第3話  いつのまにかボンビーに 2

 古いアルバムには戦後の馬さんの住む東京の下町や、馬さん家族の様子が分かる写真が沢山ある。そのうちの一枚の家族写真は、義父が一人で始めた小さな会社が軌道に乗って、余裕が持てるようになって来た頃のものだろうか。義母は狐の、妹はウサギの襟巻をしてぬくぬくと、そして坊ちゃん刈りの頭の馬さんと弟が、みな揃って幸せそうに笑っている。(当時は丸坊主頭の男の子が多かったし、毛皮のコートや襟巻姿などは、ちょっぴり暮らしにゆとりを感じさせるものだったらしい)


 義父の両親を見送ると、弟や妹達は縁づいて過密な巣?から去って行った。少しずつ成長していった会社には義父の努力の甲斐あって、得意先の一つにT通信という大きな会社が加わるまでになった。会社の成長に伴うように住まいも都営住宅から借家の一軒家へ、更に何年か後には、横浜の郊外に出来た新興住宅街の建売を購入するという風に変化していった。


 この横浜の住宅購入を機に、結婚して二年目の馬さん夫婦と子供も同居するようになり、真新しい高台の新居では長女と翌年生まれた長男が、義父母や義妹達に可愛がられ、私も苦労なくのんびりした暮らしを送ることが出来た。会社の得意先が増え仕事量も多くなると、横浜からの通勤時間が負担となり、馬さん親子達は東京の会社近くに、小さな戸建てを買って移り住むことにした。


 四十代になると父親から会社経営を引き継いだ馬さんは、零細企業でありながらF電線という大企業を新たに得意先に得て、それが誇らしくより一層仕事に励んだ。働き者で家族思いの馬さんだったので、過労で片耳の聴力を失うほど盆も正月もなく、朝早くから夜遅くまで懸命に働いた。それは日本の経済がまだ元気だった頃のことで、働けば働くだけその成果が得られて楽しかったと、馬さんは仕事に燃えた当時を懐かしく振り返る。

そしてその小さな戸建てに十年ほど住むと、勢いづいた馬さんは次にはその家からすぐ近くに土地を借り、若い馬さんには分不相応かと思われるような家を建てた。


 

 と、ここまでざっと馬さんの幼い頃からの、住宅事情の歴史?を綴ってみた。会社も同じようにみてみると、最初は義父が友人の工場の片隅の間借りから始めたものが、自前の工場が持てるようになり、次はもう一回り広い工場に当時の最新式の機械を入れたりと、少しづつ階段を上るように変化していっている。それは日本の経済が発展していった時と同じで、会社もその景気の波にうまく乗れたお陰と言えるかも知れない。


 

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