猫又

 家の外から話し声が聞こえる。


 ――サトミ、猫婆さんって知ってる?

 ――あー聞いたことある、両手に猫持って追いかけてくるんでしょ。

 ――そうそう! 実はここが猫婆さんの家なんだよ!

 ――えっ!? あれって都市伝説じゃあないの?

 ――サトミ、中学が違うから知らないんだね、猫婆さんは本当にいるんだよ。


 ……また、糞餓鬼共が噂しとる。

 全く、好き勝手ぬかしおって何が猫婆さんじゃい! ワシには、ちゃんとスエって名前があるわい。


 カーテンを少しだけずらして、外を覗くと、制服姿の餓鬼共が家の様子をコソコソと窺っている。

 窓枠を ガタガタッ と揺らしてやると――


「ひぃぃぃ!!」

「うわ、動いた! 動いたって!!」


 という悲鳴が上がり、ダダダッと走り去っていった。


「二度と来るなや、ボケナスどもが」


 そう吐き捨ててから振り返る。

 足元には、何匹いるのかわからぬ猫たちが、気ままに歩き回っている。


「踏んづけてしまうがな……まったく」


 そろそろ飯の時間だ。

 台所に向かい、鍋に火をかける。

 みるみるうちに匂いが立ち込めると、家中の猫がにゃーにゃー、みゃーみゃーと鳴きながら集まってきた。


「これこれ、お前らの分は帰ってきてからじゃ。大人しゅう待っとれ」


 声をかけると、猫たちはちゃんと各々の居場所に戻っていった。


「ええ子らじゃ」


 できあがった飯をタッパに詰め、手提げ袋へ入れる。

 表戸を開けて外に出ると、夜気がひんやりと肌に触れた。


 向かう先は、近くの神社の裏手にある猫の集会場。

 近づくにつれ、みゃーみゃーと賑やかな鳴き声が響いてくる。


「待ちきれんのじゃな」


 呟きながら小道を進み、集会場に着いた瞬間、思わず眉をひそめた。


 猫たちにたかられ、もみくちゃにされている男が一人。

 飯の匂いにつられた何匹かがスエのほうを振り返り、

 続いて男もこちらを向いた。


 年の頃なら五十ほど、つるりと頭の寂しい男。

 猫にしがみつかれながら、にこにこと笑っている。


「おや? ご飯の時間ですかな?

