薄暑

コリドラス@仁世亜

薄暑

 久々に実家に帰省し深大寺蕎麦を食す。

 子供の頃から食べ慣れたもので、一箸分を汁に落としてずずっと一気にすする。幼少の頃はこれがなかなか上手く出来ず、吸い込みすぎてよくむせた。

「そんなに食ったら動けなくなるぜ」

 運ばれてきた蕎麦のお代わりに箸を付けると、先輩がいつもの調子でからかいはじめた。

「先輩だって大盛り食べたじゃないですか」

「オレは普通だろ、チビのお前が食うから面白いんだ」

「ここに来たらお代わりが基本なもんで」

 すでに食べ終わった先輩は、頬杖なんかをついて面白そうに二年目の後輩を眺めている。その視線を真向に受け、ひたすら蕎麦をすするわたしの額にうっすら汗が滲む。

 初夏だった。

 会社の草野球チームでピッチャーを務める先輩は、爽やかな日差しの下ですっかり日焼け顔だ。普段は軽口ばかり叩いているが、明るい表情の奥に見え隠れする真面目な眼差しに想いを寄せて早一年。

 しかし久々に食べる蕎麦の味には勝てず。

「全部食べ切ったら俺が奢ってやる」

「それはダメです。約束がちがいます」

 慌てて箸を止めた。

「なんだ、やっぱり食えないのか」

「なに言ってンですか」

 言われてむきになり箸を持ち替えると、わたしは再び蕎麦を勢いよくすすった。

 調布に来た本来の目的は社内報の記事を書くためだった。

『私の故郷』と聞いて真っ先にわたしが思いついたのは、やはり深大寺のこと。

 緑や湧水に囲まれた自然豊かな水神の寺。境内を駆け回り、小川で水遊びをした子供時代。寺で焚かれる線香の匂いが好きで、それを歓迎会の席でうっかり話すと若年寄りが入ってきたと皆に笑われた。

「深大寺といえば蕎麦か。食いてえなあ」

 社内報の話に先輩が食いついて

「なんならご馳走しますよ」

 つい調子に乗ってうっかり返した。運が良いのか悪いのか、先輩は面白がってふたつ返事で了解し、いよいよ後に引けなくなった。

 横浜から電車で二時間弱。まずは蕎麦を食べようと周辺をつらつら歩き、先輩が選んだ店は偶然にもわたしが初デートで訪れた店。

「約束は約束なのでわたしが払います」

 可愛くないなあ、とでも言いたげな顔で先輩はわたしを見ると「いいから食えよ」と汁に蕎麦湯を注いだ。


 結局ご馳走になった。

 お礼に団子でもと財布を取り出すと、お前はまだ食うのかと一笑して、それをしまえと促す。グズるわたしを軽くいなし、土産物屋を歩こうと足取り軽く先を行く先輩は、門前通りの賑わいを時折もの珍しそうに眺めては立ち止まり、振り返る。出店の焼き団子を指差して笑った。わたしは肩をすくめ先輩の後を追う。

 店に沿って流れる小川や風に揺れる緑が、賑わいの中でかえって静寂を思わせる。木漏れ日が眩しくて目を細めた。細めた視線の先にいる先輩の姿が、なんだかいつもと違って見える。

 カメラを構えた。

「しかし初デートで蕎麦をお代わりとはお前やるなあ」

 振り返ると先輩は笑った。慌ててカメラを下ろした。

「で、その彼とはどうなったんだ?」

「ふられたんですよ」

 ぶっきら棒に答えるわたしを気にもせず、ほお、と溜息を吐くと一瞬考えて「お前の食べっぷりに恐れをなして逃げてったのか」

 先輩は無遠慮にがははと笑う。わたしはおもむろに立ち止まった。

 山門に目をやって――誘われるように――階段を一気に駆け上がる。背後で先輩が声を上げた。視界が揺れ、かすかに息が弾んだ。

 後ろから来た先輩がすまん言い過ぎた、と頭を掻いて謝るのを遮って「先輩ほら、この匂い」

 常香楼へと足を向けた。

 ん? と鼻を動かし「ああ、これがお前の好きな匂いってやつか」

 興味深げに先輩は炉を覗き込む。

「体の悪い所に煙を当てて厄を払うんです」

 賽銭箱に小銭を落とすとわたしは炉に線香を立てた。ゆらゆら立ち昇る煙をあおいで体に浴びて見せる。「こんな感じです」

 黙って見ていた先輩は真似て賽銭箱に小銭を落とし線香を立てると「俺はここだな」言って煙を頭に浴びせた。

「……お約束ですね」

「お前も頭に浴びろ、少しは背が伸びる」

「今更伸びませんよ」

 ふざけて煙をあおぐ先輩をかわし、わたしは思い出したようにカメラを構えた。新緑で生い茂るなんじゃもんじゃの木、本堂、鐘楼、見慣れた景色を前にして次々とシャッターを切る。パシャリパシャリ。レンズが先輩を捕えた。

