狐の黄泉入り

@EnjoyPug

第1話

 日が顔を出し始め、朝を告げる鳥が鳴く頃合い。

 和室の中、畳の香りに包まれた布団に一人の少女が眠っている。


「う~~ん、むにゃ……もう飲めない~……」


 口を大きく開けながら寝言を漏らす少女。

 白と黒が入り混じった長髪に生えた耳。

 下着姿から見えるのは九つの尻尾。そのうちの半分は白と黒に分かれている。

 真ん中は髪と同じように入り混じったそれは彼女の体を包んでいた。


「んあ……?」


 ピクリと耳を動かしながら少女は目覚める。

 億劫そうに起きると、腕を大きく伸ばした。


「くぅぅ、ふあぁぁ~……、──あ?」


 深く息を吸って気持ちよさそうにする欠伸は途中で止まる。

 半分閉じた瞼から見えた先、そこには男が一人、正座をして待っていた。


「…………ん? えっ? ……お前、人間?」


 少しずつ冴えてくる意識。

 きょとんとした顔で少女は男のほうに尋ねると静かに頷く。

 整えられた黒髪に少し影がある顔つき。

 体格もやせ型で服装もシャツにズボンと無難な格好をしている。

 特徴のないのが特徴……町を出歩けば簡単に見つかりそうな、そんな容姿だった。


「お、おはようございます……」


 少女に挨拶する男。少し低めの声は見た目通りの印象だった。


「おはよう……って、いやいや。人間がなんでこんなところに?」

「えーっと、それが僕にもわからなくて……」

「はぁ? お前ここが何処だか知ってるの? 人間如きがこんな場所に入れるワケないんだが?」

「正直言ってこっちも何が何だか……気が付いたらここにいて、眠っている君がいたって感じで……」

「はぁ~~?? ……まぁ、そういうこともあるのかも?」


 理由を聞いてもぱっとしない返事に少女は頭を掻く。

 しんとなる部屋──。

 少女が耳を動かしたのを見て男も耳を澄ませると、聞こえるのは外にいる鳥の声だけ。

 少し肌寒い朝という時間もあってか、二人の合間に気まずい空気が漂っていた。


「人間、名は?」


 この沈黙に耐えかねた少女が先に口を開いて尋ねる。


「秋村です。秋村唯翔あきむらゆいかって言います」

「ゆいかぁ……? なんか変な名だな。今の現世ではそういう名が流行ってるのか? 最近ずっと寝てたからなぁ~」

「さ、さぁ……?」

「まぁいいわ。ワシの名はスズリ。よかったなぁお前、ワシの名を聞けて」

「は、はぁ……」

「……なんか反応薄いな。知らんのか? スズリの名を」

「…………すみません」

「……まじか。この姿見てもわからんと? ワシの名とこの耳に尻尾、普通なら驚いて腰抜かしてもおかしくないんだが……」

「そういうの二次元とかでよく見たんで、まぁ……」

「あっ、そう……」


 スズリのしょげた声と共に耳が少し前に倒れる。

 ふと、唯翔のほうに目を向けると気まずそうに視線を逸らしているのが気になった。


「お前なんでずっと下向いてんの? もしかして畳の目でも数えてる?」

「そ、そのぉ……」

「うん?」

「格好が……ちょっと……」


 唯翔の指がスズリを示し、下から見上げる目線の先には下着姿のスズリがいる。

 白の薄着とパンツ姿に目のやり場を困らせていた。


「あ~、なんじゃお前。そんなこと気にしてるのか? 初心だのぉ~、あっはっはっはっ!」


 腹を掻きながら笑う仕草に少女のような無垢さはない。

 それを思えば顔を背けるのもバカらしくなった。


「ようやくこっち見たな。ずっと顔を下にしてさぁ、話すときは相手の目ぇ見て話せって親に言われんかったのか?」

