リゼットの手紙

九月ソナタ

リゼットの手紙


ジョミナイ兄さん、

お元気ですか。


今日は十一月十三日、私の誕生日、

私、十五歳になるはずですよね。


十三日はお兄さんが激しい戦場で私を拾ってくれた日。その時、お兄さんは私を三歳くらいだと思ったんですよね。私は泣き叫ぶこともできないほど瀕死ひんしで、名前も覚えていなかったから、お兄さんが決めてくれました。


私は両親のことも何もわからないけれど、もっと年上だったかもしれないし、お母さんだって、どこかの王妃だったりするかもしれないです。きゃっ。

もしかして、私ってプリンセスかもしれない、そう思うと楽しいです。


でも、お姫様に憧れているわけじゃないんです。ああいう場所には、規則がたくさんあると聞いています。私、窮屈きゅうくつなところは、すごく苦手です。


私の希望としては、私は馬が大好きだから、お母さんはサーカスの馬に乗る人とか、曲芸師だったらいいなと思っています。


そろそろ夕食の時間です。

いつもは支度をしなければならないのですが、誕生日の子は台所仕事が免除されて、こうやって、蝋燭ろうそくがいらない時間に手紙を書くことができます。一週間に使える数が決められているから、蝋燭はあまり使えないんです。だって、蝋燭がなくなったら、夜にトイレに行けないじゃないですか。孤児院のトイレには、お化けが出るんです。本当です。


夕食は普通、スープと固いパン、その後で、りんごが出ます。オレンジの日もあります。でも、誰かの誕生日には、ケーキがつくのです。きゃっ。


では、食事に行く時間です。アルベルクが迎えにきたので、私は髪に赤いリボンをつけて出かけます。


うきうきしているリゼット




誕生日の夕食の後で、ミス・サマズ院長に呼ばれ、最近は叱られることはしていないのになと思って出かけたら、「贈り物が届いています」と箱をくれました。中には万年筆と辞書が入っていました。


お兄さん、誕生日プレゼントをありがとうございます。私、泣いちゃいました。


私、自分の辞書がほしかったんです。図書館の辞書は大きくて重くて、それに持ち出し禁止なのです。


これからはもっと洗練(今、辞書を引いて覚えました)した単語を使って、スペルも間違えないで手紙が書けます。


そうそう、誕生会の続きです。

デザートの話ですが、柿クッキーでした。この間、庭の柿を使ったクッキーで、中に、チョコレートチップがはいっていました。

おいしかったけど、本当は少しがっかりしたんです。ストロベリーケーキを期待していたから。でも、いちごの季節じゃないし、仕方ないですよね。私、諦めはよいほうです。


お兄さんの誕生日はいつですか?