 カメラを下ろした。

「この匂いが好きです、蕎麦も小川もなんじゃもんじゃも、好きです」

 ゆっくり近付いてきた先輩は不思議そうにわたしを見つめ、一つ瞬きをした。

 不意に――

 線香の匂いが胸の奥をざわざわと通り抜ける。同時に大きな波がうわあっとわたしの胸に押し寄せた。

 あの日。

 境内を巡り蕎麦を食べて別れた初デート。高校生らしくテーマパークに行こうと言った彼を深大寺に誘った。一度も訪れたことがないという彼にここの蕎麦はね、なんじゃもんじゃはね、深大寺は恋愛の神様がね、わたしは夢中で語った。

「いいデートだったじゃないか」

 ぐずぐずと思い出話をするわたしに先輩があっけらかんとそう放つ。否定するようにわたしは首を横に振る。「ダメでした」

「なにが」

「白けたんです」

 あの時、最初は黙って聞いていた彼も次第に退屈そうに携帯電話をいじり始めた。そこでわたしはようやく気が付いた。

「一人ではしゃいで、まったく彼を見ていなかったんですよ……それに気付いたらなんだか悪くって」

 お代わりどころか蕎麦一枚食べるのがやっとで――

 あれから四年が過ぎた。蕎麦が食べられなくなるほど引きずっていたわけではない。むしろしまい込んでいた記憶、のはず……。

 先輩は何も言わずただ聞いていた。黙ったまま、真っ直ぐにわたしを見つめている。

 心底後悔だ。

 面と向き合う度胸もないくせに、軽口を叩いて先輩と今こうして深大寺を歩いている。未だ自分の気持ちに決着もつけられないでいるのに。

「恋愛は、苦手です……」

 参詣者の賑やかな雰囲気に紛れ、ぎこちない沈黙が襲ってきた。このまま逃げてしまおうか。あの時のように。

「よくわかった。よくわかったが」

 沈黙を破ったのは先輩だった。

 俯いた顔を少し傾け先輩を盗み見る。いつになく神妙な面持ちで溜息を吐くと先輩は続けた。

「その……ナントカもんじゃというのはなんだ? うまいのか?」

 強張っていた肩からストンと力が落っこちる。

 傾けた顔をゆっくり元に戻した。

「……あの木の名前です」

 言ってわたしがなんじゃもんじゃの木を指し示すと、先輩は振り返り納得したように頷いて「面白い名前だなあ、お前が勝手に付けたんじゃないのか?」

 一転して、がははと笑い足をそちらの方に向けた。

「ちがいますよ、ちゃんとした由来が」

 慌てて後を追い「この木はなんというものじゃって尋ねた所から、そう呼ばれるようになったんです」

 先輩は一瞬立ち止まり、わたしの顔をまじまじと見た。

「ほほう、それでなんじゃもんじゃ」

「残念ですが食べ物じゃないです」

 木の手前でゆるりと足を止めた。わたしは先輩の前に躍り出ると「春になると白い花が咲くんです、それが」

 それが――

「雪が積もったように見えるんだろ?」

「え?」

 目を丸くした。

「知ってたんですか! ずるいなあ!」

 どさくさに紛れ先輩の肩を叩こうとして、ハッとし、その手を戻す。

「名前も知ってたんだ、なんじゃもんじゃ」

 先輩は上着の内ポケットから深大寺のパンフレットを取り出して軽く振ると、得意そうに肩をすくめた。呆気に取られるわたしの前で、呑気に大きく伸びをする。

 ヒトツバタゴ――

 通称なんじゃもんじゃの木。

 春になるとまるで雪が積もったかのような真っ白い花を咲かせる木。過ぎ去った冬の名残を惜しむように、あたかも雪の幻を見るように、懐かしみ恋慕い、しかしやがてはそれが真っ白できれいな花だと気が付くのだ。

 暫くの間、新緑に染まるなんじゃもんじゃの木を先輩は愛おしそうに見上げていた。

「お前さ、せっかく恋愛の神様がいる町で育ったんだから、もっと自信持てよ。そんな後ろ向きじゃ神様もがっかりするぜ」

 よしお参りしよう、言うと先輩は深沙堂に向かって歩き出す。一度振り返り微笑んだ。

 わたしは無言で立ち尽くし、ただただ後ろ姿を目で追い掛ける。

 思い出し、慌ててカメラを構え、戻すと、その背に向かって走り出した。

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