第2話 千田愛


「耳を塞いでいなさい」とお父さんは言った。

 三年前のおまつりの時のことだ。



 お父さんは「変わりもの」で「偏屈」、そして「裏切りもの」なんだって。

 誰も面と向かってはそんなこと言わないけど、近所の人がこそこそうわさ話をしているのを聞いたことがある。


 確かにお父さんは不愛想で口数も少なくて、変わりものだったのかもしれない。

 口癖と言えば「子供は外で遊びなさい」くらいだ。

 だからわたしと、弟のサトシは、いつも日が暮れるまで外で遊んだ。

 お母さんは「禁止区域の方まではいかないでね。家の近くにいて」って口うるさく言ってたけど、時々は森の方まで行った。子供のわたしたちはまだ何も知らなかったから。


 そんな風に何も知らずにいられたのは、三年前までだ。

 お母さんにおしらせが来た年。

 あの夜、お父さんは悔しそうに、本当に悔しそうにわたしたちを抱いて「耳を塞いでいなさい」と言った。




                 ※



 先週の修学旅行で、わたしたち六年生は江猟市の名所をいくつも回った。

 普段は立ち入れない施設も多くて楽しかった。

 ただ夜のキャンプは森の近くで、それが少し不安だった。三年前のあの夜、わたしが立ち入った禁止区域のすぐそばだ。

 でも、だから「修学旅行を休みたい」なんて言えなかった。

 そうしたら「裏切りものは、娘も裏切ものだ」って言われるのは目に見えてたから。

 


 不安だったけど、修学旅行は特に問題なく進んで、ただ一つ気になったのは、夜になって隣の五班のテントがざわついてた。

 言い争うような声が聞こえて、内容は聞き取れなかったけど、何人かが出ていった、ような。

 夜に禁止区域の方に行くなんて正気じゃない。だからわたしはそれを聞き間違いだと思っていた。

 学級だよりの、五班の感想を読むまでは。



「鈴の音が聞こえたなら、耳をふさいだ方がいいよ」

 学級だよりを読んですぐ、翠はわたしがした忠告を聞いて、「へえ?」と言っただけだった。

 彼女は五班だったから、やんわり釘を刺してみたんだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。

「それってなんで? あの鈴の音、千田にも聞こえたの?」

「聞こえてないよ。何も知らない」

 平静を装ってそう言ったけど、翠は信じなかったみたいだ。


 彼女は本屋の娘のせいか、よく物を知っていて知識に貪欲だ。

 でもこの町のこともおまつりのこともほとんど知らない。

 それは決して文章にも本にもされないから、経験することでしか教えられない。


 だからこの町には二種類のひとがいる。

 おしらせで身近なひとが去っていったひとと、それを経験しないままのひとと。

 翠は後者だ。


「関わらない方がいいよ。どうせすぐにおまつりだし」


 それ以上は言えない。

 わたしは裏切りものじゃないから、黙っていなければならない。

 わたしが何か言えばお父さんが困る。

 お父さんもきっと、わたしとサトシを守るために、三年前は黙ったんだろうから。


「千田は何を知ってるの?」


 翠は、好奇心を隠しもせずにわたしに聞いてきた。

 その好奇心が耐え難くて、わたしは彼女を無視した。

 奈川くんがいなくなって、操沢くんが学校に来なくなったのはそこから三日後のことだ。

 二人とも五班の人間だ。



                 ※



 わたしはもう何も語らない。

 お母さんは、綺麗なひとだった。

 外で遊ぶわたしたちにずっと付き合っても全然日に焼けなくて、遠目からでも、夕暮れ時でもふわっと浮き上がって見えるひとだった。

「昔は私も愛みたいに夏が来るたびに日に焼けてたのよ」って言ってたけど、わたしは自分とは全然似てないと思っていた。

 そんなお母さんのことを、わたしは大好きだった。

 お母さんを引き止められるなら、本当は裏切りものになってもよかった。

 あの、夜の森で、おかしくなってしまうほどの鈴の音の中から、お母さんを助け出せればよかった。

 でもできなかった。

 わたしとサトシは、追いかけてきたお父さんに抱きしめられて、その腕の中で凍りついていた。


 夜の闇と、悲鳴と、鈴と、肉を裂く音と、あいつらのはしゃぐ声と


 そんなものをお父さんの手のひらごしにかすかに聞いていただけ。

 裏切ることさえできなかった。

 だから、今ももう、何も言わない。



                 ※

 


 今年もおまつりが来る。

 わたしは口をつぐんで、この町で生きる。

  

 

 

 



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