第4話  いつのまにかボンビーに 3

 不景気になって久しい現在の日本にあっては、世の中が好景気で活気づいていた時期があったと聞いても、信じられない人も沢山いることだろう。その当時は給料も多かったから消費活動は活発で、それまでは夢と憧れていた海外旅行にも出かけたり、高価なブランド品の買い物や贅沢な食事などが、それほど特別なものと思われない人も多くいた。

サラリーマンが大通りで万札をちらつかせてタクシーを拾い、お釣りを貰うことが野暮と気取ったり、また女性達の中には男性を食事を奢らせる「メッシー」とか、呼び出して車で送り迎えさせる「アッシー」等と称して扱い、又それを喜んで仕えていた男性がいたりもしたが、これらはほんの一例にしか過ぎない。


 今から思えばバカバカしくさえ思える、そんな贅沢が普通に出来ていたような、おかしな時期はいつまでも続く筈がない。バブル時代とはよく言ったもので、実体経済の価値をはるかに超えて、やたら高騰していた株価や不動産価値は大暴落し、バブルが崩壊すると長期の不況時代へと落ちていった。

特に金持ちに成れていた訳ではないが、ある程度のゆとりある暮らしの出来ていた馬さんちも、どう頑張ってみても不況の嵐には勝てず、馬さんの馬力は絶好調から絶不調へと沈んで行ったのだった。


 基礎を作った義父から引き継ぎ馬さんが大きく育てた事業も、創業五十年を前に幕を閉じることになった。バブル期には土地の価格は絶対に下がらないという神話があって、銀行は不動産を過剰な程に評価して融資してくれた。それで横浜の義父の家や馬さんが建てた家を担保に、多額の資金を借りられることに気をよくした馬さんは、更に機械設備をし第二工場も設けたりしたが、結果としてはそれらが仇となってしまった。

バブル崩壊後の世の中はその対策として、海外に進出する企業が増え、馬さんの親会社でも頼みとしていた担当部門が、タイに移ったのでそれが大きな痛手となった。


 親会社についてタイに行く手もあったが、なにしろ自称素人落語家である馬さんのこと、江戸から離れがたく不況の嵐の吹きすさぶ日本で、四苦八苦しながらもう一度会社を建て直そうと頑張ることにした。

このようにバブル崩壊や、炎と燃えた馬さんのリベンジ精神のお陰で、いつの間にか我が家がボンビーになり、そして苦しく辛いボンビー生活の始まりとなったのである。

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