ステージ20:『演奏者』の誕生
【ステージ19の結末より】
「……やれ。……お前の父、宗也が、そして、渉が、辿(たど)り着けなかった、『本当の調律者』の『力』を、今、ここで、示してみせよ」
玲は、決意の表情で、ナイフを手に取った。
彼女の、最後の「戦い(修行)」が、今、始まった。
【『動』の調律】
寺院の床は、冷たかった。
だが、玲の精神(クオリア)は、滝壺で得た、あの不可思議な「静寂(ゼロ)」の境地によって、凪(な)いだ水面のように静まり返っていた。
(……『音』を奏でる、演奏者に……)
玲は、ナイフを胸の前に構え、ゆっくりと目を閉じた。
彼女は、自らの「内側」ではなく、「外側」――この聖域(サンクチュアリ)そのものへと、意識を、そっと、広げていく。
――聴こえる。
滝の轟音(ごうおん)。
聖華が薬湯を煎(せん)じる、かすかな火の音。
尊が、結界の外の敵を監視する、張り詰めた「殺意」の音。
そして、何よりも強大に、この地下空洞全体を支配している、あの「音」。
ドーム状の天井に群生する、巨大な「魂石」の結晶群が、まるで、一つの巨大な聖歌隊のように、荘厳な「調和」の「音」を、絶え間なく奏でていた。
空摩が言った、『大いなる音(マントラ)』。
この聖域の、生命そのものの「響き」。
(……この『音』を、私の『刃』に……)
玲は、自らの「クオリア」を、その『大いなる音』へと、そっと、差し伸べた。
『音』に、触れる。
その瞬間。
――ズンッ!!
凄まじい「圧」。
それは、滝壺の水流など比較にならない、銀河そのものが、一度に流れ込んでくるかのような、圧倒的な「エネルギー」の奔流だった。
「……っ!」
玲の「静寂(ゼロ)」の心が、その「圧」に、一瞬、揺らぐ。
(……ダメだ……! 強すぎる……! ねじ伏せようとしたら、また、あの『不協和音』に……!)
『――『力』に、溺れるな』
空摩の、厳しい声が、脳裏に蘇る。
(……そう、だ……。私は、『楽器』……)
(……ねじ伏せるんじゃ、ない。『御(ぎょ)する』んでも、ない)
(……私は、ただ、この『大いなる音』が、私を『通り抜ける』ための、『道』になる……!)
玲は、力を、抜いた。
「演奏者」になろうと、力むことを、やめた。
彼女が滝壺で得た、あの「静寂(ゼロ)」の心。
渉を失った「喪失」も、敵への「憎悪」も、全てを「受け入れた」、あの「無」の境地。
彼女は、その「無」の心を、この『大いなる音』の前に、ただ、差し出した。
「…………」
すると、あの、荒々しかった「エネルギー」の奔流が、その「音色」を変えた。
それは、もはや「圧」ではなく、玲の「静寂」の心と「共鳴」し、澄み切った、清らかな「旋律」となって、彼女のクオリアを、満たしていく。
「……あ……」
心地よい。
まるで、渉が、そばで、あの優しいメロディを口ずさんでくれているかのように、温かい。
玲は、その「旋律」を、自らの「静寂」の心で、受け止める。
そして、その「音」を、ゆっくりと、右腕へと導き、その手に握られた、一本の「ナイフ」へと、流し込んだ。
キィン……
ナイフが、鳴った。
それは、ステュクスの高周波ブレードのような、冷たい「殺意」の音ではない。
寺院の「鐘」が、夜明けを告げるかのような、清らかで、澄み切った「音」。
そして。
玲が、ゆっくりと目を開けると、彼女が手にしていた、ただの鋼(はがね)のナイフが、まばゆい「黄金色(こがねいろ)」の光を放っていた。
それは、ステュクス戦で、彼女が「不協和音」の果てに放った、青白い「憎悪」の光ではない。
聖華が纏(まと)う「慈愛」の光とも、尊が放つ「
この聖域を満たす『大いなる音』そのもの。
玲の「
「……これが……『動』の調律……」
空摩が、その光景を、満足げに、頷きながら見つめていた。
「……そうだ。それこそが、お前の父、宗也が、『破壊』ではなく『創造』のために、渉が、『支配』ではなく『共生』のために、求め続けた、『真の調律者』の『力』……」
空摩が、そう、告げた、その瞬間。
【『門』の崩壊】
ズズズズズズズズンッ!!
地下空洞全体が、まるで、巨大な獣に噛み砕かれたかのように、激しく、揺さぶられた。
寺院の天井から、無数の土砂が降り注ぎ、聖華が、悲鳴を上げて、その場に伏せる。
「……!」
玲は、黄金色に輝くナイフを構え、即座に、戦闘態勢へと移行した。
「――住職ッ!!」
障子を蹴破り、尊が、血相を変えて飛び込んできた。
その、常に冷静だったはずの武人の瞳が、今は、焦りと、怒りに、見開かれている。
「……結界が……! 結界の、一点が……!」
尊が、叫ぶ。
「……あの『烏(カラス)』め……! 旧時代の『掘削機(ボーリング・マシン)』を使いおった……!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
二度目、三度目の、凄まじい「衝撃音」。
カラスが、那智の村を守る「龍脈(魂石の岩盤)」そのものを、「技術(物理)」の力で、強引に、叩き割りに来ているのだ。
「……ついに、来たか」
空摩は、揺れる寺院の中で、ただ静かに、立ち上がった。
キィィィィン!!
結界の外で、甲高い金属音が響き渡る。
カラスの掘削機が、ついに「龍脈」を貫通し、その「穴」をこじ開けようとしている。
「――今だッ! 全隊、突入せよォッ!!」
結界の「穴」が開くのを、待ち構えていた、黒龍の、凄まじい「号令」が、地響きと共に、ここまで届いた。
「……聖華! 村の者たちを、本堂の『奥』へ!」
空摩が、命じる。
「……尊! 『門』へ向かえ! 一匹たりとも、この聖域の中心へ入れるな!」
「……はっ!」
尊が、長巻を抜き放ち、風のように飛び出していく。
空摩は、最後に、玲へと、向き直った。
その顔には、もはや、穏やかな「師」の顔ではなく、この聖域を守る「長」としての、厳しい「覚悟」が宿っていた。
「……玲よ」
「……はい」
「……修行は、終わりだ」
空摩は、玲の、黄金色に輝くナイフを見つめた。
「……お前が、滝壺で『受け入れた』、あの『音』どもが、今、お前を、喰らうために、ここに来る」
玲は、静かに、頷いた。
彼女の瞳は、もはや、あの「バトル・ラッシュ」の時のように、憎悪や恐怖に、揺らいではいない。
ただ、滝壺の水面(みなも)のように、静かで、澄み切っていた。
「……あなたの『力』、見せてみよ」
空摩が、告げる。
「……『演奏者』として、お前は、どんな『シンフォニー』を、奏でる?」
玲は、ナイフを構え直し、黒龍の部隊(夜行衆)が突入してくるであろう、「門」の方向を、真っ直ぐに、見据えた。
地獄の連戦(バトル・ラッシュ)の、本当の「延長戦(アンコール)」が、今、始まろうとしていた。
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