マイケル・ジャクソン症候群

 学校から帰ると、家のドアが開かなかった。

 母さんは出掛けに行っているのだろうか。あいにく、家の鍵も持っていない。

 暇だ。スマホを開く。ジャクソン5の「I Want You Back」を流し、口ずさむ。

 マイケル・ジャクソンはつい一ヶ月前までは聞きもしなかった。僕は、ベン・E・キング、スティーヴィー・ワンダーを経由し、ショート動画で「Beat It」かなんだったかを見て、彼の魅力に気づいた。

 「Yes, I do now (I want you back)」のところまで歌が差し掛かる。

 その時。

「ああ、ごめん。買い物行ってた」

 振り返ると、買い物袋を手に持った母が立っていた。

 母は一旦買い物袋を下に置き、鍵を取り出し、ドアを開けた。

 僕が家の中に入ると、母は、

「なんで『I Want You Back』?」

 と聞いてきたので、僕はなんとなくと答えた。

 母は少し考えるように顎に手を当て言う。

「帰ってほしいの、って意味でしょ」

「うん」

「でも、確かそれ失恋ソングだった気がするけど。失恋したの?」

「まさか」

 そんな言い合いもしながら、僕は洗面所へ行き、手を洗う。とそこで、「I Want You Back」は終了した。

 引き続きマイケル・ジャクソンの曲を流したい。そんなことを考えているといつの間にか体が四十五度ほど傾斜して危うく転びそうになった。

 そうだ。ゼロ・グラヴィティ。

 そんな感じのマイケルの技だった。

 そして、この技が使われているのは確か……「Smooth Criminal」。

 パッと頭に浮かんだその曲を僕はYouTubeで検索する。一番上に出てきたのは、十一億再生のMVだった。

 迷わずタップし、動画が流れる。

 その瞬間だった。歌の「As he came into the window」部分で洗面所のガラスが突如割れ、何者かが家に入り込んできた。そのタイミングは曲のビートと重なっていた気がした。

 「He left the bloodstains on the carpet」のところで侵入者はガラスで指を切ってしまったのか、血をカーペットに流す。

 僕は寝室へと無我夢中で逃げ込んだ。しかし、奴には何もかも全てお見通しだった。「She was struck down, it was her doom」で僕は奴に張り倒された。

 「Annie, are you okay? So, Annie are you okay? Are you okay Annie?」

 奴は「アニー、大丈夫か」と不明瞭な声で何度も呟く。

 それも、何もない床に向かって。

「You’ve been hit by— You’ve been hit by— A smooth criminal Ow!」で奴は頭に手を、腰に手を当て「アウ!」と叫び、ゼロ・グラヴィティを釘無しで実行しようとする。

 通常なら不可能だ。僕も真似してやったことがあるが、せいぜい五度くらいしか倒れられない。

 だが、奴は——マイケルを彷彿かとさせるように、完璧に傾斜四十五度を達成し、直立に戻ってくるまでやってのけた。

 僕は思わず、拍手をした。奴……スムース・クリミナルはその後もキレのあるダンスを披露した。

 そして、曲も後半に差し掛かってきた頃、突如として音が途切れた。

 何事かと確認してみると、どうやら携帯の充電が切れたらしい。しばらくぼんやり暗くなった画面を見ていたが、ハッと我に帰り周りを見渡すと、手軽な犯罪者はどこかへと消えてしまっていた。

 今起きた出来事をとりあえず母に伝えよう。「お母さん!」と声をあげる。

 しかし、いくら待てど、返事はなかった。

 悪い予感がしたので、おそらくいるであろうキッチンに向かうと、料理していた光景をそのままに、母はどこにもいなかった。

 母のスマホにはビートルズの「Help!」がかかっていた痕跡が残されている。

 特に理由もないが、侵入者が母を拉致ったのではないだろうかと考えたが、母は普通にトイレに行っていただけだったので少しホッとした。

 謎の血痕がカーペットに染み付いていたのについて、母は僕に問い詰めてきた。ありのまま今起こった出来事を伝えると、我が家はすぐにマイケル・ジャクソンを禁止することとなった。 

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