第3話 井上秋尾
「ゆたかな自然の街、江猟市」
市役所の壁には、そんなスローガンが描かれた垂れ幕がさがってた。
修学旅行の一環として来た市役所には、特に何の感想もない。
五班の他のやつらも同じみたいだ。先生の説明を退屈そうに聞き流してる。
「市役所は街の心臓部と言っていい場所です。みなさんも大きくなったらたくさんお世話になると思います」
「今でも実はお世話になっているんですよ」
「今日は特別に、普段開かない資料室を見させてもらいましょう」
先生を先頭に、僕たちは二列になってぞろぞろと歩き出す。
資料室に興味はないから外で待っていたいけど、後ろには他の組と学年主任の先生がいる。
仕方なく僕は列を作って進む。
隣に並んだ奈川が笑いながら小声で話しかけてきた。
「資料室には、今までおしらせが出たひとのリストがあるらしいぜ」
「そりゃどこかにはあるだろ。大事な情報なんだから」
おしらせが何人に出たかは毎年おまつりの後に公開される。
ただその氏名までは公表されない。
もちろんいなくなったひとが出ればそのひとだって分かるから、うわさにはなるけど、リストが広報に出たりするわけじゃない。
でも市役所にはあって当然だろう。おしらせは市の封筒で届くって話なんだから。
ただ僕たちが見学できるようなとこにはないとも思う。
実際、みんなで入った資料室には、街のあちこちの風景写真ばっかりが飾られていた。
北部にある湧水地と、そこからほど近い湿地帯は、普段は立ち入りできない禁止区域だ。
美しい景色を僕はそれなりの興味を持って眺める。
この湧き水と湿地帯は市の水源というのもあって厳重に管理されている。市役所の担当職員しか入れないって話だ。
正直に言うと、昔は修学旅行で湿地帯の見学に行けるかもって期待していたけれど、何年か前に中学生が湿地帯に侵入して事件になった。それ以来学校行事であっても子供の立ち入りは禁止になったらしい。残念だけど仕方ない。
僕たちは市役所を出るとバスに乗って市内の何カ所かを回った。
禁止区域も結構あって楽しめた。
夜はキャンプ場でご飯を作って、みんなでそれを食べた。
問題は、夜になってからだ。
「鈴の音がする」
そう言い出したのは間宮だ。
みんなが班ごとのテントに移動して消灯した後のこと。
僕には聞こえなかったけど、奈川と若家が「本当だ」と言い出した。
「森の方じゃない? 見に行ってみようよ」
若家は好奇心が強すぎる。
奈川と鈴はそれに賛成して、操沢は嫌そうだった。佐々木はもう寝てた。
僕は、僕しか言うやつがいないから止めた。
「やめとけよ。ルール違反で問題になったら来年の六年が困るぞ」
「でも気になるだろ。先生たちにも聞こえてるんじゃね? この鈴の音」
「僕には聞こえない。もう寝ろよ」
嘘じゃない。本当に聞こえなかった。
でも操沢はその時、騒音に苦しむみたいに両手で耳を押さえ始めた。
「ほら、なんかやばそうじゃん」
間宮は言うなりテントを出て行った。
若家がその後を追って、奈川と鈴も。操沢はテントに残った。
「大丈夫?」
操沢には何が聞こえてるんだろう。
他のテントは静かだ。
しばらくして操沢は僕を見上げた。
「……鈴が止んだ」
「え? もともと聞こえないんだけど」
「間宮たちがあぶないかも。行ってくる」
そう言うなり、 操沢はテントを出て行ってしまった。
止める間もなかった。
僕はテントの隙間から彼らが向かった森を見ていただけだ。
僕が見つめる中、木々の奥で、赤い光が何度かまたたいたことを覚えている。
あの光は、後から思えばきっと、
※
みんなが帰ってきたのは二十分後のことで、その時若家は誰かの名札を持っていた。
見せられた名札に書かれていたのは僕たちのクラスで、でも知らない名前だ。
「あれ、このひと」
名前を知ってる。
去年の六年生だ。その名札が何故。
僕は名札を裏返して、うめき声をあげてしまった。
「……最悪だ」
泥に汚れた名札に挟まれていたもの。
それは、こんなところにあってはならないものだ。
「おしらせだ」
江猟市(保護区)の記録 古宮九時 @nsfyuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。江猟市(保護区)の記録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます