誰かの場合
オレンジ色のカーテンの隙間から覗く空はまだ暗い。けれど時計を見上げるともうすぐアラームの鳴る時刻だ。
また今日が始まる。けれどもそれはよくある一日なんかじゃなくて。今ここで可愛らしい寝顔を晒しているカナタの誕生日なのだ。
どうだ。見てくれよ、カナタのこの可愛さを!
瞑られているからこそ尚いっそうよく分かるこの長い睫毛。
それに透き通るような白い肌に愛嬌のある顔立ち。最近はよく食べてるから肌の調子も良いし、ふっくらとしてきて唇の色は艶やかだ(それでもまだまだ線が細いと思うけどね。もっとジャンジャン食べるといい)。
でも、本当に素敵なのはその表情なんだよ。起きてる時のカナタは本当によくコロコロと表情を変えて楽しそうなんだ。生を満喫してるって感じがしてとても眩しくて、カナタの魅力を何倍にも引き立たせるんだ。
それに、枕の上に広がる少し癖っ毛なボブの黒髪。最近は親のシャンプーじゃなくてお姉さんや妹ちゃんのシャンプーを使わせて貰ってるからふわふわだ。きっといい匂いもするに違いない。
今は少し口が半開きになってるけど、微かな寝息が聞こえてる。
オレンジ色の掛け布団がゆっくりと、上下している。規則、正しく。
カナタは寝相がいいから、入眠時からあまり光景は変わらない。両腕は布団の中で胸の前で組まれているし、足元が捲れたりもしていなかった。けれど、最近寒くなったからと出して貰った毛布は寝心地が良いらしく、寝顔はいつもより緩んでいる。
いつまでもこの可愛らしい寝顔に見とれていたかったが、平穏で優しい時間というものは続かないものでついに枕元でスマホが鳴り出した。
カナタの目がパチリと開く。そしてスクッと上半身を起こし、ンーッと伸びをした。
それから一回だけ欠伸をするとベットから出てくる。カーテンを開いて窓を開けると、暗いと思っていた空は少しだけ白み始めていた。
カナタは目を瞑り、胸に手を当て、深く息を吸って、そして吐きだした。吐息が少し白い。
ふたたびカナタは目を開けると窓を閉めてレースのカーテンだけ掛ける。
部屋を出るとカナタは一階のリビングに向かった。
「おはよう」という彼女の声が聞こえ、
「お誕生日おめでとう」という彼女の母親の声が聞こえた。
カナタの今日という特別な一日の始まりである。
ところでさっきから喋ってるお前誰やねんと思ってる事だろう。
まあ、仮にドナタと名乗ろうか。正直名前なんてどうでもいい。なぜか。俺が呼ばれる事はないからだ。一方的に俺がベラベラ喋るだけだ。だから何だっていいんだ。
おっと、それでだからお前誰やねんって話だったっけ。
俺は、カナタに憑いている幽霊だよ。
もうカレコレ一年憑いている。ちなみに今日は俺の命日でもあるよ。
憑いてる理由? ……憑けた死神様が言うには『罰』であり『褒美』であり『試練』であるそうだ。「ま、頑張れよ。アッハハハハ」ってメチャメチャ背中バシバシ叩かれたっけか。
そういや誰かに触ったのアレが最後だっけ、アハハハ。……さて、朝ご飯食べてるカナタでも見に行くか。
母親に中学校まで送ってもらうと、特筆する事は何一つなく自分の席にカナタは座った。
「おはよーカナタ」
「あ、ユクエ。おはよー」
「そしてお誕生日おめでとぉ! ほい、プレゼント」
教室に入ってくるなり、カナタの友達のユクエは真っすぐに駆け寄るとプレゼントの紙袋を手渡した。ちなみに妹ちゃんが汚したマンガの持ち主でもある。
プレゼントを受け取ったカナタは朝から感涙一歩手前だった。目の端に涙が溜まり始めてる。
ユクエはハンカチを取り出すと、カナタの目に当てる。
「ホラホラ、泣かない泣かない。泣くまでのハードル低すぎるって」
そういうユクエも貰い泣きしたのか、少し鼻を啜った。
「だってさ。……うん、プレゼントありがとね。また同い年になれたよ」
「そうだねぇ。ようこそ、14歳!」
「うん」
ちな、ユクエは4月生まれである。
「どう? お祝いがてら放課後一緒に遊びにいっちゃう?」
カナタはそれに困ったような笑顔を浮かべて首を横に振った。
「ごめんね。今日は家族が待ってるから」
「まあ、だよねぇ。うん、分かってた。でもまた今度遊び行こうね」
そう言ってユクエは席に戻っていった。それをカナタは名残惜しそうに見送ると授業の準備を始めた。
