ひとりかくれんぼ

二ノ前はじめ@ninomaehajime

ひとりかくれんぼ

 始終しじゅう何かに怯えている子だった。

 仮にあたしをE、彼女をKとしよう。初めて出会ったのは小学校高学年の頃だ。教室の片隅で生気に欠け、幽霊にも見えた。

 Kは神社の生まれで、それなりに由緒正しい家の子らしい。

 彼女には噂があった。普通の人間には見えないものが見える。霊感、というのだろうか。いつも怯えた態度を取っているのは、それらを恐れているからだと。

 俄然がぜん、興味が出た。オカルトが好きだからだ。誰も解き明かしていない謎をあばく探偵になりたかった。霊感を持つというKは、その助手には打ってつけだろう。

 そうと決まれば、彼女と友達になる必要があった。初めから難題である。なぜならKは、人と関わり合いになるのを極端に避けていたからだ。発散されるいんの気が、あの子がまとう影を濃くしていた。

 普通に話しかけるだけでは、きっとKを勧誘するのは無理だろう。作戦を考える必要があった。こういうときこそ逆転の発想だ。彼女が目に見えないものを恐れるのなら、同級生があえて引き寄せることを好まないだろう。

 ひとりかくれんぼ、という仄暗い遊びがある。

 一種の降霊術と言われ、自分を呪うおまじないなのだという。やり方はこうだ。ぬいぐるみに米を詰め、自分の爪を入れて縫い合わせる。さらに仮の名前をつけ、用意した刃物で『【名前】、見つけた』と言って刺す。

 本来は家の中で行なう儀式だ。ぬいぐるみを浮かべる風呂桶を持って登校するわけにはいかない。多少工程を工夫しなければならなかった。

 校内のKを観察すると、基本的に真面目かつ鈍臭どんくさい。友達もおらず、帰り支度も他の児童より遅い。教室に誰もいない状況を作り、彼女を誘いこまなければならない。興味を引く物がいる。

 だからおりを見て、ひとりかくれんぼの主役と言えるぬいぐるみを机の上に置いて教室を出た。

 このぬいぐるみに良くない何かが宿っているのなら、必ずKの関心を引くはずだ。校内で禁じられた遊びを実行しようとする命知らずを止めようとするだろう。

 結局のところ、あたしは真剣に怪奇現象を信じていなかった。神秘に覆い隠されているだけで、いずれ解き明かされる運命にある自然現象だと疑わなかった。現実主義でありながら、心底では合理的な説明ができない事象を追い求めた。

 つまりは、霊感があるというKと友達になりたかったのだろう。

 密かに廊下から教室を覗いた。ランドセルに教科書やノートを入れながら、机の上に置かれた熊のぬいぐるみを見て硬直した。しばらくのあいだ動きを止める。その表情は夕影ゆうかげで見えない。急いで帰り支度を整えて、上履きを鳴らしながら教室を飛び出した。

 その足音が遠ざかるのを確かめて、クラスの皆が利用する階段とは反対側にいたあたしは、誰もいない教室へと入る。机と椅子の影が人数分、床を這っている。自分の机の上には、濃い陰影を帯びたぬいぐるみが曲線を描いていた。

 さて、ここからは賭けだ。スカートのポケットに忍ばせていたカッターナイフを取り出し、音を鳴らして刃を伸ばす。あえて悠然とした足取りで近寄り、横たわったぬいぐるみの前に立つ。その腹には米と爪が詰めこまれ、赤い糸で縫われている。

