【運命のライブ編】第5話

深夜の首都高速道路を、数台の黒いワンボックスカーが、滑るように駆け抜けていく。


ライブを終えたFLORIAのメンバーと、彼女たちに付き添うマネージャー陣を乗せた、帰路の車列だ。


いつも通りであれば、車内は物理的な疲労と、心地よい静寂に包まれているはずだった。


しかし、その日の空気は、明らかに違っていた。


車に向かう途中まではなんとか抑えていたメンバーたちの興奮が、プライベートな空間である車内に戻った瞬間、再び再燃したのだ。


誰もが口を閉ざしているのに、車内には異様な熱気が渦巻いている。


それは、数時間前に彼女たちが体験した、あまりにも強烈な邂逅の余熱だった。


メンバーたちは、それぞれの座席で、スマートフォンの画面から放たれる青白い光に顔を照らされている。


その瞳は、先ほどまでの虚ろなものとは違い、飢えた獣のように、貪欲に情報を求めていた。


彼女たちが検索している名前は、ただ一つ。


「K」


その熱病は、まずサラから始まった。


ファッションやブランドに詳しい彼女が真っ先に調べたのは、経済的な側面だった。


彼女は、隣に座るマネージャーの美咲の肩を、興奮を抑えきれない様子で何度も叩いた。


「美咲さん!見てください、これ!KFGの時価総額…ゼロが多すぎて読めないんですけど!これ、円ですよね!?まさかドルですか!?」


彼女が見ていたのは、とある経済ニュースサイトの記事だった。


Kが率いる金融グループの、天文学的な企業価値。


それは、サラがこれまで生きてきた世界の常識を、いとも簡単に破壊する数字だった。


「待って、この記事だと、Kさんの個人資産って、韓国のGDP…?の2倍以上あるって何それ!?個人が国を超えてるってこと!?意味分かんない!」


サラが笑いながら大声で話す。


サラにとってはもはやエンターテイメントに近い。


彼女にとって、Kの資産は、現実の数字ではなく、ゲームのステータスのように映っていた。


(か、韓国の2倍…!?)


機械に疎いソユンは、まだKの新たな情報にありつけていなかったが、サラが興奮して話している内容に耳を立てて、一人ドキドキと心臓の音を大きくしていた。



その隣で、ミジュは全く違う種類の情報に夢中になっていた。


ミジュはKの「顔」が気になって仕方ない。


彼女が行きついたのは、Kの熱狂的な女性ファンが運営する、非公式のファンサイトだった。


そこには過去様々なメディアに登場したKの写真が、高画質で大量にアップロードされている。


「見て!このKさん、やばくないですか!?Tシャツ着てるだけなのに、なんでこんなにかっこいいの!?」


ミジュは、まるでアイドルの推しを見つけたファンのように、無邪気にはしゃいでいる。


「コメント欄もすごいんですよ!『付き合いたい!』とか『K様に抱かれたい』とか――」

「ミジュ?」


隣のカエデが呆れたように、しかしどこか楽しそうに彼女をたしなめるように止める。



そのカエデは、同じ日本人ということもあり、「経歴」や「評判」といった内面に迫るキーワードで検索をしていた。


彼女も最初に見つけたのは、サラやミジュが見ているような、資産やゴシップに関する華やかな記事ばかり。


しかし、彼女が求めているのはそこではなかった。


(この人は、どういう人なんだろう…?)


検索ページの少し奥に歩みを進めると、彼女は海外の金融専門誌が特集した少しディープな分析記事の翻訳版に行き着いた。


「え……なにこれ…」


そこに書かれていたのは、称賛や憧れではない、畏怖と恐怖に満ちたKの実像だった。


「…Kさんは、20代でKFGを継いでから、たった数年で資産規模を数百倍にしたって…。しかも、その手法の多くは敵対的買収。抵抗する企業を、徹底的に叩き潰す…」


カエデが、信じられないといった様子で呟く。


「冷徹な『資本主義の王』…か。今日私たちに見せてくれた顔とは、全然違いますね…」



そしてリーダーのソユンは、他のメンバーから1周遅れで辿り着いたKの情報を見つめていたが、やがてスマートフォンを膝の上に置いたまま、じっと窓の外を流れる光の帯を見つめ始めた。


