【運命のライブ編】第4話
Kが去り、重厚なドアが静かに閉ざされた瞬間、控室を支配していた魔法が解けた。
「……………」
数秒の沈黙。まるで、嵐の前の静けさだった。
「「きゃあああああっ!」」
それは、誰か一人の声ではなかった。
カエデも、ソユンも、サラも、ミジュも、4人の黄色い叫び声が重なり、一つの巨大な音の塊となって、控室の壁を震わせた。
さっきまでの緊張などなかったかのように、彼女たちは、まるで修学旅行の夜に好きな男子の話で盛り上がる女子高生そのものだった。
「待って待って!見た!?ちゃんと見た!?」
「かっこよすぎ、何あれ!CG!?」
「オーラが…オーラがやばかった!近づいただけで鳥肌立ったんだけど!」
「ミジュ、あんたすごい!よく最初に話しかけたわね!」
サラがミジュの肩をバンバン叩き、ミジュは
「だって!あんなの目の前にしたら、思ったこと言っちゃいますよ!無理!」
と満面の笑みでそれを受け止める。
カエデは真っ赤な顔を手で覆いながらも、指の隙間から「はぁ…声も低くて素敵だった…」と夢見るような声で呟いている。
ソユンは、リーダーとしての威厳も忘れ、ソファに崩れ落ちていた。
「どうしよう…私、緊張しすぎて全然喋れなかった…。でも、『可愛い』って言ってくれた…『応援する』って…。」
彼女たちの頭の中は、Kのことで完全に飽和していた。
その姿、声、眼差し、香り、握手した手の感触。
一つ一つの記憶を反芻し、共有し、興奮を増幅させていく。
「皆さん!そろそろ、ハイタッチ会の時間です!ファンの方がお待ちですよ!」
チーフマネージャーが、必死に現実へと引き戻そうとする。
しかし、その声は、夢の世界にいる彼女たちにはまだ届かない。
「ねえ、最後の『また会えると良いな』って、またライブ来てくれるってこと?」
「どうしよう、次会ったら何話せばいい!?」
マネージャーの美咲も、困り果てた顔で時計を見る。
(この子たち、完全に気持ちが抜けてる……)
一般人である美咲にとっても、先ほどの出来事は現実感がなかった。
しかし、彼女には目の前の現実的な仕事がある。
「皆さん、本当に時間が押してます!お願いします、準備をして――」
「美咲さん!」
サラが、キラキラした目で美咲に詰め寄った。
「Kさんって、いつもあんな感じなんですか!?もっと色々教えてください!」
「え、いや、私も今日初めてお会いしましたので…」
美咲がしどろもどろになっていると、ついに、チーフマネージャーの怒声が響き渡った。
「いい加減にしなさい!」
その鬼のような形相に、さすがの4人もびくりと身体を震わせ、ようやく現実へ戻ってくる。
「ファンを待たせるなんて、プロとして失格よ!さっさと行く!」
叱責され、しぶしぶながらも準備するメンバーたち。
しかし、その足取りはどこか浮ついており、移動中も「でも、本当にすごかったよね…」と、こそこそと囁き合うのをやめなかった。
***
そして、ハイタッチ会が始まった。
長い列を作って待っていたファンたちの前に、FLORIAのメンバーが並ぶ。
いつものように、完璧な笑顔のはずだった。
「ソユンちゃん、今日のライブ最高でした!ずっと前から大好きです!」
目の前に立ったファンが、熱に浮かされたような顔で、ソユンに想いを伝えた。
いつもの彼女なら、「わあ、ありがとうございます!私も大好き!」と天使の笑顔で返せる、簡単なコミュニケーション。
しかし、今のソユンの頭は、Kのことでいっぱいだった。
(Kさんも『可愛い』って言ってくれた…。あの手が…大きくて温かかった…)
「…ソユンちゃん?」
ファンの不安そうな声で、ソユンははっと我に返った。
目の前のファンが、傷ついたような、悲しそうな顔で自分を見ている。
「あ、ご、ごめんなさい!ありがとうございます…!えっと、嬉しいです…!」
慌てて取り繕うが、一度途切れた空気は戻らない。
後ろのスタッフに「お時間でーす」と肩を叩かれ、ファンは寂しそうに一礼して去っていった。
(私…今、一体なんてことを…)
カエデも、サラも、ミジュも、笑顔でファン一人ひとりと目を合わせ、言葉を交わす。
「ライブ最高でした!」
「ありがとう!」
「今日のサラちゃん、すごく可愛かったです!」
「ほんと?嬉しい!」
しかし優しく手に触れファンサービスをするが、ソユンほどではないにしても心はここになかった。
頭の中では、先ほどの邂逅が、何度も何度もリピート再生されている。
Kの低い声、優しい眼差し、大きな手…。
時折、ふっと意識が飛び、遠い目をしてしまう。
ファンの中には、「今日のソユン、なんだかぼーっとしてるな」「カエデさん、心ここにあらず?」と、その僅かな変化に気づく者もいたかもしれない。
しかし、それでもプロとしてのクオリティをなんとか取り戻し、ハイタッチ会を終えた。
そして息をつく間もなく、今度は業界関係者への挨拶回りへと向かった。
***
FLORIAは多くのスタッフに連れられ、挨拶回りの会場へやってきた。
会場の一角に設けられたそのスペースは、仲の良い芸能人、テレビ局のプロデューサーや広告代理店の重役、ベテランの芸能記者たちが集う、この業界の縮図のような場所だった。