カナタは授業を熱心に聞いていた。俺だったらすぐ寝ちゃってるね。この辺カナタは真面目だと思う。要領悪くてまだまだ成績悪いけど、そのうち良くなるのは間違いない。一生懸命な授業態度は先生方からも好評だしね、本人気づいてないけど。やっぱさ、応援したくなっちゃうのってそういうヤツじゃん。手伝いたくなるっていうか。だから、まあ。頑張れよ。俺は応援しか出来んけど。
でも体育は見学。校庭の木陰で体育座りをしていたカナタはグランドを延々と走らされてるクラスメイトを羨ましそうに見ていた。
お昼はユクエと一緒に弁当を食べていた。今日も残さず食べれて偉い偉い。
今は食後のお薬タイムである。毎回思うが飲み込むための水だけでお腹がタプタプしそうな量だ。ユクエも同じように思ってたらしい。
「大変だね」
「これでも減ったから」
「いつか無くなるものなの?」
「ん-、どうかな。たぶん、生きてる間は飲み続けるんじゃないかな?」
「大変だね」
「でも楽になったんだよ?」
そう言ってまた幾つかの錠剤を口に入れると、水筒の温かい麦茶で流し込む。晒された白い首がコクコクと鳴った。美味しくはないらしいが慣れたもんだった。
「一緒に帰ろー」
「うん」
放課後、ユクエと二人、教室を出て玄関の下駄箱に向かう。
「あ、あのさ!」
渡り廊下を通る途中、男子生徒に声を掛けられた。カナタとユクエは足を止める。
「今日ってカナタさん、誕生日、だったよね?」
「う、うん」
「その……おめでとう! それだけ! じゃあ、また明日!」
そう一方的に喋ると、赤い耳の男子生徒は走り去ってしまった。
ユクエはカナタを肘で突く。ニタニタと笑いながら。
「どーすんのー? きっとアイツ、カナタに気があるよー?」
「そんなことないよ」
「またまたー? 最近仲いいじゃん。満更でもないんじゃない?」
「んー」
とカナタは返事を濁したけど、俺は知ってるんだ。アイツと話してるとき、カナタはドキドキしてたって。
うん。
分かってはいるんだ。俺は何も出来ないって。
でもそんな君を見てると胸が張り裂けそうになるんだ。
君のドキドキが俺には負担で、悲鳴をあげたくなる。
「ねえ、ユクエ。帰りに少し寄り道してイイかな? 欲しいモノがあるんだ」
「もちろん。なんだったらプレゼントしよっか?」
「ううん。これは自分で買いたいんだ」
「何買うの?」
「キャンドル」
死神様曰く。
これは『褒美』らしい。恋も知らずに死んだ俺に、恋を知る機会をくれた。
これは『罰』らしい。何であれ、親より先に死んだ罰。好きな人を前にして、俺は何をすることも許されない。
これは『試練』らしい。カナタの幸せを祝福できるようになれば、俺の精神は、魂は成長できる。そしたら、イイトコに行けるらしい。
でも……俺は……。
カナタの事が大好きだ。そしてカナタの事が大切だ。
だからカナタには幸せになって貰いたいと思ってる。
なのにカナタの幸せのために何も出来ないのが悔しい。
誰かがカナタを幸せにする様子をこれから見せられるのかと思うと辛い。
カナタの笑顔がとっても大好きなハズなのに。
そのとびっきりの笑顔が俺じゃない誰かに向けられるのかと思うと気が狂いそうだ。
一度だって君の笑顔が俺に向けられた事なんてないっていうのに。
思えば始まる前から終わってた恋だった。君に会った時から俺は死んでた。でも死ななかったら君に会えなかった。
「たとえ君と結ばれなかったとしても。それでも大切な相手なら、その幸せを、祈れるようになりな。その幸せを、喜べるようになりな」と死神様は言った。
じゃなきゃ悪霊と化したお前はカナタを不幸にした末、祓われるだろうとも。
頭では分かっている。なのに。未練たらしいったら、なかった。
「ハッピバースデー トゥーユー♪」
照明の落とされた室内で、ローソクの灯りが揺れている。
ケーキの上で揺れる灯が、父親を、母親を、お姉さんを、妹さんを、そしてカナタを照らしていた。
「……ディア、カナタ♪ ハッピバースデー トゥーユー♪」
家族が歌い終わると、照れくさそうにしながらフゥーとケーキのローソクに息を吹きかけた。1、2、3、4と順調に13本が消えていき、やがて最後の一本が残る。
「ほら、おねえちゃん! 最後の一本、やっちゃって!」
「これは待って」