 逆手さかてに握ったカッターナイフを振りかざした。

「【エイミー】、見つけた」

 適当に自分の名前をもじったぬいぐるみの名を呼んで、四角張ったカッターナイフの刃を振り下ろそうとした。

「やめて」

 開け放たれた教室の入り口から制止の声が聞こえた。きっと思い直して引き返してきたのだろう、息を切らしたKが立っていた。

 ぬいぐるみの腹に刃が突き立てられる寸前で静止している。その姿勢のまま止まっているあたしへと足早に近づいて、普段の内気さからは想像できない乱暴さで手首を掴んだ。

「自分が何をしようとしてるかわかってるの」

 こちらよりも彼女は背が高かった。真剣な眼差しが見下ろす。

「それは正しいやり方じゃない。呼び出されたら、帰ってくれない」

 その強い語調に気圧けおされながらも、掴まれた手首の上でカッターナイフの刃をしまった。あたしは見上げて言う。

「なら、正しいやり方を教えて?」

 手を離したKは目をしばたたかせる。夕日に照らされた顔は前髪が長く、唇が言葉を探している。立ち尽くしたまま、困惑していた。

 作戦は成功した。



 電線に止まった数羽のからすが耳障りに鳴いている。

 勝手に下校を共にする形で、色々と質問をした。Kは噂を否定した。自分に霊感などない。ただクラスに馴染なじめないだけで、神社の子だからそう言われているのだろう。

「だったら、どうしてひとりかくれんぼを止めたの」

 彼女は前髪の下でわずかに顔をしかめた。夕暮れの家路で、ランドセルの脇に差された白いリコーダーが赤く照り返している。

外法げほうだから」

 Kは小声で告げる。まだ難しい言葉はわからない。首を傾げていると、彼女が噛み砕いた。

「正しく神さまを迎える方法じゃない。しかも作法を間違ってる。何が来るかわからない」

 Kは早口で言った。そのあいだも、電柱の影が斜めになった路地をしきりに振り返っていた。

 机の上に置いてあった熊のぬいぐるみは、彼女の手によって学校のごみ捨て場に捨てられた。重なったごみ袋で膨らんだネットの網目から、ボタンの瞳がこちらを恨めしげに見つめていた気がする。

 にしても、不思議な物言いである。霊感を否定しながら、得体の知れない存在をほのめかす。こちらと目を合わせないKに尋ねた。

「じゃあ、やっぱり神さまやお化けはいるの」

 我ながら、霊感があるというKに対して無神経な質問だったと思う。彼女は唇を結ぶ。顎を引いた顔の陰影が濃くなる。やがて答えた。

「いるべきじゃない」

 神社の子が発した、その一言は重々しかった。二の句を継げずにいると、Kは足を止めた。ぎこちなく後ろを振り返る。いぶかってその視線を辿たどると、路面に小さな影が佇んでいた。

 丸みを帯びた輪郭りんかくだった。妙に大きな頭が、頼りなく揺れている。

 あれは猫だろうか。呑気にそう考えていると、急に手を引っ張られた。思いのほか、強い力だった。驚いて彼女の名を叫ぶ。その表情は切迫せっぱくしていた。山に近くなり、黒い稜線りょうせんが夕空を切り取っている。黄昏たそがれだった。手をつなぐ二人の影が路面に伸びている。

 道路へと下りている石段を上った。光沢を帯びたさかきの葉が葉擦れの音を立てている。息を切らして駆け上がった。丹塗にぬりの鳥居が近づいている。額束がくづかに神社の名が記されていた。ここは、彼女が暮らしている家ではないか。

 鳥居の下をくぐった。瞬間、首筋が粟立あわだったのを覚えている。境界を踏み越えた気がした。境内けいだいの参道に屈みこむあたしの傍らで、Kは肩で息をしながら顔の前で不思議な形に指を組んだ。左目だけが覗いていた。

 後で知った話だ。狐の窓、というおまじないだという。

此処ここは此岸と彼岸のさかい

 神社の神主が唱える祝詞のりとに近いだろうか、年齢にそぐわないおごそかさを感じた。

の境界をつ」

 告げると同時に、指の隙間を閉じた。カメラのシャッターを切る仕草しぐさを思わせた。鳥居の引き伸ばされた四角形の中に小さな影が舞い上がり、不意に切断された。あたしの目にはそう映った。境内の石畳に何かが散らばり、断ち切られた物体が勢い良く落下した。

 上半身のない、ぬいぐるみに見えた。白い臓物ぞうもつの中で赤い糸が絡まり、無数の米粒が散らばっている。あれはまさか。疑問に思う前に、けたたましい鳴き声が重なった。夕空から鴉の群れが降ってきて、境内の米粒をついばみ始めた。

 舞い散る黒い羽根がその正体を覆い隠す。あたしが呆然としていると、Kの声がした。

「帰って」

 前髪の下に透けた眼差しは冷淡だった。

「二度とこんなことしないで」

 こちらが口を開く前に、Kはランドセルを揺らして小走りで走り去る。神社の境内に家があるのだろう。その背中を見送っていると、頭上で声がした。振り仰げば、鳥居の笠木かさぎに黒い鳥の影があった。丸い眼光でこちらを凝視している。

 鴉たちの喧騒の中で、心が浮き立つのを感じた。解き明かすべき謎が、ここにはある。

 ますますKに興味を覚えたのは言うまでもない。

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