もう手紙を書き始めて長いのに、聞いたことがなかったと気づきました。私って、いつまでも子どもで自己中心的ですよね。


このところ、よく辞書を引いています。辞書の匂いって、大好きです。もう癖になりそうで、友達のアルベルクに鼻の上が黒いよ、って言われちゃいました。


食いしん坊のリゼット




ジョミナイ兄さん、私は泣いています。


でも、お兄さんが戦場から飛んできてくれたとしても、私は会いません。


このことを書こうかどうか迷ったのですが、思い切って書きます。

もしお兄さんがこの手紙を読んだら、「なんて不潔な女子だ」とがっかりすることでしょう。


私の髪は真っ黒で、量も多く、何度か「きれいだ」と言われたことがあります。だから、私、髪には少し自信があったんです。


でも、私にはフケという悩みがあります。それが最近ますますひどくなってきたんです。


服に落ちたり、知らずにぼりぼり掻いていたりして、友達から注意されることもありました。恥ずかしいのでずっと秘密にしていたのですが、もう限界で、院長に相談しました。


すると院長が修道院の禿げた老医師のところに連れて行きました。彼は私の髪をじょきじょき切って、「この髪、くれるか」と言って、瓶にはいった軟膏を無料でくれました。


だから、今の私は丸坊主です。

その頭に、その軟膏を毎日、塗っています。

でも、その軟膏は前に転んだときにもらったものと同じで(絶対そうです)、あまり効果がありません。



絶望的な丸坊主のリゼット




ジョミナイ兄さん、


高価な軟膏をありがとうございます。値段は知りませんが、絶対に高いものだと思います。だって、たった二回塗っただけで効果が現れたんです。きゃっ。


フケがうそみたいに消えていきました。急に、世界が明るくなりました。みんな、いい人に見えてきました。

これまでの悩みは何だったんでしょう。

お兄さんに、また助けてもらいました。


友達で耳の後ろや背中がかゆい子に塗ったら、すぐに治りました。

今、孤児院のみんなで使っています。


この間、ある男爵夫妻が、養女を探しに孤児院に来ました。


多くの里親は小さな男子を望むのですが、夫妻が探していたのは十四、十五歳の元気な女子です。きゃっ。


夫妻は、大切な娘を亡くして、長い間立ち直れなかったそうですが、今度、養女を迎えようと決心したのだそうです。

孤児院には五十人ほどの子供がいますが、条件に合うのは六人だけでした。


孤児なら誰でも、こういう家族を望みます。

私は十五歳で、孤児院一の元気な女子だから、チャンス到来。私にもお母さんができるかもしれないと思うと、眠れなかったです。


でも、面会の前に、鏡を見てがっかりしました。

誰が、こんな男子みたいな女子を望むでしょうか。

やはり選ばれたのは、顔もきれいで髪も長い、いつもおとなしいシェナでした。

私が夫妻だとしても、シェナを選ぶでしょう。


シェナは孤児院を出る前夜、私のベッドに来て、一緒に寝ました。

あの子はおとなしいけれど、芯の強い子です。シェナは私みたいな騒がしい子が嫌いで、一度「あんたは、お調子者」と言われたことがあります。本当だから仕方がないと思っていたら、そのうちにだんだんと親しくなりました。


シェナは明日から、ひとりになるのが怖いと泣きました

だから、私が言ったのです。

「シェナ、もし、私が選ばれてあなたが残るのと、あなたが選ばれて私が残るのと、どちらがいい?」


シェナは正直だから、あの男爵夫妻のところに行くのがいいと答えて、私をハグして、笑顔になって眠りました。


私のほうは、自分が男爵令嬢になって、きれいなドレスを着て、ふさふさの髪に、赤いリボンを三つもつけ、馬に乗っている夢を見ました。


ちょっと残念がっているリゼット





ジョミナイ兄さん

今日は大変なことがありました。でも、先に言っておきますが、私は大丈夫です。


今日は土曜日で、洗濯の日でした。小さなものは孤児院の裏の井戸を使いますが、今日は大きなもの、シーツや布団を洗う日でした。冬はシーツの洗濯が多いのです。だって寒くて、夜は布団から出たくないから、年少者がおねしょをしてしまうので。


シーツをみんなで運んで、川で洗います。みんなは一枚か二枚の担当ですが、私は五枚、引き受けました。罪滅ぼしです。


年少者が夜にトイレに行く時、暗くてお化けの出る場所をこわがって、よく私を起こしに来ます。でも、ものすごく眠くて、起きたくなかったので、無視したことがあります。だから、年少者は粗相そそうをしてしまったわけで、私の責任なんです。


川で三枚目を洗っていた時、同じ作業にちょっと飽きて、流れる川の水をぼうっと眺めていました。水の流れを見ていると、なぜか胸がざわざわして、遠い昔に似たようなことがあった気がしました。でも思い出せません。不思議に思って顔を近づけると、すぽんと、川に落ちてしまいました。


落ちた場所は深くて、下に沈んで、ぐんぐんと流されていきました。水の中で、何かが、馬車が倒れる音、誰かの悲鳴、爆発の閃光ひかりが、一瞬、頭をよぎりました。でもすぐに消えて、このまま水の国に落ちていくのかなぁと思った時、お兄さんの声が聞こえて、必死に上まで泳ぎました。


川岸では、先生からは「不注意だ。三日間おやつは抜き」と叱られましたが、怪我もないし、水に濡れたけれど風邪もひいていません。


こんな話、戦場にいるお兄さんにはしない方がいいと思っていたのですが、どうしても書きたい理由があります。

私、水の中に沈んでいった時、お兄さんの声が聞こえたんです。

「リゼット、泳ぐんだ」って。


おやつ禁止ですねているリゼット




今日は院長先生との面談の日でした。

孤児院を出たあとの進路のことを話しました。


お兄さんは何歳くらいのときに、兵士になろうと決めたのですか?

