第5話 ひなこさんはしんぱいする─焼肉と火葬は紙一重




「このあと、焼肉いかね?」


メラメラとキャンプファイヤーのように燃える炎を見ながら私は八下の発言に頬を引き攣らせる。



「イカれてますね。普通これ見てそんなこと言います?気持ち悪」


「あんだゴラ。肉焼いてんの見て焼肉食いたくなんのが何でキモくなるんだよオラ」


「いや、“肉焼いてん”じゃなくて火葬ッスからね?まじイカれてますね」



八下が焚べた薪が炎の中の焼死体にあたり、黒い塊がボロっと落ちた。

丁度、反り返って固まった指先のところだ。



さっきまでこの黒焦げたちも生きてたんだなと思うと命って儚いもんだなと数秒だけ思った。


あーあ、諸行無常の響きあり。ってか?


この黒焦げさんも敵に回したのが八下だったってのも運が悪い。

そもそも、うちに金借りたのも悪い。

高金利、有利足、おまけに猶予なしの慈悲なし一発処刑付き。

でも、契約書にサインした時に“死ぬ権利”すらも担保にしたんだからしょうがない。


臓器を売るにも歳が行き過ぎて即廃棄ってのも無慈悲過ぎて何だか可哀想だけど、この会社はそんなこと全く持って意に介さない。





《全ては選択を決めたお前のせい✩》




これはうちの社長の常套句である。



「おいブス。社長が夜勤代に上乗せする代わりに焼肉連れてってくれるってよ。お前行くか?」


「行かないです。上乗せは現金に出来ないでしょうか?」


「知らね。自分で言え。オラ」



渡された携帯に耳を当てる。



「もしもし。お電話代わりました。文(あや)です」


『おー、あやちゃん。どした?焼肉行かんの?』


「疲れたのでお家帰りたいです。焼肉分お給料上乗せできませんか?」


『え〜。行こうやぁ~。淋しいじゃんかよぉ~』


「お願いします。お金上乗せして欲しいです。電子レンジ壊れちゃって…」


『なんでぇ?みんなで愉しくお金使うのんと、ちまちま貯蓄すんのどっちがいいのん?』


「ちまちまです」


『ちまちますんの?』


「ちまちまします」


『ぷぷぷ!あーたんちまちまちゅんの』


「ちゅんの」


『ぷぷー!可愛いから許すわ。ほな、上乗せしたげる。でも2割ね』


「ありがとうございます。大好きです」


『社長さんも可愛いあやちゃん大好きよ〜。









─だからな。

いつまでも可愛いままでいろよ?高橋文』




息が詰まった。


呼ばれたフルネームに心臓が握られたくらいの苦しさを覚え、思わず携帯を持つ反対の手がズボンを握り締めた。

私の反応に気を良くしたのか社長は鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌で言葉を続ける。




『ほんなら、八下に変わってぇ〜?また今度デートしよぉやぁ〜?』





ふざけた中に、一瞬の隙もない狡猾さと残虐性を持った化け物がこの社長。

私の雇い主であり、この人の奴隷が私。



バレないように息を整えながら、言われた通りに八下に携帯を渡す。


あの八下が唯一敬語で話すのがうちの社長。そして決して逆わせず、あの猛犬を手懐けてるのも社長。

領域が違えば、うちの社長ほど、上に立つのがうまい人は居ないのではないかと思う。


………言葉を変えれば、それが上手いからこの社会の闇の一部分でうまく泳ぎながら他人を食い殺して生き抜いてるわけで。

尚且つその才能がずば抜けてるから闇の中でも上に立っているということなんだけど。



「おいブス。焼肉行く手前の駅まで送れ」


「はい。池袋とかでいいですか?」


「おう。あ、社長に土産渡したいからいい店調べとけ」


「甘いものと可愛いもの好きだから最近新しく出来たデパ地下のチョコは?」


「それでいいわ。…つーか、一緒来い。店分かんねぇから」


「分かりました」



焼死体を2人で棒でつついて粉にして上から土をかける。おおよそ65kgの肉塊は白くてボロボロの数本の骨に変わった。ただの煤だけではない、軽石みたいな骨になる。こうなれば人間も無生物も変わらないんだ、と毎度思う。