その中で、ひときわ華やかなオーラを放ち、多くの人間が挨拶に訪れる一人の男がいた。
人気男性俳優『藤崎亮太』。
今、最も勢いのある若手俳優と言われ、甘いマスクと確かな演技力で、数々のドラマや映画で主演を務める超人気者だ。
今日の挨拶会に集まった中では、間違いなく一番の有名人だった。
亮太はシャンパングラスを片手に、談笑の輪の中心にいながらも、その視線は一点に注がれていた。
FLORIAのメンバーたちが、マネージャーに連れられてこちらへ向かってくる。
彼の目当ては、橘カエデだった。
彼女とは同い年で、以前、音楽番組で共演した際に何度か言葉を交わした。
その時の感触は、亮太にとって、これ以上ないほど手ごたえがあった。
人見知りしがちなカエデの懐にうまく入り込み、冗談を言っては笑わせた。
カエデも気を許したようで、「あはは、亮太くんって面白い!」と、彼の肩を軽く叩いてきたのだ。
それに、他のメンバーも自分のことを好いているのか、一緒になって笑い合った。
彼は確信していた。彼女はイケる、と。
今日はプライベートな連絡先を渡す。絶対に喜んで受け取るはずだ。
そして、その予想は本来であれば、決して的外れなものではなかった。
カエデは恋愛の理想は高かったが、ルックスもステータスも業界トップクラスである亮太のことを、内心「少し良いかも」と思っていたのだ。
しかし、それは全てほんの数時間前までの話。
FLORIAは、Kと出会ってしまった。
今のカエデの心は、もはやKという男で満たされていた。
世界の頂点に立つ男の、圧倒的なオーラ。
全てを見透かすような、深い瞳。
その存在を知ってしまった後では、この業界の有力者たちが集う挨拶会など、あまりにも矮小で滑稽な茶番にしか見えなかった。
目の前で偉そうに語るプロデューサーも、媚びた笑いを浮かべる役員たちも、全てが色褪せて見える。
今の彼女の瞳には、もうK以外のどんな男も映ってはいなかった。
そしてついに、FLORIAが亮太の前にやってきた。
「みんな!ライブお疲れ様!」
亮太は、最高の笑顔で、まずはグループ全体に声をかける。
そして、その視線を、まっすぐにカエデへと向けた。
「カエデちゃん、今日のパフォーマンス、今までで一番良かったよ!特に最後のダンス、めっちゃ鳥肌立った!」
本来であれば、カエデは「本当!?嬉しい!」と、満面の笑みで喜んでくれるはずだった。
完璧なシナリオだった。
しかし…
「…ありがとうございます」
カエデは、ほんの少しだけ口角を上げた。
だが、その目は、全く笑っていない。
まるで、初めて会った日のように、いや、それ以上に遠く、冷たく、硬い。
その声は、感情の乗らないただの記号の羅列のように、亮太の耳を通り過ぎていった。
「え…?」
亮太は、予想外の反応に戸惑う。
どうしたんだ?体調でも悪いのか?
「いや、本当にすごくてさ!俺、感動しちゃって。良かったら、今度ゆっくり食事でもしながら、今日の感想とか…」
焦りから、つい早口になる。
そして、懐から自分の連絡先を書いた小さなカードを取り出そうとした。
その時だった。
「すみません。個人的なそういうことは、しておりませんので」
カエデは、亮太の行動を遮るようにきっぱりと言い放った。
その声には、一片の揺らぎも、申し訳なさも感じられない。
ただ、冷徹な事実だけがそこにあった。
拒絶。完全な拒絶。
亮太の動きが固まる。
周りの業界関係者たちの哀れみを含む視線が、痛いほどに突き刺さる。
なんだ、この空気は。
どうして?彼は、助けを求めるように、他のメンバーに視線を送った。
以前会った時に、あんなに人懐っこく寄ってきたミジュも、演技を褒めてくれたサラも、前に笑い合って仲良くなった自分のことに気づいているはずなのに。ぼーっと虚空を見つめている。
まるで、自分のことなど、存在しないかのように。
恥ずかしかった。惨めだった。
プライドが、音を立てて砕けていくのが分かった。
彼は、これ以上この場にいることに耐えられず、「あ、ああ…そうなんだ。ごめん、じゃあ、また…」と、意味のない言葉を呟くと、逃げるようにその場を早足で去っていった。
その背中を、カエデは何の興味もなさそうに、ただ、一瞥しただけだった。
世界の王を知ってしまった女神にとって、かつて少しだけ輝いて見えたこの国の王子様は、もはや道端の石ころでしかなかった。
KとFLORIAによる最初の犠牲者は、こうして静かに、そして無慈悲に生まれた。
***
全てのスケジュールが終わり、解放されたのは、すでに深夜だった。
控室から駐車場へと向かう道でも、4人は「Kさんの画像調べてみよ」「KFGってアメリカの会社?」と、Kのことで囁き合っている。
その様子を少し離れて見ていた美咲は、Kという男の存在が、良くも悪くも彼女たちを変えてしまいそうだ、と漠然とした不安を感じていた。
その日のライブは、彼女たちにとって、間違いなく成功だった。
しかしそれ以上に、彼女たちの人生を、価値観を、そして未来を…根底から変えてしまう運命の日になったのだった。
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