第4話
その夜、公園へ向かうと、桜は八分咲きだった。
薄い街灯の下で、花びらはまだ静かに呼吸していた。
その中央に、男がいた。
薄いコートに花が積もり、髪にも小さな花びらが引っかかっている。
男は気にする様子もなく、ゆっくりと腕を広げた。
桜の木は、夜の光を浴びながら、まるで"咲くことそのものを忘れまいとしている"ように立っていた。
枝という枝が白い炎のように広がり、花が密集して、夜空に逆さまの銀河を描いていた。
その銀河の中心のような位置で、男は踊っていた。
指がわずかに開く。
腕が浮かび上がる。
それだけで、花びらの落ち方が変わった。
風が吹くと、花びらが一斉に揺れる。
男の体も同じタイミングで傾いた。
押されているのではない。
"風の線を読むように"動いた。
腕の軌道は、枝から枝へとつながる "見えない枝" のようだった。
男そのものが桜の新しい枝に見えた。
花びらは、男の動きに触発されるように軌道を変えた。
桜のほうが男に合わせているように見えた。
踊りは音楽がないからこそ、
桜と風の音がすべて"伴奏"になっていた。
男が大きく沈み、そこから一気に背骨を伸ばして立ち上がる。
その動きは、花が蕾から破裂する瞬間に似ていた。
静けさのなかの爆発。
私は息を忘れた。
動きが止まると、男は幹にもたれかかった。
息を整える――というより、
"息を止めないように必死で耐えている"呼吸だった。
目を閉じても、眉間に薄い影が残る。
その影は、あの賞味期限を見つめたときと同じだった。
肩が小刻みに震えている。
寒さだけではない。
体力の限界が近いことを示す震えだった。
何かを失った人間の影。
語りたくない過去を抱えた影。
それでも踊らずにはいられない、切迫した影。
次の更新予定
花の降る音 サノ・ケヨウ @g307763
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。花の降る音の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます