第7話 神様は、勉強していた


 その日の四時間目、体育の授業でも天原は大活躍だった。


「天原さん、十一秒一〇!」

「速ッ!? 陸上部よりっていうか、男子より速いじゃん!?」

「流石天津神……身体能力も普通の人とは違うのね……」


「ていうか神通力でしょ? にひゃくさんじゅうなん代目だかの韋駄天様が七秒台で一〇〇メートル走走るの見たことあるし」


「やっぱ神通力あると便利だよねぇ」

「先生! 天原さんの加護貰ってからもう一度測り直していいですか?」


「こらこら、禁止じゃないけど神通力使ったテストはマナー違反よ。最近じゃ運動会でプロ仕様シューズの使用禁止の学校あるんだから」


 先生が女子生徒たちをたしなめる一方で、反対側のグラウンドに集まる男子たちの興味は別にあった。


「くぅ、走る天原さんも絵になるなぁ」

「ただでさえ美人なのにフォームも綺麗だしな」

「それに結った三つ編みから垂れた三つ編みが揺れて可愛い」


 ――三つ編みじゃなくて天綯(あまない)な。つっても普通知らないか。


「あぁ、揺れていたよなぁ。たっぷりと……」


 女子は運動神経に、男子たちは美しさに見惚れ、誰もが夢中だった。

 転校して二日目、すっかりクラスのアイドルだ。


 けれど天原自身はそんなそぶりはおくびにも出さない。


 今も、女子たちに囲まれながら、清楚な笑みを絶やさない。


 なんていうか、フィクションの作られたお嬢様キャラではない、本当にお育ちが良い、本物の上流階級然とした立ち居振る舞いだ。


 ますます、友達面なんて図々しい。

 せめて、俺ぐらいは彼女の学園生活にストレスを与えないよう、距離を取ろうと思った。


   ◆


 そうして迎えた昼休み。

 俺は母さんが作ってくれた弁当を食べると、図書室へ向かった。

 今日の昼休みは、俺が当番なのだ。

 とはいっても、わざわざ本を【紙の本】なんて呼ぶような時代だ。


 図書室を利用する生徒なんて絶滅危惧種で、もっぱら自習や静かにスマホを利用場所として使われるのがせいぜいだ。


 俺も、この時間は暇なので、日本史の本を読んで過ごしている。

 自分で借りる手続きをして、自分で返却手続き、図書委員あるあるである。

 が。


「ん? 返却本か?」


 カウンター内の返却ボックスに、珍しく数冊の本が積まれていた。

 俺がいない間、誰かが自分で貸し出しカードに記入して、返却したらしい。

 元の本棚に戻そうと、本を手にして違和感を覚えた。


「これ、『30日で絵が上手くなる方法』『男女がすれ違う理由』『集中力アップテク』ハウツー本ばっかだな」


 こんなの、ネットで調べればいくらでも出てくるだろう。

 誰が借りたんだと、好奇心で裏表紙を開いて貸し出しカードを確認して、眉をひそめた。


「なんだこりゃ?」


 そこには、鉛筆なのにまるで毛筆で書かれたように達筆な字体が並んでいた。

 日本史教師をしている爺ちゃんの字を見慣れている俺でないと、判別は難しいだろう。


 この生徒の答案用紙を採点する先生の苦労がしのばれる。


「えーっと、これは天、原に、乃と、最後は愛かな? え?」


 天原乃愛。

 まぎれもなく、そう書いてあった。


 まさかと思い、他の本も全部確認した。


 すると、どの本も最後に借りたのは、天原だった。


 借りた日付は昨日、返却した日付は今日だ。


 ――一日でこんなに読んだのか? ていうかこれ、全部みんなの願い事に関連する本じゃないか?


「あいつ、大衆文学を読むんじゃなかったのか? ……いや、まさかあり得ない」


 とある予想を否定するも、俺はその本を強く握ったまま、目を離せなかった。


   ◆


 翌朝、教室では昨日と一昨日、風邪で休んでいた生徒が天原に願い事をしていた。


「お願い天原さん! 風邪をひかない体にして!」

「わかりました。一生は難しいですが、可能な限り健康を維持できるように致しますね」


 天原の瞳の中、虹彩を縁取りする光輪が輝き、手の平から溢れた燐光が女子生徒の体にまとわりついて吸収されると、女子はガッツポーズをとった。


「よし、これで不摂生し放題だ♪」


 なんとも不適切な発言をする女子に、天原はやや戸惑った。


「いえ、せっかく加護で守ってもその分、不摂生をすれば意味がありません」

「え~、そうなの~」


 女子は不満そうにへの字口になった。


「もっとこう、神様パワーでバリアーみたいな感じじゃないのぉ?」

「それができれば医学はいりません。今後も栄養バランスの良い食事と睡眠、衛生状況の改善を徹底してください。他の方も、加護があるとはいえ、努力を怠らぬようお願いします」


 そう言って、初日に加護を授けた生徒に目配せをした。


「加護とは人の力を後押しするものであり、皆様の代わりに仕事をしてくれるロボットではありません。絵が上手くなるには対象をよく観察し、できればイラストではなく立体物を見て線画に落とし込む努力をしてください」


 今度は、運動部の生徒に視線を移す。


「野球を上手くなるには実はけん玉がおすすめです。膝クッションの性能を高める効果が期待できます。逆にバットに重りを付けてはいけません。スイングスピードが逆に遅くなります。むしろ軽いバットで速さを追及してください」


「え? そうなの? うちの部員みんなバットに重り付けているけど?」

「天原さんて博識だね」


 いや、今のは全部、昨日天原が返却した本に書いてあったことだ。


 ――みんなの願いを叶えるための方法を探していた?


 神通力を持つ天津神なのに、なんで?

 一人一人に豆知識めいたアドバイスを続ける天原から、視線を外せない。

 まさかと思いながら、俺はそのあり得ない可能性を捨てきれなかった。


   ◆


 放課後。

 グラウンドから練習に打ち込む運動部の掛け声が聞こえ、窓からははちみつ色の夕日が差し込む頃。


 俺が図書室のカウンターで放課後当番をしていると、目の前に山のような本が置かれた。


「こちらをお借りさせてください」


 一度も言葉を交わしたことが無いにもかかわらず、聞き慣れたと言えるほどに忘れられない美しい声を見上げた。


 そこには、光加減で青みがかって見える程に艶やかな濡れ羽色の黒髪を天綯ヘアに結い上げた絶世の美貌が、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。


 左右の光輪の中に俺を映し込む大きな瞳が、僅かに震える。


「貴方は……東山さん、ですよね?」


 どうやら、カウンターに来てから、俺に気付いたらしい。


 普段の彼女らしくも無く戸惑う姿は、親に秘密のメールを見られた少女のようだった。


 カウンターに乗せた貸出希望の本から手を離そうとしない。

 まるで、すぐに持ち去り貸し出しをキャンセルしようか悩むように。


「っ、その……これは……」


 光輪の瞳が、俺と本の表紙の間を何度も往復する。

 借りようとしているのは、またも各種ハウツー本の類だった。

 彼女の態度も相まって、俺の疑惑は確信へと変わった。

 余計なことだとは思う。

 それでも、俺は聞くべきだと思ってしまった。


「なぁ、もしかしてお前、神通力、使えないのか?」

「ッ……」


 息を詰まらせたように唇を硬くして、天原の美貌が青ざめた。



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神様は青春しちゃだめですか? 鏡銀鉢 @kagamiginpachi

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