 良かった……わたしも、お腹ペコペコでございますよ」


 猫に埋もれた姿のまま、妙に礼儀正しく頭を下げた。

 見慣れん男じゃが……どこぞから流れてきたホームレスにしては、礼儀だけはちゃんとしておるわい。


「お前さん、猫の上前をはねようなんて、一体どう言う了見なんだい」


 と毒づいてやるが、男はこたえた様子もなくニコニコと笑っている。


「どきな、お前さんが座ってるとこは、猫の食卓だよ」


 男は慌てて立ち上がるが、まだ三匹ぐらいの猫が、男の着物にしかっと爪をたててぶら下がっている。

 その様子を見てこう思った。


 ――よくわからぬ男だが、悪人じゃなさそうじゃな。

 男の座っていた台に作ってきた飯を置くと、男にぶら下がってた猫もようやく離れて飯を食べ始めた。


「いやぁ助かりました、最近の猫は、情熱的でございますなぁ」

 男をちらりと見やって言った。


「近頃のホームレスってのは……ずいぶん変わった格好してるもんじゃな」


 男は、自分の姿を確かめて言った。


「いやいや、ホームレスじゃござんせんよ、講談師でございましてね……まぁ、家はないんですけどね」


「やっぱりホームレスじゃねーか」


 男は、両手を前にだして、ブンブンと横に振る。


「いえいえ、講談師です、講談師!」

 ワシは鼻で笑う。


「どっちだって胡散臭えことに変わりはないじゃろう」


「それは……まぁそうですな」


 男は、しゅんとなっていた。

 まぁええわい、とぼけた男じゃが腹空かしてんなら猫も講談師も一緒だわな。


「猫の飯よかマシなもん食わしてやるからついといで」


 男の目がパッと輝いた。


「よろしいんですかい!?」


「フンッ、変な期待するんじゃないよ」


「するかいッ!」


 ――ふふん、講談師ってのも嘘じゃなさそうだね。


 あらかた食べ終わったタッパを顎でしゃくる。


「レディにもの持たすんじゃないよ」


 この野郎、何をキョロキョロしてやがる。


「……レディ?へぇ、お持ちしやしょう……ドコニイルンデショウナ」


「何をゴショゴショ言ってんだい!!」


 ワシも物好きじゃな、こんな得体の知れんもんに飯食わすとはなぁ。

 家に着くと、男は驚いて周りを見回している。


「こりゃあ、凄い猫の数ですなぁ、わたしゃ驚いて声も出ませんよ」


「声出てんじゃないか!!全く……すっとぼけた男だねぇ」


 猫達がびっくりしておるな、無理もない――この家に人なぞ入れたことは、なかったからのぅ。


「さあ、遠慮せずに上がっとくれ」


「へ、へい」


「じゃあ、その辺に座っとくれ」


 男は、キョロキョロと辺りを見回す。


「その辺ってのは、どの辺のことで?」


「猫の居ないところに決まってんだろ!尻尾踏んだりするんじゃないよ」

 男は再びキョロキョロするが、どこを見ても猫、猫、猫。


「……あの、どこも猫が……」


「探せ!!」


「へ、へい!」


 なんとか座れそうなスペースを見つけたが、少し狭いようで猫を退かそうとしてフーッ!と威嚇されている。


 男に食わすもんと猫達の飯を作りながら、男に話しかける。


「アンタ、講談師なんだろ? なんか一席やっとくれ」


 男は、辺りを見回しながら言った。


「わたしもね、長いこと講談師やってますがね、猫が観客ってぇのは初めてでござんすよ」


 不思議なもので、男が話しだすと猫達が男の前で、足を揃えて座りだした。

 ――――

 さあさあ、御用とお急ぎでない方は、耳を貸しておくんなさいよ!


 せっかく、これだけのお客さんが居ますんでね、今宵は猫又の話をひとつ。


 さて、皆様……いや、猫様。

 猫又と化け猫の違いがお分かりですかな?


「分かりゃしないねぇ、大体違いなんかあるのかえ?」

 と茶々を入れてやると


 ――それがねぇ、良くわからんのですよと愈々いよいよ、すっとぼけたことを言い出した。


「なんだい!聞いてくるから知ってんのかと思えば、それでよく講談師でございなんて言えたもんだね!」


 男は、「へぇ全くでございます」なんて言ってやがる。

 ふふっ……人と喋って笑ったのは、いつ以来だろうね。


「いやぁね、これだけ猫がおりますんでね、一匹ぐらい猫又がおるんじゃないかと思うんですがね、どうです?」

 と猫を見回している。


「尻尾が二股の猫ならおらんぞ……猫婆さんなら、ここにおるがな」


 ざわざわと猫達が顔を見合わせている。


 ――あれだけ嫌だと思っていた呼び名を自分で言うとはな……久しぶりに人と話して舞い上がっておるのか、それともこのとぼけた男め……なかなかやりおるわい。


 ――久しぶりに、人と喋って笑ったせいか……胸の奥がほんのりと温かくなるのう。


 男が首を傾げながら聞いた。

「猫婆さんとは……どういった怪異でございましょう?」

 フンと鼻を鳴らす。

「猫をな――両手に持って追いかけてくるんだと」


 プッと男が吹き出した。

「なんとまぁ、可愛らしい絵面でございますなぁ〜ちなみに、三毛ですかい?キジトラですかい?」


「ガーーッハッハッハ!」


 ついにわしゃあ、顔をくしゃくしゃにして笑い転げてしもうたわい。


 ワシの近くにおった茶トラが笑い声に驚いて、ニャッ!っと飛び上がりおったわ。


「猫婆さんてぇのはね、そもそも――死体の上で踊るぐらいじゃないと、猫又として箔がつかぬというもので」


 笑い声がぴたりとやんだ。


 ワシの近くにおった茶トラも、ニャッと鳴いたまま固まっておる。


「……お前さん、何者だい?」


 男は、にこにことした笑顔を崩さぬまま、静かに言った。


「いやぁ、ようやく合点がいきました。

 猫婆さん――貴方が、猫又なんですね」


 ワシはニヤリと笑った。

「二股の尻尾どころか、尻尾すらないわい……見たいのかえ?」


 男は笑顔を崩さず、穏やかに言った。

「年を経た猫又は、尻尾が消える……そう聞いております」


 その声は柔らかいのに、どこか底が知れなかった。


「貴方は……いくつの時を生きてこられたんです?」


 ぴしりと、家中の猫が動きを止めた。


「数えとらんわいな……お前さんも、人のようで人でない。何者じゃ?」


 男は、にこにことした笑顔のまま、静かに言った。


「講談師にござります――もっとも、人であるとは申しませんが」


 そう言って、ゆっくりと頭を下げた。


 その瞬間、家中の猫の尻尾が一斉にふわりと揺れた。

 風もないのに、古い気配がそっと肌を撫でていった。







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街角講談・怪し語り(あやしがたり) タピオカ転売屋 @fdaihyou

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