「すみません……」

「それよりも、お前はどっから来たのか知りたいな。まずは……そうだな、お前のこと話せ」

「ぼ、僕のことですか?」

「そうだ。まぁどうせ聞いてもその理由はわからんと思うけど、ぶっちゃけ暇つぶしだ。お前がここから摘まみ出されるまでの。ほら、早く話せぃ」


 胡坐をかきながら手をぶらぶらと催促してくる。

 そんな彼女の様子に緊張が少しほぐれた唯翔は静かに自身のことを話し始めた。


「えっと、名前はさっき言ったよな……。年齢は二十二歳。好きなことはアニメとかゲーム、最近はVtuberの配信をよく見てます」

「ぶいちゅーばー?」

「なんていったらいいかな。こう、絵を自分に投影させて人に見せるっていう……」

「ふ~~ん、なんか面白いことしてるんだな。楽しい? それ」

「楽しいです。結構面白くて、ハマっちゃって」

「でもお前の顔暗いじゃん。そういう割には」

「それは……」


 彼女の指摘に唯翔は顔を俯かせる。

 何か思いつめたような、そんな様子にスズリはだらけていた姿勢を正した。


「何かあったのか?」

「……最近、全然楽しくないんです」

「そのぶいちゅーばーってのが?」

「いや、それは凄く面白い……けど、最近あんま見れなくて」

「現世は意外と忙しいからな~。そういうモンじゃないの?」

「実は僕、大学卒業して結構有名な企業に入れたんですけど、それがかなり激務で。説明だとそんな雰囲気微塵もなかったのに、入ってみたら何もかも違くて……。忙しいし、怒鳴られるし、それでミスしちゃってまた怒鳴られるしで……。朝早いのはいいけど夜は毎回遅いし、それで何も手出せなくなって……。やっと休みだったとしても、結局疲れちゃってなんもできなくて。でも洗濯とかはしなきゃいけないから起きなきゃいけないし……。なんか同期もやめてく感じでちょっとずつ少なくなってきて……。最近はずっと起きるのも怠くなってきて……。それである日の休みに気分転換で外出たんです。不思議とちょっとだけやる気出てきたから、ゴミ出しついでに散歩していたら何かにぶつかったらしくて。…………そこまでが僕が覚えているとこ……ですね」

「なるほどねぇ~……」



 話を聞いたスズリは立ち上がると凝り固まった体を伸ばしてく。

 気持ちよさそうな声をしながら縁側へと向かい、襖を開けた。

 その先には庭があり、鈴の花が植えられているのが見える。

 明るい景色だった。なのに小雨がシトシトと降っている。

 外は天気雨の模様。小さな雨粒が鈴の花を揺らしていた。


 朝の空気を部屋に入れると布団に戻って座ると、枕の近くに置いてあるヒョウタンを手に取る。

 それを赤い器に並々と注ぎ、今にも泣きそうな唯翔にそれを差し出した。


「まぁ、とりあえずこれ、飲む?」

「あ、ありがとうございます。でもこれ……」

「それ酒じゃないから。ぐいっといけ」


 唯翔は言われた通りに口をつけて一気に含んでいく。

 冷たい感触が舌に触れて、話し続けた口を潤す。

 喉を通すと仄かな花の香りが広がった。


「落ち着いたか? なんか大変だったんだな、お前」

「そうですね……。……一つ、聞いてもいいですか?」

「何?」

「僕は一体、何をどうすればよかったんですか? こんなところにいるって多分僕は死んでるんですよね? スズリさんの話だとこの後、何処かに連れていかれちゃうらしいし……。だったらせめて、自分がやってきたことの意味ってあったのか。それを知りたいんです……! だから、教えてください……!」

