第9話 あとのまつりっていうけど─後悔も沈めば溺死するよ




──あの時だ。


私は勢いよく八下に掴みかかった。



「保険かよ!?和子さんはまだ使い道があるって社長が言ってたのに殺したのか!?ふざけんなよ!

てめぇのクソ判断で和子さん殺しやがったのかよ!?」


「なんだよ。お前、そんな顔できんだ?

……おもしれぇじゃん」


「ブチ殺してやるッ!!」



拳を振り上げた瞬間、両肩を掴まれて鳩尾に膝蹴りを打ち込まれた。



クソはクソでも、こいつはゴリゴリの武闘派だった。



「がハッ!」


「俺、言ったよな?“お前が見てやれ”ってよ?……見てやんなかったんだな」



蹲って痛みにのた打ち回っているのを無理矢理前髪を掴まれて持ち上げられる。



見てやれって…だって、………え……?



………印鑑…と…

……署名と……

あれ?…


和子さん…何出してたんだっけ……?


……あれって……通帳……?


全て繋がる。


繋がっていく。



「あのババァな、貯金してたんだってよ。保険プラスでガッポリ。お前が見てやればまだ生きてたかもな?」


「そんなっ……」


「お前が殺した」


「……は…?…」


「お前が“殺した”んだ。わざわざ忠告してやったのにお前は守らなかった。だからババァは死んだ。お前のせい」


「……な……」




言葉の刃が、壊れそうな心に無慈悲に刺さる。

脳裏の和子さんの笑顔が赤く染まり、それはだんだんと赤黒く変色して、目玉と舌が飛び出た悍ましい死に顔になる。




《アやチャん!ありがとォネぇ!》




急激に体温が下がったような気がした。


涙が…溢れて…

……息が………できなくて……



八下の愉しそうな声が心の傷を抉ってくる。



「お前のせいお前のせいお前のせいお前のせい───」


「ぅあっ、ぅ゙あ゙あああっ!!」



すぐに立ち上がって八下に飛びかかる。

八下は爆笑する。

笑って笑って笑いまくる。




「社長は褒めてたぜ?《よくやった》ってよぉッ!!?」




私は力任せに八下を揺さぶった。

八下は愉快そうに目を細めてされるがままドアに背中を打ち付けられる。


そんな痛みはこれからの“八下のお楽しみ”の開幕に過ぎない。



「ふざけんなッ!クソが!クソ八下ッ!てめぇ!!」


「いいねぇ…死人みてぇな顔よりも今の方が百倍可愛いぜ?“あーたん”?」


「うるせぇ!死ね!死ねよ!」




いとも簡単に手を捻り上げられて床に叩きつけられた。

咄嗟に受け身を取ったが、アイツは間髪入れずに無防備な背中を踏み抜く。


その後はアイツの独壇場だった。


何度も背中と腹を踏みつけられた。

顔も蹴られて血反吐を吐かされた。

狂ったアイツの笑い声、

キーンとする耳鳴り、

そして何より、息が出来ないほどに涙が溢れて止まらない。



──あ、これ、わざと煽ってリンチしたかったんだ。



頭の中で今を俯瞰的に見ているもう一人の自分が冷静に呟く。


血が昇った頭が暴力で、冷めていく。


いつもそう、暴力を受けると受動的に現状を分析する。

痛みを逃がすために、脳が思考で誤魔化し始めるのだ。



罵声を浴びせることもできずに、私は床に蹲るだけになった。

満足そうな声で八下が私に話しかけてくる。あれだけ暴れ尽くしたのに、まだ余力はありそうだった。



「……ぁ…ぅ……」


「ババァの最期、知りてぇ?」


「ぃ………」



髪を掴まれて、耳元に唇を寄せられる。


わざとらしいアイツの吐息が、鬱陶しくてしょうがない。



「『末代先まで祟ってやる』ってよ!でもお前、末代じゃん!アハハハハっ!」



耳元で話すには鼓膜が破れそうなほどの喧しさだった。



─それよりも、


和子さんの最後の言葉に一瞬呼吸の仕方を忘れた。


あんなに、仲良しだったのに。

褒めてくれたのに。



世間知らずで、夢見がちで、


でも、


良いことをすれば自分にも返ってくると言って、私のゴミみたいな可能性さえ信じ励ましてくれた和子さんは、最期は私を呪いながら死んでいった。




あんなに…

私の小さな成功を手放しで喜んでくれた唯一の人だったのに……ッ……!




「そろそろ行くかぁ…社長の頼みだから遅刻できねぇしな」




《ごしゃ》、と

頭を踏みつけられる。


鼻血と血反吐で息がし辛い。

痛みも痺れも、全身に拡がって動けもしない。


でも…もう…どうでもいい……





「また調子乗ってみろ?次は生きたまま豚の餌にしてやる」



そう吐き捨てられて顔に唾を吐かれた。

粗暴な足音がドアの向こうに消えていくのが聞こえる。



──霞がかった意識が遠のく。




いっそ、このまま死ねたらな……


どうか、目が覚めませんようにと祈ってみた。




私の意識はそこで途絶えた。

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