トラベルプランナー

北宮世都

ある日

アラーム音が鳴る。いつもの、あの機械的な音。

俺は目を開ける前から、今日がどんな日になるか分かっている。起きて、顔を洗って、適当に朝食を流し込んで、電車に揺られて、会社で八時間を溶かして、帰って、テレビを点けて、眠る。明日も明後日も、来月も来年も、きっと同じだ。

そしていつも朝思う。たった一秒でも長く眠りたい。と

そう思いながら俺は毎朝、この音に起こされる。


仕事中、俺は考える。いや、考えるというより、イメージが勝手に浮かんでくる。会議室の蛍光灯を見ながら、どこか南の島のビーチを思い浮かべる。上司の話を聞きながら、古い石畳の街を歩いている自分を想像する。

意味やら理由には関心もなくなってゆく。ただ、鼓膜に付着したメロディーのように、イメージだけが頭の中をぐるぐると回る。

暮らしに膜を張るみたいに、漠然と夢を見てしまう。

例えば、風車のある町。どこかヨーロッパの、名前も知らない小さな村。そこに行けば何かが変わるような気がする。でも行かない。行けない。そもそも、本当に行きたいのかどうかも分からない。

ただ、夢を見ている。


昼休み、同僚と適当な話をする。誰かが言う。「今度の連休、どこか行く?」

「んー、どうしようかな」と俺は答える。

頭の中では、トラベルプランが浮かんでいる。温泉に浸かって、美味い料理を食べて、知らない街を歩いて。でも、そんな計画は寝て起きたらいつもの朝が来て、忘れてしまう。

そんなくだらない話をして笑う。

あの日、俺たちは侮蔑の目を向けた。夢を語らなくなった大人たちに。「つまらない人生だな」と思った。

でも今、俺は同じ顔をしている。行けもしない旅行の計画を立てて、笑っている。


その夜、俺は珍しく早く帰った。特に理由はない。ただ、なんとなく。

テレビを点けたまま、ソファに横になる。明かりも消さずに、そのまま目を閉じた。

疲れていた。消耗していた。命を使い切っているような気がした。


夢を見た。

いや、夢を見たような気がする。

俺は目を覚ました。時計を見ると、午前三時。部屋の明かりもテレビも点けたまま、疲れて眠ってしまっていたらしい。

何かを見た。確かに、何かを。

でも、内容は思い出せない。ただ、温かい感覚だけが残っている。楽しかった。そんな気がする。

そして、俺はふと思い出す。過去のことを。


大学生の頃だったか。友達と夜通し語り合った夜。どこかの居酒屋で、バカみたいな夢を語った。「いつか世界中を旅してやる」とか「自分の好きなことだけして生きていく」とか。

あの頃は、本気だった。いや、本気だったような気がする。

それとも、あれも今と同じように、ただ漠然と夢を見ていただけだったのか。

職場に笑った顔が好きだった女がいた。纏ってる雰囲気が好きで、漠然と恋をしていた。でも、共通の話題が無い事に気づく前に、彼女は辞めてしまった。

もし、あの時声をかけていたら。

もし、あの時違う会社を選んでいたら。

もし、あの時もっと勇気を出していたら。


過去に戻りたい。

その思いが、じわじわと胸を満たしていく。

タイムトラベル。過去への回帰。もう一度、あの分岐点に立ちたい。今度は違う選択をする。今度こそ、後悔しない人生を。

俺は目を閉じて、想像する。

過去の自分に会いに行く。「そっちじゃない」と肩を叩く。「こっちだ」と道を示す。

そうしたら、今の俺はもっと輝いているだろうか。


でも、ふと思う。

もし過去を変えたら、今の俺は消えるんじゃないか。

この部屋も、この仕事も、この倦怠も、全部なくなる。それは確かに望んだことだ。でも、それは同時に、今ここで考えている「俺」も消えるということだ。

過去の選択が、今の俺を作った。

あの時あの道を選んだから、今ここにいる。あの時声をかけなかったから、今一人でいる。あの時諦めたから、今諦め慣れている。

全部、繋がっている。

過去を変えれば、今の俺は存在しない。でも、今の俺が存在しなければ、過去を変えたいと思う俺も存在しない。

それは、矛盾だ。

俺は、俺であるしかない。


そう考えているうちに、また眠気が襲ってきた。

頭の中で、過去と現在と未来がぐるぐると回る。時間は直線じゃない。円環だ。過去が現在を作り、現在が未来を作り、未来が過去を意味づける。

俺はその輪の中で、ただ回っている。

でも、それでいいのかもしれない。

そう思いながら、俺は再び目を閉じた。


アラーム音が鳴る。

俺は目を覚ます。いつもの朝だ。

何か、夢を見た気がする。でも、内容は思い出せない。ただ、何かを考えていた気がする。大切なことを。

でも、それが何だったのか、もう分からない。

いつもなら、ここで嫌気がさす。また同じ一日が始まると、うんざりする。

でも、今朝は少し違う。

ほんの少しだけ、軽い。

何が変わったわけじゃない。今日も電車に乗って、会社に行って、八時間を溶かす。それは変わらない。

でも、なんとなく、悪くないかもしれない。

そう思えた。

理由は分からない。ただ、そう思えた。


俺は起き上がり、カーテンを開ける。

朝の光が、部屋に差し込む。

いつもと同じ朝。でも、どこか違う朝。

俺は、今日を生きる。

明日も、明後日も。

それが、俺の人生だから。

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