第6話  更なる苦難 1

 皆の反対を押し切り仕事に励んで数年経ったある日、七十二歳の馬さんは癌の手術をした。大して儲かりもしない仕事であっても、ひたすら頑張ってきた馬さんに、何故に天はまた無慈悲なことをと気の毒で仕方なかった。馬さんの膀胱癌はよりⅢに近いステージⅡで、膀胱の膜のギリギリの深さまで腫瘍を取り除く手術が行われた。無事終了と安堵したものの、その日の夜に出血して出来た、両手の平に乗る程の大きさの血の塊を取り除く為、また翌日に開腹手術が行われた。


 二日続けての大きな手術は、元気溌剌、小粋で饒舌で、軽妙洒脱な話しっぷりの(わが夫を褒め過ぎか?申し訳ない)馬さんをすっかり豹変させてしまった。術後せん妄というものらしいその状態は、退院してからもずっと続いて、もう元の馬さんには戻ることがなかった。残念でたまらない私や子供達は、命があっただけでもめっけものと諦めるより仕方なかった。


 これではいくら仕事が生き甲斐の馬さんであっても、流石に仕事を続けるのは無理で、そうとなるとどうやって会社をたためばよいのか、と私は思案の毎日だった。生気のなくなった馬さんを気の毒に思いながらも、遠慮がちにそのことを相談しようとすると「もう少し待ってくれ、自分できちんと始末するから」と小さく返事が返ってくるばかり。会話らしい会話もなくなって寂しくてたまらない私は、手術前の元気な馬さんを探しては密かに涙ぐんでばかりいた。


 家に籠って殆ど喋ることなく、寝たり起きたりの日が三か月ほど過ぎると、あんなに静かだった馬さんが、最後の力を振り絞って会社終いを始めたのである。息子達の手助けも断って、責任は自分で取るとの宣言通り術後の身体に鞭打って、僅か十日余りで工場の機械の処分やら、一切合切を全部一人で成し終えた。

本当に見事としか言いようのない、これこそ命がけの仕事だと私達を驚かせた。腑抜けのような馬さんだったのがいつもの負けん気の強い、自称鉄の人・炎の馬さんになっていた。しかしその時だけで又、馬力のない迫力不足の馬さんに逆戻りとなった。


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