ほかの道に進みたいと思ったことは、ありますか。


ここでは、裁縫が得意な子は仕立ての仕事がすぐ見つかりますし、織物工場で働く子もいます。メイドになって屋敷に勤めたり、アルベルクみたいに頭のいい子は、勉強を続けて先生を目指すこともできます。


「好きなことを仕事にできるのがいちばん幸せよ。好きなことは何ですか」とミス・サマズが言いました。


でも、私は、自分は何が好きなのか、どんな仕事できるのか、分からないのです。

好きなことはあります。木登り、おやつ、馬、おしゃべり、でも、どれも仕事とは結びつきません。


でも、ミス・サマズが見せてくれた仕事募集の資料を見ていたら、やりたい仕事を見つけたのです。


宮廷付きの「朗読士」。それも、王女さま専属の朗読士なんですって。きゃっ。


物語を読むのは大好きだし、宮廷という場所も見てみたいし、衣食住つき。こんな夢みたいな職業って、ほかにないと思うんです。


でも、問題がふたつあります。


ひとつめ。応募者が多すぎること。

ふたつめ。私、声が高いし、読み出しのところで、よくとちってしまうんです。あれ、どうしてなのでしょうか。



すぐに、朗読士を目指して練習を始めました。

アルベルクが付き合ってくれると言いました。彼は難しい単語の意味も発音もよく知っています。



毎日、練習をしていたら、「声が前より聞きやすくなった」と褒めてくれました。

お礼にリンゴをあげたかったのですが無理なので、そのかわりに逆上がりのやり方を教えてあげました。

でも、彼はまだできていません。どうしてあんな簡単なことができないんでしょうね。


でも、アルベルクも私に思っていることでしょう。

「どうしてこんな簡単な単語がわからないんだろう」って。


体操教師のリゼット




お兄さん、

今日は、一年でいちばんうれしい日でした。


だって面会日だったんですもの。面会は年に二度ありますけど、兄さんは戦場にいるから、めったに来られません。



昨日から髪を念入りに洗って、少しでも長く見えるように引っ張って、服にはアイロンをかけました。

もうすぐ会えると思うとうれしすぎて、階段を下りる時、転んでしまい、唇の横を切りました。

私って、肝心なところで運が悪いと思いませんか。それとも、ただの注意散漫ちゅういさんまんでしょうか。


でも、夕方になってもお兄さんは現れなくて、私は門のところで、帰っていく人たちの背中を見ていました。

ピンクの夕日って、悲しい色なんだと初めて気づきました。


お兄さんは、きっと隣国が攻めてきて、また前線に出なければならなくなったのだと思いました。


隣国の王室は、前の戦争で家族を失った恨みが強いと聞きます。

いつになったら戦争は終わるんでしょうう。

早く平和な日が来てほしいですが、もし私の大切な人が殺されたら、きっと相手を恨み続けてしまうと思います。


門限まで、あと五分。

今日、お兄さんはもう来ない。

そう思って玄関に戻ろうとした時、遠くから馬の大きなひづめの音が響きました。


その栗毛の馬は門の前で止まり、馬からひとりの人が飛び降りて、こちらへ走ってきました。

青みがかった鉛色の上着に、黒いズボンとブーツ、それはジョミナイ兄さんでした。きゃっ。


「リゼット」、

私の名前が呼ばれました。

私、こんなふうに呼んでほしかったので、泣きそうでした。



お兄さんは駆け寄って私を抱きしめ、「遅くなって、ごめん」と言ってくれました。


「どうしたんだい。口の横?」


「大丈夫です。忙しいのに、来てくれて、うれしいです。また戦争に行くんですか?」


お兄さんは眉をしかめて頷き、小さな本を手渡してくれましたね。


「私、言いたいことがたくさんあります」

「ぼくもだよ。でも、口惜しいほど時間がないね。リゼット、また手紙を書いて」



その瞬間のことを思い出すたびに、胸がぐつぐつと沸騰ふっとうして、鼻が痛くなります。


いつか、飽きるくらいお兄さんとお話しできる日が来るのでしょうか。


お兄さんを、すごく思っているリゼット





お兄さん、お元気ですか。


このところ、出した手紙が戻ってきてしまいます。いつものように軍隊宛に出しているのに、お兄さんに届きません。


もしかして、遠い異国の戦場で戦っていらっしゃるのでしょうか。


戻ってきた手紙は二通。書いたのに、まだ出していない手紙は、積み上げるともう一メートルにもなります、なんて、うそ、三十センチです。