カナタはローソクを残したまま席を立つと照明を点けた。そしてポッケからアロマキャンドルを取り出す。手の平に収まるぐらいの、円柱状のガラスの容器に入ったキャンドルだ。中にマンゴーみたいな色の蝋が詰まっている。
「このローソクの火、貰ってもいい? もう少しだけ残してたいんだ」
「いいけど、気をつけるんだよ」
父親から許可が出たのでカナタはローソクの火をキャンドルに丁寧に移した。ガラスの容器の中心でオレンジ色の火が揺れる。きっと今頃辺りに良い匂いが漂ってる事だろう。カナタは鼻からたっぷり空気を吸い込むと、握っていた最後のローソクもフゥーと吹き消した。
それから家族みんなでケーキを切り分けて、誕生日のごちそうを食べた。
カナタは量が多かったので少しだけ苦しそうだったけど、それでも嬉しそうに食べていた。
父親が、今月どこか遠出しようかと話した。
母親が、年末年始はどちらの実家で過ごそうかと聞いていた。
妹さんが、来年はおんなじ中学校で楽しみと言い。
お姉さんが、同じ高校を受験するように説いた。
この家族団らんの中に、もちろん俺の居場所はなかった。ここだけじゃない、学校にだって俺の居場所はない。そもそもカナタの中に俺の居場所はなかった。俺の事を、認識すら出来てないんだから。
分かってた、事だけど。ダメだなぁ。自分の事ばっかりだ。情けなくなる。頭では分かってるのだけど。カナタの喜ぶ顔は、俺だって見たい筈なんだけど。
チクリと胸が痛んだ。
楽しいひと時はあっという間に過ぎ、パジャマ姿のカナタは自室に戻ってきた。貰ったプレゼントと、火の灯ったキャンドルを持って。キャンドルを、勉強机の上に置く。コトリと、鳴った。
なのになんでだろう? さっきまで、あんなに楽しそうだったのに。今のカナタは浮かない表情だった。
俺には分からないけど、どうやら少し寒かったらしく背もたれに掛けてあったカーディガンを羽織る。そして部屋の照明を消した。灯りはキャンドルの火だけ。カナタの影だけが部屋の壁の上で揺らめいた。
そして椅子に座る。
肘をつくと、潤んだ目でぼんやりとキャンドルの灯を見ている。時折、突いて揺らす。
「……はっぴばーすでー、とぅーゆー」
突然カナタが歌い出した。今にも途切れそうなか細い声で。
はっぴばーすでー、とぅーゆー
はっぴばーすでー、とぅーゆー
はっぴばーすでー、でぃあ……
カナタは寂しそうな顔で、右手を胸に当てた。
「……でぃあ、誰かさん。
はっぴ、ばーすでー、とぅ、ゆー。
……はぁ」
歌い切ると、溜息を一つ。あんなに皆に誕生日を祝福して貰って、一体何が不満なんだろう? ずっと一緒にいるハズなのに俺には心当たりがなかった。
そんなカナタは身を起こすと、パジャマのボタンを上から、ひとつ、ふたつと外しだす。
露わになる、白くてまだ薄い胸。チェック柄の明るいオレンジ色のブラ。
そして。中心を、上下に真っすぐ伸びる傷跡。
その傷をカナタは愛おしそうに丁寧に指先でなぞる。
「みんなに祝われてる間、君の事を考えたんだ。そしたら、胸が痛かったよ」
「私が死ぬほど苦しい時に、一番欲しかったモノをくれた人。私の一生のお願いを叶えてくれた誰かさんは、どんな人だったのかな?」
カナタの独り言は続く。カナタの瞳の中でキャンドルの灯は揺れる。カナタの鼓動は徐々にスピードを上げていく。
「何となくだけど、君は同い年ぐらいの男の子だったんじゃないかなって。だって元の心臓より元気いいんだもん」
「きっと生前は、元気いっぱいだったんだろうね。友達いっぱいでさ。私の体だと、きっと物足りないかも」
「……君のこと、考えてるとドキドキするんだ。おかしいよね、会ってもないのに。顔も、名前も知らないのに」
「最近は学校で男の子と話してる時、同じ学校だったらこんな感じだったのかなって考えちゃうんだ。良くないよね。知られたら、幻滅されちゃうかな」
「でも、会いたかったな。話したかったな。知りたかったな。君のこと」
「見て欲しかったな。聞いて欲しかったな。知って欲しかったな。私のこと」
「ほんとはムリだったって頭で分かってるんだけど。
心臓を貰っちゃったから、君はもういないし。
心臓を貰わなかったら、君を知らなかったし。私はいなかったし」
「だから私の初めての恋は、始まる前に終わってたんだって。だから終わらせなきゃ、って。分かってはいるんだけど。でも」