「…………」


 スズリを見ながら唯翔は訴える。

 自分が置かれた状況に少しずつ焦りが出てきた様子を見せていた。

 そんな彼を見てもスズリは自分のペースを崩さない。

 近くに置いてあった箱を手で寄せて蓋を開けると、煙管を取り出す。

 皿に種を入れて、指から火をつけると口で吹かしていく。

 しばらく煙を楽しむ彼女に、唯翔はただ静かに待つことしか出来なかった。



「…………──知らん!」


 ようやく口にしたスズリの言葉。

 その一言に唯翔は思わずきょとんとした顔になる。


「知らんわ、人間の事情なんか。そもそもワシはそういう役目じゃないし。なんか人間ってさぁ、生きてきた意味とか、そういうのよく聞いてくるんだよなぁ~、何故か」

「…………え? じゃあなんで聞いたんですか? てっきり何かしてくれるのかと……」

「さっき言っただろ? 暇つぶしって。それに何かしてくれるって? はぁ~……、あのさぁ、こっちの名も知らん奴にご利益あげる馬鹿がいるかよ」

「あっ……」

「……ったく。まぁなんだ、お前って馬鹿みたいに真面目なんだな。生きてて火遊びしたことなさそうなつらしてるし」

「……悪いですか? それが」

「別にぃ~? ただ自分はそうやって生きていて、他人はそういうことしてるくせに自分よりも幸せだと思っていそうな面をしてる」

「…………」

「真面目なくせに他人の目なんか気にするんだな。そんなの気にしてどーすんのよ。どんな奴だろーが、誰だって頑張って生きてるっていうのは考えれば分かるだろ?」

「確かにそうですけど……」

「それにな、ワシは火遊びする奴も好きだが、お前みたいな馬鹿真面目のほうがもっと好きだぞ」

「……へっ?」

「だってそうだろ? そいつの方が色んな奴に靡かないからな。火遊びしてる奴はダメだ。誰にでも尻尾を振る」

「あぁ……」

「……なんだその顔は……。ともかくだ、適当に生きてるよりかはちゃんと真面目に、芯を持って頑張ってるほうが見ている側にとっちゃ好印象ってことだな。その先は知らんけど……まぁなんとかなるでしょ」

「先って……僕はもう──」

「死んでないぞ」

「……え?」


 煙管の種火を皿に落としながら言うスズリに、唯翔は間抜けな声で返事をする。


「死んで、ない……?」

「だから、死んでないって。さっきその報告が来た。お前がウジウジしてる最中にね」

「そ、そうなんですか? ……え? じゃあなんでずっとここに……?」

「だ・か・ら! 暇つぶしって言ってるだろーが! 耳から言葉垂れ流してんのかお前はぁ!」

「ひぃっ!」


 スズリに怒鳴られ、唯翔は思わず身を縮めてしまう。

 情けない姿に呆れながらスズリは、手を叩いて鳴らすと部屋の襖が動く。

 振り返ると和服姿で両手を畳についてお辞儀する者がいた。

 この者がスズリの世話係だと分かったが、顔は布で隠され手は半透明であった。


「お呼びでしょうか、スズリ様」

「そろそろ時間か?」

「ええ。あちらは少し怒っているようで」

「返せって?」

「そのようです」

「か~っ、お堅いねぇ~。コイツが勝手にここに迷い込んだだけっぽいのにさぁ~。あいつはもうちょっとこう、こうなったときにサボるっていうを覚えたほうがいい」

「それは伝えるべきですか?」

「やめろ。シバかれるから」

「かしこまりました。それではその者を連れていきます」

「うわっ!?」


 世話係が手を翳すとひょいっと全身を腰から持ち上げられる。

 この浮遊感、まるで自分が小動物になっているような気分だった。

 そのまま部屋を出る際に唯翔はスズリのほうに顔を向けた。


「あ、あのっ!」

「なんじゃ?」

「話、聞いてくれてありがとうございました! 戻ったらその、貴方の名前、ちゃんと調べます!」

「い~心がけだな。ワシを信仰するのは目が高いぞ。まぁでも、もうご利益は出てるがな」

「えっ?」

「顔、明るくなってる。暗いまんまだと幸は寄ってこないからな。あっちじゃ大変だろうけど、とりあえず前向きにいってみれや」

「……はいっ!」


 唯翔はそう言うと世話係に持ち上げられながら部屋を後にする。

 襖は開けっ放しで部屋にいるスズリが彼が見えなくなるまで手を振っていた。


「また来るんじゃないぞ~」


 見送りが終わり、スズリは指を動かすと開けっ放しの襖が閉じていく。

 先ほどまで賑やかだったこの和室。気が付くと嘘のように静かになっていた。

 外に顔を向けると未だに天気雨が続いている。

 小雨のせいで憂鬱になりそうだが、今のスズリは気分が良い。

 そう思えばこの天気模様も悪くはないと思いながら、布団に潜って二度寝したのだった。

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