深大寺といえば、そば。というのはわりと蕎麦好きならすぐ思い浮かびます。参拝にきたら、そば。せっかくなので食べないと勿体ない。
けれど、せっかく来たのに、そばの味がわからなくなるようなこともある。
縁結びの神様(寺だから仏なのか?)のところへ来て、はしゃいで、楽しいスタートを切るはずだったのに、切れたのが縁であったなら。
軽妙なリズムの文体に軽口のようなやりとり、わかっているのかわかっていないのか、わかられてることがわかってないのか、わかってて空惚けてるのか。そんな新そばのような甘やかな関係性へ、ほろ苦い思い出をわさびのように利かせた自慢の逸品、になってるんじゃないでしょうか?
どうぞ、召しませ。