ほんのすこしにがくてとてもあまいひび

藤泉都理

ほんのすこしにがくてとてもあまいひび




 「オメガバース」。

 人類が男女の性別だけではなく、「α(アルファ)」「β(ベータ)」「Ω(オメガ)」という第二の性を持つ。


 「アルファ」(支配階級)(数が少ない)(知能、身体能力などが高くなりやすいエリート体質)(女性でも相手を妊娠させる事が可能)。

 「ベータ」(中間層)(数が一番多い)(オメガのフェロモンが効かない)。

 「オメガ」(下位層)(数が少ない)(発情期(本人の意思に関係なく定期的に訪れる)を原因(「オメガ」が放つフェロモンが誰彼構わず「アルファ」を誘惑している)として社会的に冷遇されている(男性でも妊娠可能)。


 「番(つがい)」。

 特定のアルファとオメガの間にのみ発生する特別な繋がりの事。

 うなじを噛まれて正式な番になったオメガは以後、番のアルファにしか分からないフェロモンを出す。


「巣作り」。

 アルファに対しての「発情期」を定期的に迎えるオメガが「アルファのにおいに包まれたい」と本能的にアルファの衣類をベッドなどのオメガにとって居心地が良い場所に持ち込み、くるまってアルファを待つ行為である。




「「オメガバース」の参考文献 : 「pixiv百科事典」より」

「「巣作り」の参考文献 : 「numan」「令和のネット用語集」「巣作り」(https://numan.tokyo/n/nf0432af6a542)」











「おや」


 平屋のおぼろの自室にて。

 眼鏡越しでも無言だと鋭い眼差しから冷たい印象を与えるも、口を開けば物腰の柔らかさが如実になる、肩にかかる長さの銀色の髪の毛、長身、オメガの三十代男性、朧はやおら目を瞬かせた。

 仕事先から帰ったら、同じく交番から帰って来たのだろう、先日、晴れて番関係になったアルファであり人狼でもある二十代男性、琥珀こはくが、茶道家の朧の仕事着でもあり普段着でもある彩り様々の何着もの着物の中に、しっぽだけを露わにして身を隠していたのである。

 恐らく人化を解いて狼の姿になっているのだろう。

 まるで巣作りみたいだと胸を疼かせながらも、知り合ってから初めて見る光景に僅かばかり不安になってしまった朧。ゆっくりゆっくりと琥珀の元へと近づいた。






 琥珀が小学五年生の頃、力を制御できずに暴走してしまった同じ学年の琥珀の友人である人狼、ひびきを助けようとして、全身に深い傷を負い死地を彷徨った。

 このまま死ぬのではないかという恐怖よりも、響を助けられなかった事をひどく悔やんだ琥珀。意識を何度も飛ばす中、響の事ばかりを考え続ける事、半年間。ようやく死地を乗り越えた琥珀を響が訪れたのである。

 警察官に助けられたのだと大粒の涙を流して、響は言ったのだ。


『ごめんな。ごめん。俺。俺が。おまえを。殺そうと。俺。俺。よか。ありがとう。助けようとしてくれてありが。とう。殺そうとして。ほんと。ごめ。おまえが。琥珀が。生きてて。よかった。けど。けど。目が。見えないって。もう一生。目が見えないって。俺。俺。どうやって琥珀に。俺の目をあげれば。見えるようになるなら。俺。おまえに』


 大粒の涙を流し続ける響に、琥珀はひどく胸を痛めた。

 琥珀自身が強かったのであれば、響にこのような辛苦の涙を流さずに済んだのである。

 強くなりたい。

 琥珀は決意した。

 両目が見えなくても、助けを求める人を助けられるようになりたい。

 もう決して、自分自身の弱さの所為で大粒の涙を生み出す事がないように。

 両目が見えないまま琥珀は退院したその日に、見舞いに来てくれた警察官の匂いを辿って見つけ出しては、お願いしますと頭を下げたのである。


一粒の涙も流させはしない警察官になりたい。

 警察官であり人狼でもある、当時二十代だった男性、流花るかは乱暴に琥珀の頭を撫でてのち、ついてこいと言ったのであった。

 それから盲目の琥珀は流花と共に過ごし、人狼の身体能力を目が見えない状態で十二分に発揮できるよう厳しい特訓を得て、今ではバディを組むまでになったのである。


 朧が琥珀の両親よりも先に紹介されたのは、琥珀の恋の相談にも乗ってくれた育ての親と言っても過言ではない流花であった。

 或る時期、熱が上がり過ぎて冷静さを失っていた琥珀に対し茶を習って気合を入れ直してこいと朧の元へと連れて来たのも流花であり、流花は図らずも琥珀と朧のキューピッドの役割を果たしていたのである。

 琥珀は流花に助けられてばかりで恩を返せる自信がないとよく不貞腐れているほどに、琥珀にとって流花はとても大切な存在であり、そして、流花に対して嫉妬の念を抱いてもおかしくない状態であるはずなのに、そんな気持ちがまったく芽生えないほど、朧は琥珀と流花が一緒に居るところを見るのがとても好きだった。






「琥珀。調子が悪いのですか?」

「………朧」

「はい。何ですか?」


 朧は腰を下ろしては座を正し、彩り豊かな何着もの朧の着物に包まれている琥珀の言葉を待った。


「………朧」

「はい」

「………その。すまない。着物を乱した。すべてクリーニングに出す。新しい着物を買う」

「大丈夫ですよ。着物は仕事場にも置いていますから。家に置いてある着物はいくらでも乱して構いません。私だってつい先日、あなたの大切なスーツや制服も。その。乱しましたし、汚してしまいました………本当に申し訳ありません」

「いや。俺も家にあるものならば、いくらでも………すまない」


 琥珀も朧も先日の番関係になった時の事を思い出しては、頬を朱に染め上げ、視線を右往左往させた。

 初めての性交は発情している状態で行われ、秘める事などできるはずもなく、顔から火が出るほどに余すところなくつまびらかにしてしまったのである。

 幸福でもあり、羞恥心も大いにあって然るべきであった。


「すまない。職務が終わり、気が抜けて、君を色濃く思い出したら。その………どうしても。抱きしめたくなってしまい。ただ、自制できそうになかったので、気を落ち着かせようと、家に帰り、お茶を点てて飲んだのだが、それでも、気を散らす事ができず。不甲斐なくも。この有様。今暫く、この状態をゆるしてほしい」

「………」


 骨を折ってもいいので加減なく抱きしめてほしい。

 そっと伸ばした手を、けれど引き戻しては、眼鏡のフレームの触れて熱を冷やした朧。座を崩しては、ころり。その場に寝転んで、自身の着物たちに包まれている琥珀をじっと見つめながら、言葉を紡いだ。


「ゆるしますが、その状態では余計に熱が高まり続けるのではないですか?」

「………」

「琥珀が出て来た時に備えて、お茶の用意をしていましょうか。私も琥珀も気を落ち着かせる為に」

「………」

「流石に、間をそう置かず連日は。無理です。今も、身体にも心にも、影響があります。ので」

「………」

「琥珀。何か言葉を下さい」

「………勘弁してくれ。一生、この中から出たくなるような事を言ってくれるな」

「………」


 頬に留まらず顔全体に、否、身体全体が朱に染め上がった朧。らしくなく甘えを口にしたと自覚しているので、つい琥珀に、そのままの状態で今暫く、お願いしますと言ってしまったのであった。




「お茶の準備もできそうにありません」











(2025.11.16)



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ほんのすこしにがくてとてもあまいひび 藤泉都理 @fujitori

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