お兄さんが帰ってきたら、まとめて大きな赤いリボンをつけて贈ります。


あの日、お兄さんがくださった本、『アリアとライネル』は、何度も読みました。


これはお兄さんの愛読書ですか? 女の子向きの内容なので、少し驚きました。私のために選んでくれたのでしょうか。


女王となる運命のアリアは、長年仕えてくれた臣下ライネルを愛していたが、彼はパリに行った時に、お針子のミシェルに恋する。嫉妬に揺れたアリアは彼を前線へ送る命を下し、ライネルは命を落とす。のちにアリアはその決断を悔い、物語は切なく幕を閉じる。


この物語は悲しいですけれど大好きで、自然と暗記してしまったので、すらすらと朗読できます。

だから、選考の日に、プリンセスの前で朗読するつもりです。


受かりますようにと祈っているリゼット





お兄さん、

今日は朗読士の選考の日でした。

生まれて初めて宮廷という場所に足を踏み入れました。ものすごくどきどきしましたが、でも、思い切って中にはいって行きました。でも、足はがくがく震え、喉はからからで、こんなに緊張した経験は初めてです。


私って、内心は度胸のあるほうだと思っていたのですが、弱虫だということがわかりました。


会場に行くと、志願者はすでに五十人くらいいて、みんな秀才に見えました。


でも、おいしいおやつをふたついただいたら、落ち着いてきて、筆記試験や課題の朗読試験にも集中できました。


そして、最後に、十二人が王女さまの前で朗読をすることになっていたのですが、なんと私、その中に選ばれていたのです。きゃっ。


本番では、出来がよかったかどうかはわかりません。でも、アルベルクに教わったように、ゆっくり、低めの声で読み、出だしはとちりませんでした。


朗読の後、エリシア王女さまが「『アリアとライネル』は一番好きな本なのです」とおっしゃったので、とても驚きました。


本をくれてありがとうと感謝しているリゼット




お兄さん、号外です。



選考会から三日たった今日、ミス・サマズに呼ばれて院長室へ行くと、なんと私が「朗読士」に選ばれたと告げられたのです。

きゃっ。

これって、奇跡みたいだと思いませんか?


早くお兄さんに知らせたくてたまらないリゼット




お兄さん、

私は朗読士の実習生になりました。

選ばれたのは三人で、三か月の実習期間を経て、ひとりだけが宮廷公認朗読士として、正式に選ばれます。


エリシア王女はとても美しくて、上品な方で、夢みたいにきれいなドレスをたくさんお持ちです。お歳はわかりませんが、その落ち着きぶりから見て、二十歳以上、でも二十五歳以下でしょう。


ここに来て、もう三週間。

王女様は、夜になる、私をよく呼ばれて、「アリアとライネル」の朗読を所望されます。


不思議なのは、王女様が「アリアとライネル」を聞くたびに、ベッドの枕に顔を伏せて、しばらく泣かれることです。


そんなに悲しいのなら、別の話にすればよいのではないかしら、と思いますが。


ある夜、王女様が、「リゼットには好きな人がいますか」と聞かれました。


「はい」

「どんなお方」

「兵士です」

「ああ。そうなの」


王女様はふーっとため息をつかれて、暗い窓の外を見ていました。


「その人とはよく会うの?」

「いいえ。最後に会ったのは、六か月前です。今は、遠いところにいるので、連絡が取れないです」



王女様は私の顔をじろじろと見ました。

「どのくらい好きなの、その人のことを?」


「その人のためなら、おやつをやめることができます」

と答えたら、すごく笑われました。


「王女様にも、好きなお方がいますか」


すると、彼女はピアノの上にならんでいる写真たてのひとつを持ってきて、

「この人」と言いました。でも、それは古い写真で、八歳くらいの子供が写っていました。


「幼馴染のジャン」


その時、ジャンという少年は、お兄さんに似ていると思いました。


「でも、ジャンさまはもう大人ですよね」

「もちろんよ。今は、近衛兵の隊長ですもの」


そして、私を引っ張って、暖炉のところへ行きました。


暖炉の上にも、写真が置かれていました。

「今のお姿」


その彼は近衛兵の制服、赤い上着、白いズボン、黒のブーツで、それぞれの手に、帽子と剣を持っていました。夢のようにすてきな方でした。でも、お兄さんとそっくりで、まるで双子のような顔立ちでした。