彼女の頭の中では、今日出会ったKの全てがスローモーションで再生されている。


しかし、心配症な彼女は、ただ一つのことが気にかかっていた。


「美咲さん…」


不意にソユンが美咲に、か細い声で話しかけた。


「私、大丈夫でしたかね…?挨拶、ちゃんと言えてましたか…?」


「え、ええもちろん。立派でしたよ、ソユンさん」


美咲は、精一杯の笑顔で頷く。


しかし、ソユンの不安は消えない。


「Kさん、『可愛くて、カッコよかった』って言ってくれましたけど…あれって、お世辞とかじゃ、ないですよね…?本当に、そう思ってくれたのかな…?」


「…思ってくれたと、思いますよ。きっと」


「握手した時、Kさんの手、すごく大きくて…温かかった…。私の手、冷たくなかったかな…」


美咲は、もはや、当たり障りのない相槌を打つことしかできない。


メンバーたちが興奮して読み上げるKの情報は、どれも現実離れしていて、美咲の常識では処理できない。


彼女たちマネージャー陣の大人も、この熱病に浮かされた少女たちに、何一つ確かな答えを与えることなどできなかった。


彼女たちもまた、Kという男について、何も知らないのだから。


ただ、とてつもなく危険で、抗いがたい魅力を持った男であるということだけはわかった。


車は進み続ける。


Kという名の深く甘い熱病に、誰もが浮かされたまま。


この夜、彼女たちの間で交わされた会話は、これから始まる壮大な物語の、ほんの序章に過ぎなかった。



※※※



その頃、FLORIAのメンバーたちが乗るワンボックスカーのはるか前方。


Kを乗せた巨大なリムジンが、夜の闇を切り裂いて都心の喧騒から遠ざかり空港へ向かっている。


後部座席で、Kは窓の外を流れる無数の光を、何の感情も映さない瞳で眺めていた。


彼の隣では、第一秘書のアンナがタブレット端末に視線を落とし、次々と届く世界市場を動かすための承認を淡々と処理している。


静寂を破ったのは、Kだった。


「……アンナ」


「はい」


「グループ内に…なんか、でかいファッションブランドがあったな」


「昨年買収された『アルカディア』でしょうか?」


「そう、それだ。…それの、専属モデルにしよう、彼女たちを」


察しろという空気を纏った独り言のようでもあり、決定事項の指示のようでもあった。


アンナはまだタブレットから顔を上げない。


彼女の指は、今も猛烈なスピードで別の巨額投資案件の承認処理を続けている。


「CMもすぐに撮ろう。予算はいくらでも出してやれ。あとは……何が良いか」


まるで子供が、手に入れたばかりの玩具をどうやって遊ぼうか、心躍らせるように呟く。


ライブで見た、あの「輝き」。


あの本物の輝きには、世界一の舞台がふさわしい。


Kの思考は、すでにその一点に向かっていた。



アンナは、もちろん知っていた。


『アルカディア』は、KFGが保有する数多くのファッションブランドの中でも、特に格式と伝統を重んじる、プレステージ・ブランドだ。


決して若いK-POPアイドル向けのブランドではない。


そして、ブランドの顔として、現在世界的なスーパーモデルである『クラウディア・シュナイダー』と、複数年の専属契約を結んでいる。


契約期間は、まだ2年以上残っていたはずだ。


しかし、アンナはその事実を口にしなかった。


意味がないからだ。


この男の前では、契約や違約金、ブランドイメージといった、凡庸な世界のルールは、何の意味も持たない。


彼が「やる」と言えば、それは世界の法則が書き換わるのと同じこと。


「かしこまりました」


アンナは短く、しかし完璧な肯定の言葉を返す。


そして、彼女の指は、即座にメッセージを打ち込み始めた。


宛先は、KFGアメリカ本部ニューヨーク本社『アルカディア』ブランド戦略本部長。


件名は、「最重要・確定事項」。


本文には、ただ一文。

「『アルカディア』現行モデルとの契約を即時解除し、『FLORIA』を新専属モデルとして起用。予算不問でCM制作準備を開始。」


メッセージを送り終えたアンナは、ようやく隣の男の横顔を盗み見た。


窓の外の光が、その完璧な造形を照らし出している。


(FLORIAのみなさんが、すぐ会長に心酔していたのは分かりましたが…)


アンナは、静かに結論を下す。


(会長もまた、彼女たちの熱に、随分浮かされているようですね)


世界の王が、初めて見せた恋のような熱。


それが、これからどれほどの混沌を世界にもたらすのか。


アンナは、その計り知れない未来に、ほんの少しだけ、武者震いのようなものを感じていた。



――地球の裏側、ニューヨーク。


KFG本社ビルの一室で、「王の勅命」は、静寂を破る無機質な通知音として鳴り響いた。


【運命のライブ編-完】

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2026年1月2日 18:00

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