ローソクの火に照らされて、涙の筋が橙に煌めいている。
「まだ、忘れたくないよ。まだ熱が残ってるんだ」
カナタは胸の奥から掠れた声を絞り出すと、胸の前でギュッと強く手を握りしめた。
どうも。ドナタ改め、ダレカです。
カナタは今、泣き疲れたのか机に臥せって寝てしまってる。
キャンドルは火が付いたまま。火事になったら大変だ。
それに、このままではカナタが風邪をひいてしまう。健常者なら大したことないかもしれないが、カナタの場合は命に関わる可能性がある。
どうにかしたいが、俺には手も足も出なかった。胸を痛める以外、何もできない。もどかしい。
「よお、誰かさん。調子はどうだい?」
それは突然壁からぬっと現れた。けれどもキャンドルの灯から伸びる影はカナタの一つだけ。もちろん、普通とはかけ離れた存在だ。
「死神様。一年ぶりのご挨拶がそれですか。調子? いえ、全然です。それよりカナタが風邪をひきそうなんです。どうにかできませんか?」
「できんね。オレは生き死に以外、何もできん。それよりすっかりお前さん、予想通りカナタに夢中なようだな。結構結構」
その長い黒髪をかき上げると、このシンプルな黒いワンピース姿の死神はアハハハと笑った。カナタの顔でその笑い方と話し方はとても止めて欲しかったが、でも、そういうものだそうでフグで死んだらフグの顔になるそうだ。
そうして愉快そうに笑っていた死神様だが突然笑うのを止めると、慈しむような眼差しをカナタに向ける。
「もっとも。そっちのお嬢ちゃんの気持ちまでは読めなかったがな。これだから俗世は面白い」
「試練を果たせてないのに、叱らないんですね」
「ん? いや、そんなにすぐ乗り越えられるとは思ってないさ。先は長いんだ。焦らず拗ねず、少しずつ成長していけばいい。
ましてやお嬢ちゃんの気持ちも知ってしまった今だしな。オレもそこまで鬼じゃないよ」
死神だからな、ハハハとまたもや楽しそうに笑った。
「半分こ」
「あ?」
「あげるでも、もらうでもなく。半分こ。できたら、一緒に居られたんでしょうか」
「できんな。夢を見るな。命は一人一つだ。
奪う事はあっても、本来、あげる事ももらう事もできないんだよ。
それなのにお前ら人間ってやつは。生へ貪欲過ぎて呆れるね。
去年、二人死ぬはずだったところを一人生かしたんだ。欲張るな。感謝しろ」
「……そうですね。ありがとうございます。カナタを、死なせないでくれて」
「うむ。苦しゅうない」
死神様は、ハハハハと機嫌よく笑った。
「それでは、そろそろ行くか。あ。来た用事を忘れる所だった」
死神様の手元に、突然火のついた赤い蝋燭が現れた。その蝋燭を、俺に垂らす。
「あっつぅぅぅ!?何するんですか!?」
「誕生日プレゼントだ。お嬢ちゃんを起こしてやれ。急げよ、すぐ戻る」
そう言い残すと、死神様はズブズブと床に沈んでいく。残されたのは、キャンドルの灯に揺れる、二つの人影……。
「!!」
俺は急いでカナタの肩を揺すった。椅子が、カタカタと音を立てて揺れた。
「カナタ! 起きろ!」
「ん……」
カナタは目を開くと、俺と目が合った。
「え」
驚いたカナタは目を擦ってもう一度目を開けた。
「……あれ?」
キョロキョロと周囲を見渡す。見ると、もう壁には一人分の影しか映っていなかった。
「見間……違い? いや、でも……うん」
色々と混乱していたようだけども、やがて納得したように頷いた。
胸にそっと手を当てる。
「そうだよね。私たち、いつでも一緒だもんね」
カナタは、もう見えないであろう俺に向けて、今まで見た事もないくらい一番とびっきりに可愛い笑顔を俺に見せてくれた。
きっとこの時、俺もカナタも、14年間で一番早く、心臓が脈打っていた。お互いの鼓動しか聞こえなかった。結構長く生きてきた気になってたけど、心臓がこんなに動けるだなんて、知らなかった。
焦らず拗ねず、少しずつ成長していけばいい、か。
そうだよな。文字通り、一心同体なんだから。
病める時も健やかなる時も。死が二人を別つまで。
まだまだきっと、先は長い。
ローソクを君に! dede @dede2
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