南無三。来世はもっと賢くなろうね、と拝んだあとは車に乗り込んで、八下に土産を持たせて駅に送り届けた。


土産の袋の中にはメッセージカードを内緒で入れてる。


『上乗せありがとう御座います。あやより』


これだけであの土産は私のものとなる。

八下への復讐と好感度上げの布石である。


媚を売るだけで、殺されるリスクは少なくできる。好かれようとしてるのではなく生存戦略だ。


生きてたいんじゃなくて、あんな無残に死にたくないだけ。死ぬときくらいは八下みたいなやつにこの世のありとあらゆる苦痛を体現させられて死ぬのはごめんだし、八下にそれをされるのはめっちゃムカつくから嫌だ。



…それに、社長は“可愛くあれ”と私に言った。その課題をクリアしただけでも私を見る目は少しだけ変わる。


それだけで、命の天秤が変わることがあることを私はよく知っている。



車をボロアパートの駐車スペースにおいて、疲労感が重くのしかかる身体を引き摺るように階段を登った。




ギィ……と建付けの悪いドアが奇妙な音を立てる。


私は社長とはまた違う恐怖に胸に手を当てて、深呼吸しながら部屋の中に入った。




この前の“たいちゃん”以降、家に帰るのが怖い。

まず、視界に映るだけならまだ我慢できていたのに、たいちゃんはあの時の頭ナデナデに味を占めたのか横になってるといきなり距離を詰めてきて撫で始める。

ゆっくり近付かれて撫でられるのも怖いけど、急にあの顔面崩壊坊やが冷たい手で頭や頬を撫でてくるのは心臓にも精神衛生的にも悪い。





……それに、もう一人、幽霊がいる。

しかも女。黒髪長髪。そして黒い服。白くて長い手足に、ビードロみたいにツヤツヤの真っ赤な鋭い爪。



顔面崩壊坊やはまだ少し友好的に感じるけど、あの女はだめだ。見かけからしてヤバい。


大体キッチンか風呂場にいる。

こっちが全裸でもお構い無し。

小声で何か呟いてるが、声が小さすぎてわからん。知りたくもない。



部屋に入るとすぐに電気をつける。

この部屋の電気も薄暗がりで気味が悪いのにあんなバケモンいたら更に怖い。怖いのレベルが命を脅かすなら八下と同レベルなのでカテゴリーが同じな分、私の中では「安楽に死ねる」には程遠いので嫌なわけで。




……つまり、ライオンの檻で寝食ともにすんのは嫌だよってわけで。



幸いにも空間にはたいちゃんも女もいなかった。

ホッとして、荷物を置いて、作業着のチャックに手をかける。

そして、ジッパーを下ろそうとした時だった。






──ヤバい、きた。




いる。

いるいるいるッ!!!!

私の背中にいる!!!!


背後の気配に息を呑んだ。



黒髪が私の肩にかかる。

今、私が上を向いたら、絶対あの女と目が合う。

女が……“私を上から見下ろしている”から。




「……ひ……ぃ………」




得体の知らない恐怖というものは、途方もなく恐ろしい。

だって、結末がわからない。

痛みも苦しみも、恐怖も、何もかも、予測のできないものほど恐ろしいものはない。



私はぎゅっと目を閉じて両手で胸元を握りしめて、この後来るであろう脅威に備えた。






冷たい両手が、私を包むように抱き締める。


壊れ物を抱くように。

優しく。慰めるように私の頭に冷たい頬を寄せられてるのが分かった。





「や……めて……火……やめて……」


「え……?」


「あぶ……な…ぃ……やめ……て……」


「……は……」


「あなたは………おんな…のこ……だか、ら」








《あなたは女の子なんだから火なんて危ないものに触れてはダメ》






気付いたら、下着姿でベッドで寝てた。



風呂にも入らなかったようで、頭と身体からは煤と人肉の焼けた脂の匂いがしてげんなりする。



いつの間に寝てたんだ?わたし。

風呂には必ず入る主義なのに。

ましてや火葬のときは必ず入る。



風呂に行くかと上体を起こした。

ふと、手元に視線が行くと、見慣れた長過ぎる黒髪が枕元に落ちていた。




指でつまみ上げる。

なげぇ……。私の髪ではねぇわな。




「……現実かぁ……キッツ…」




頬を引きつらせながら力なく笑った。



それでも、あんなふうに優しく抱き締められて思ってもないくらい甘い声で注意されたあの瞬間だけは、存外悪くないと思ってしまった。



──とは言え、


急接近は勘弁だけど。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る