「この方はどなたですか」

「私のいとこのジャン・ジョミナイ・セバスチャン・クルドール公で、近衛兵第二軍団の隊長で、部下が二百人もいるのよ」


「ジャン・ジョミナイ……」


その名前を聞いた瞬間、胸の奥で何かが引っかかりました。どこかで聞いたことがある気がしました。でも、それはいつも手紙に書いている名前だから当たり前ですよね。


「ジャンはクルドール伯爵の嫡男で、彼のママが、私の父、エルデスタイン国王の姉上よ」


「おいくつですか」


「ジャンは私より五つ年上だから、今二十九歳よ。すてきな人でしょ」


「とても」


「私は、彼と結婚するのよ」


その時、私の顔が急に真っ白になったらしいです。



「リゼット、何をそんなに驚いているのですか」


「私の想い人も、ジョミナイと言うのです。名前も、顔も、あまりにそっくりすぎて、驚いてしまって。でも、私のお兄さんは近衛兵ではないし、今は戦場に行っています」



「その彼とは、どこで知り合ったの?」

「幼い時に、戦場で、助けてもらいました」

「ああ、……」

「何かご存知ですか」


「いいえ。その兵士も、あなたを好きなのですか」


「わかりません。好きは好きでも、妹のように思っているのかもしれません」

「そうね。きっと、妹か、自分の子供のようにね」


私はお兄さんの妹ですか、と聞きたいリゼット



お兄さん、


その時はあまり全体のことがわからなかったのですが、後でよく考えてみると、エリシア様のお好きなジャン様は、ジョミナイ兄さんのことではないかと思い始めました。



昨日の夜中、女官が急に呼びにきて、私は女王様の部屋に急ぎました。


「何でも、いいから読んで」

と命令されました。


「はい。では、『アリアとライネル』にしましょうか」

「あれはだめ。ライネルが死んでしまうじゃないの」


「はい。愉快な冒険物語しましょうか」

「やっぱり『アリアとライネル』にして」



ベッドの上の王女様はいらいらしたり、しくしくと泣かれたりしながら、突然、「朗読はやめ。つまらない」と言って、枕を投げました。


「朗読なんか聞いても、ちっとも、気が晴れない。辛すぎて、今夜を越せそうにもないわ。死にたい」


「何があったのですか」


王女様は怒ったように立ち上がり、テーブルにあったワインをぐっと飲んで、グラスを床に叩きつけました。


「悔しいのよ。ジャンがね、隣国の捕虜になっているの。六か月前に、国の兵隊の四十五人が捕獲されたのだけれど、彼が身代わりを申し出て、捕虜になったのよ。でも、国と国との交渉で、うまくいくはずだと信じていたけれど、隣国ときたら、さっき、十一月十三日に、彼を死刑にするという声明を発表したの。ああ、なんということ。来月には、彼が死刑になってしまうなんて」


「どうして、そんなひどいことを」


「このエルデスタイン国には男子が生まれなかったから、私が次の女王になるの。その時には、ジャンがクルド―ル公として、伴侶になること決まっているのだから、彼をそういう重要な人間だと知って、公開処刑にしようというのよ」


「隣国は鬼ですか」


「隣国のノルデリオン国の国王には、男子がふたり、それに、年の離れた末娘オレリアがいたわ。国王はオレリアを溺愛していたけれど、彼女が幼少の頃に、わが国のスパイにより誘拐され、殺されたと信じているので、その恨みが決して消えないのよ」



