ステージ19:『動』の調律
【ステージ18の結末より】
玲は、二人の前まで歩いてくると、住職の空摩が、まだ、そこに座して、自分を待っていたかのように、その前に、静かに、膝をついた。
「……ただいま、戻りました」
空摩は、何も言わず、ただ、その深淵(しんえん)のような瞳で、玲を見つめ、そして、初めて、その口元に、わずかな「笑み」を浮かべた。
【二度目の目覚め】
玲の意識が、再び浮上した時、最初に感じたのは、滝壺の轟音(ごうおん)ではなく、穏やかな「薬湯」の香りだった。
あの、清浄な部屋。彼女が最初に運び込まれた布団の上で、玲は、今度こそ、本当に「眠って」いたらしい。
(……身体が……軽い……)
『月の芋』による、あの暴力的なまでの「回復」とは違う。
まるで、生まれたての赤子のように、身体の隅々までが、清浄なエネルギーで満たされている。
滝壺で再び開いたはずの傷口は、今度こそ、完全に塞がり、薄い皮膚が再生していた。
「……お目覚めに、なられましたか」
そばに控えていた聖華が、安堵(あんど)に満ちた笑みで、玲に湯呑みを差し出した。
「……聖華、さん……。私は……」
「……丸一日、眠っておられました」
聖華は、そっと玲の手首に触れた。
「……あなたの『音』、とても、静かになりました。あんなに荒れ狂っていた『不協和音』が……まるで、嵐の後の、凪(なぎ)のようです」
「……」
玲は、自らの内側に耳を澄ませた。
確かに、渉への「喪失感」も、敵への「憎悪」も、消えてはいない。
だが、それらは、もはや彼女を苛(さいな)む「ノイズ」ではなく、彼女という「楽器」を構成する、一つの「音色(ねいろ)」として、静かに、そこに「在る」だけだった。
「……だが、凪(なぎ)は、長くは続かん」
障子の外から、尊の、硬い声がした。
彼が入ってくる気配はなかったが、その「音」には、以前のような、玲へのあからさまな「敵意」は、消えていた。
代わりに、武人としての、純粋な「焦り」が滲(にじ)んでいる。
「……『門』の外の、三つの『穢れ(ノイズ)』。……お前の『音』が消えたことで、奴ら、次の『一手』を打ち始めたぞ」
【門前の『次なる一手』】
那智の村の「結界」の外。
膠着(こうちゃく)は、破られていた。
「……チッ。解析不能か!」
カラスが、部下の報告に、苛立(いらだ)たしげに舌打ちする。
玲の「ノイズ」という「内応者」を失った今、ジャマーによる結界ハッキングは、完全に不可能となっていた。
「……予定を変更する! 『プランB』だ。この聖域を支えている『魂石』の『龍脈』そのものを、物理的に、叩き切る! 旧時代の『掘削機(ボーリング・マシン)』を手配しろ!」
「……隊長。カラスの部隊に、動きが」
「……フン。あの烏(カラス)め、物理的にこじ開ける気か」
黒龍は、その「気」で、カラスの部隊が、この地下空洞の「外側」で、大規模な「何か」を動かし始めたのを、正確に感知していた。
「……好都合だ。奴らが『結界』に『穴』を開けた、その一瞬。……その『穴』を、我ら『夜行衆』が、最短で、駆け抜ける。……全隊、突入準備」
黒龍の瞳には、妹・晶(ジン)の姿だけが、映っていた。
「…………」
そして、エコー。
彼女は、一人、天井の闇から、二つの勢力の動きを、ただ、見つめていた。
玲の「きれいな『おと』」は、まだ、結界の向こう側で、静かに響いている。
だが、二つの「きたない『おと』(黒龍とカラス)」が、その「きれいな『おと』」を、再び、乱そうとしている。
(……ゆるさない……)
彼女の行動原理(プログラム)が、書き換わっていく。
「影」の命令(玲の排除)よりも、優先すべき「何か」。
あの「きれいな『おと』」を、守らなければならない。
だが、そのためには、この「壁(結界)」が、邪魔だ。
エコーは、静かに、カラスの部隊が準備を進める、「掘削機」の予定進路へと、その身を「転移」させた。
彼女もまた、この「戦争」に、自らの「意志」で、介入するつもりだった。
【動の調律】
「……聞け」
村の寺院で、住職・空摩が、再び、玲の前に座していた。
彼の前には、玲が捨てたはずの、あの「ナイフ」と「魂石の欠片」が、静かに置かれている。
「……お前は、自らの『内』なる『不協和音』と、和解した」
空摩は、静かに告げる。
「……だが、それだけでは、『戦い』には勝てん。『静』の調律を、覚えたに過ぎん」
「……『静』の……」
「お前の敵は、『お前』ではない。外から来る、理不尽なまでの『暴力』だ」
空摩は、窓の外――この地下空洞を満たす、巨大な「魂石」の結晶群を、指差した。
「……この聖域は、この『魂石』そのものが放つ、強大な『調和』の『音』によって、守られておる。……聖華の『癒し』も、尊の『
「……」
「……お前の『修行』は、これからが、本番」
空摩は、床に置かれた「ナイフ」を、玲の前に差し出した。
「……今のお前は、『楽器』にすぎん。……自ら、『音』を奏でる、『演奏者』になれ」
「……演奏者、に……?」
「そのナイフを、取れ」
空摩は、命じた。
「そして、この空間に満ちる『音(エネルギー)』を、自らの『意志』で、その『刃』に、『調律』してみせよ」
玲は、息を呑んだ。
それは、黒龍が「気」を操り、ステュクスが「刃」と一体化し、カラスが「技術」で音を操った、あの「力」の、本質。
「……だが、忘れるな」
空摩の瞳が、厳しく、玲を戒(いまし)めた。
「……『力』に、溺れるな。……お前が滝壺で得た、あの『静寂(ゼロ)』の心を、保ったまま、『力』を、御(ぎょ)してみせよ」
「……『力』を、御する……」
「……外の『化物』どもが、この『結界』を破るまで、もう、時間はない」
空摩が、立ち上がる。
「……やれ。……お前の父、宗也が、そして、渉が、辿(たど)り着けなかった、『本当の調律者』の『力』を、今、ここで、示してみせよ」
玲は、決意の表情で、ナイフを手に取った。
彼女の、最後の「戦い(修行)」が、今、始まった。
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