなでる。深呼吸をしてスタンドを下ろし、後ろへ下がって大回りで方向転換するとスムーズにできた。ペダルに体重を乗せる。本当に危なかった。シートベルトを着けていなかったら葵は外へ放り出されていたかもしれない。
砂場セットを取りに戻り、無事に公園に到着したときは安堵のため息が漏れた。遅刻だが仕方がない。すべり台から降りた咲良ちゃんが走ってお迎えに来てくれる。咲良ちゃんのお母さんも「やっほー」と言いながらこちらへ来てくれるので小さく手を振った。
「ごめん。遅れちゃった」
「全然いいよー。あ、咲良、葵君に渡すの?」
「かして!」
今の今まで忘れてました! という顔をしてお母さんのかばんを奪うように引き寄せている。おやつかなと思っていると出てきたのは手紙だった。葵に差し出している。ピンク色のペンであおいくんへと書かれているのが見える。
「どうぞ」
葵が受け取る。あらま。何て言うの?
「ありがとう」
きゃーと叫ぶのは心の中だけにして、表面上は通常運転を心がける。園通いが始まってからよく手紙をもらって帰ってくるようになった。ひらがなが書けない葵に代わって返事の代筆をするのは楽しかった。今回の手紙も中身がものすごく気になるが、もらった本人より先に読むわけにはいかないので我慢する。
「家に帰って読むね。ありがとう」
私が手紙を預かったのを確認し、当然のように二人で手をつないでブランコへ走って行ってしまった。うらやましい気持ちで見送る。
あまり構うと嫌がられるので少し離れた場所に並んで見守る。さて何を話そうか。何か話題はあったかなと考えを巡らせる。周りは子ども連ればかりでざわざわしているので気づまりというほどではないが、あまり無言が長くなっても良くないのは言うまでもない。
近所のお母さんたちから陰口を言われるようになってからママ友は作らないと決めたものの、子どもが小さいとそういうわけにもいかなかった。幸い咲良ちゃんのお母さんは公園を隔てて小学校の近くに住んでいるので、うちのご近所さんとは今のところ関わる気配がなかった。でも私の立ち位置については早めに伝えておいた方がいいだろう。
一つだけ空いていたブランコを前にして「どうぞ」をしている葵を見て笑みがこぼれる。咲良ちゃんが先に座るようだった。園通いが始まってから外で遊ぶ姿を見る機会が減ったものの、優しく育ってくれているようで安心する。
「咲良な、葵君と結婚したいって。家で葵君の話ばっかりしてるわ」
咲良ちゃんのお母さんの嬉しそうな顔を見てほっとする。
「葵でいいのかなあ。片づけが苦手で部屋はぐっちゃぐちゃなんやけど」
あははは、と笑いあう。
「二人で行動するの好きやろ? 私もやねん」
遠慮がちに私を指さす彼女を見る。どういう意図があって言われたのかわからずとっさに反応できなかった。
彼女は私より十歳以上も年上で、初めて年齢を知ったときは驚きを隠せなかった。いくつか年上だろうと思ってはいたが、もともと若く見えるうえ、友達づきあいを惜しまないと自然と若返るのだなと感心した。
ただ、ほんのわずかな言葉の端に世代間ギャップを感じるときがあり、そのたびに秘められた本音に触れ、周りに合わせて上手く隠している姿に尊敬の念を持っていた。
「あ、うん。そうかも」
ブランコが一つ空いた。すぐに葵が座る。隣の咲良ちゃんと顔を見合わせて揺れている。
確かに中学生の頃までは友達と二人で行動するのが好きだった。
子ども時代だけではなく大人になっても陰口を言われ、葵の笑顔を見ながら、自分は嫌われやすい人間なのだなと思わずにはいられない。
子どもの頃は持って生まれた真面目さのおかげでクラスのリーダーのような存在になった時期もあり、泣く子を見れば助け、手に負えなければ教師を頼り解決するまでかかわった。教師から信頼されるということは生徒から嫌われると同義だ。小学校の高学年になるころから解決後のわだかまりが表面化するようになり、中三の時にいじめに遭ってからは一人で行動するのが好きになった。
友達がいなくても情報は自分で行動すれば手に入ることを、一人になって初めて知った。それなら一人の方が断然楽だ。この成功体験が私の精神を強くたくましくするのに、それほど時間はかからなかった。
二人じゃなくて一人が好きだと言うべきだろうか。それとも大勢の中で気配を消したいタイプだと言うほうが伝わるだろうか。
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