「本当に、そんなことがあったのですか」

「戦場で、血まみれのオレリアを見たという証言があるから。十一月十一日は、その子の命日なのよ」



混乱しているリゼット




お兄さん、

昨夜から、ずっと考えています。

あの戦場で、お兄さんは敵国の子供である私を助けてくれました。殺されても仕方なかったのに。この十二年間、私は幸せでした。

でも、お兄さんが、捕虜になっているなんて。


今、私に何ができるだろうと考えています。


勇気を出そうとしているリゼット




ジョミナイ兄さん、突然ですが、これが最後の手紙です。


私は、ようやくいろんなことが理解できました。


考え続けていた時、ふと、川に落ちたときに見えたあの閃光を思い出しました。


馬車の屋根。爆発の音。誰かの悲鳴。水のように流れていく意識。そして、「大丈夫だ」と言ってくれた声。


そして、所持品箱を開けて、あの血まみれの服を手に取った時、すべてが繋がりました。


私は誘拐されたのではなく、自分で馬車に登ったおてんばな王女、オレリア。

オレリアはスパイに誘拐されてなどされていません。

あの日、おてんばで馬が大好きな私が、厩舎きゅうしゃにこっそり出かけて、軍隊の馬車の屋根に登ったのです。その馬車が戦場に行き、大砲が当たったのです。


お兄さんは戦場で大怪我をしている私を救い、敵国の子だということを隠すために、私を孤児院に入れてくれたのですよね。


私はこの服をもって、隣国に行きます。私がうまく説得できたら、お兄さんは感謝され、必ず解放されるはずです。


お兄さんは、人々と未来のために働いてください。そして、幸せな人生を送ってください。


ジョミナイ兄さん、これまで、たくさんのことをありがとうございます。私は決して忘れませんが、お兄さんは忘れてください。


責任を取ろうとしているリゼットに、勇気を。





そして、二十年後


ある夏の午後、一頭の馬が孤児院の前で止まり、中年の男性が降りた。


この孤児院は昔とはずいぶん姿を変えていた。白壁は明るく塗り直され、玄関脇には木々が静かな木陰を作っていた。


正面玄関の受付には若い女性が座っていて、彼に気づいて丁寧に会釈した。


「失礼ですが、お名前は」



「ジャン・ジョミナイ・クルド―ルです」


「ああ、失礼いたしました、クルド―ル大公。昨年は、女王の崩御、ご愁傷様でございます。そして、第一王子の国王即位、おめでとうございます」


「恐れ入ります」


「ところで、今日はどんなご用事でしょうか」


「副院長にお会いしたいのですが」


「ご予約は」


「ありません」



しばらくすると、黒い髪の女性が廊下を歩いてきたが、客の顔を見ると、足が止まった。


「まさか、お兄さん?」


「兄さんではないよ」

と彼が近づいて来た。



「ジャン大公?」


「それも、違うよ。今日からは、ただのジョミナイだよ。リゼットが、こんな近くにいたとは、知らなかったなぁ。祖国で、プリンセスになり、毎日おやつを食べて、子供たちと幸せに暮らしていると思っていた」


「お兄さんがエリシア王女と結婚したと聞いてから、すぐに戻ってきたのよ」


「その前に、戻ってこないとだめだろう」


「私は、お兄さんに幸せになってほしかったの。祖国で王女として暮らすより、幸せな姿を見ていたかったの」


「女王が亡くなる前に、この箱をくれたんだ。中に、きみからの手紙がはいっていた。三十センチくらいあったよ」


「りぼんはつけてありましたか?」


「いいや」


「そうでしたか。時間がかかったけど、無事に届いたのですね」



「リゼット、あのあたりから、もう一度、やり直すことができるかい」


「あのあたりって、どのあたりですか」


「あのあたりだよ」


彼は後ろに隠していた小さな箱を見せた。


「これで、お願いします」


「何ですか」


リゼットはくんくんと匂いをかいで、微笑んだ。

「ストロベリーケーキ!」


「好きですよね」


「私、賄賂でなんか騙される女ではないですよ。でも、」


「でも」


「ストロベリーケーキは例外です」


「でも、なにか反応が、昔とは違う気がします」


「だって、今は副院長ですから」


「ぼくの前では、昔のようにお願いできますか」


「どのように?」


ほら、とジョミナイの瞳が笑っていた。

リゼットはこの瞳をずうっと見たいと思っていたのだ。


「あ、わかりました。ストロベリーケーキ、大好きです。きゃっ」


二人が顔を見合わせて笑うと、庭の花々が揺れて、まるで祝福してくれているようだった。





            了












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リゼットの手紙 九月ソナタ @sepstar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画